• 締切済み

終戦後の占領政策に於ける「子供の名前」

私の名前は  ●比古 (●ヒコ) 昭和二三年生まれ 父親が  ▲彦 なので、祖父が市役所に「●彦」で届けると、この「彦」は今は人名漢字として使えない、中央からそういった趣旨(どうやら海彦・山彦等神話に繋がる感じは使用禁止)のお達しが来ているとのこと、仕方なく  ●彦 を諦めて ●比古 と名付け他と聞いております。 因みに、郡部ではなく一応現在は人口一五〇万クラスの大都市です。  ここでエピソード   学校の先生達が、「●比古」の「古」を読み間違えて   何回も繰り返し    「●比呂」「●比吉」   と通信簿のゴム版を彫ってしまいました、   最後には親も諦めましたが(笑)(泣) 閑話休題、そこで質問ですが、この様に「占領軍」が人名漢字に迄口を挟む何て事は実際にあったのでしょうか? 出来れば当時禁止された(使ってはいけない)人名漢字等の具体例が分かるサイトなどがあればご紹介下さい。 また、面白いことに、同年生まれで「△彦」という人がいたのですが、日本全国津々浦々までこの訓令が行き届いていたのかは疑問ありますね。郡部では「訓令」自体が届いていなかったり、届いていたとしても、村の役場の戸籍係が読まなかったり、無視したりして届出通り受け付けていたのかも知れませんね。 因みに、NHKのプロジェクトXの司会者「国井雅比古」アナは昭和二三年生まれで、同じ経過で「彦」から「比古」になったのだと勝手に解釈しています(笑) 同時に、自分を含めて知人にこんな規制で名前を変えざるを得なかったというエピソードありましたら、よろしくお願いします。

みんなの回答

  • tatsumi01
  • ベストアンサー率30% (976/3185)
回答No.2

No. 1 のものですが補足します。 当用漢字は 1946年11月16日制定。当時は当用漢字以外の漢字は新生児には付けるべきではないとされたようです。mabomk さんは 1948年生まれだそうですから、この時代です。 1951年5月25日に人名漢字92字が制定され、人名に使ってよいことになりました。その92字の中に「彦」が入っていたかどうかはわかりませんが、入っていた可能性が大です。 その後、人名漢字は増え続け現在は488字だそうです。もちろん、現在では「彦」は入っています。 前回の投稿で mabomk さんを呼び捨てにしていました。お詫びします。

mabomk
質問者

お礼

本当に有り難うございます、貴方の回答態度には(ムニャ、ムニャ。。。。)ですね。

  • tatsumi01
  • ベストアンサー率30% (976/3185)
回答No.1

だって「彦」は当用漢字になかったでしょ。人名には付けられませんよ。 人名漢字に入ったのが最近だと思います。 当用漢字の制定が「進駐軍の命令」と広義に解釈できなくはありませんが、そこまでは考えすぎでしょう。 市役所の係員が当用漢字を説明するのが面倒臭いので「進駐軍の命令」で済ませたかも知れません。何しろ立小便の禁止にまで「進駐軍の命令により」と書いた時代ですから。 なお、mabomk と同年で「彦」と付いている人がいるとは信じにくい。市役所が間違えた可能性もありますが、筆名や通称ということはありませんか。

mabomk
質問者

補足

昭和21年(1946)に当用漢字制定、確かにその中には「彦」は含まれていないですね。他に含まれていないのは,「也」「弘」「鶴」「麿」等有ったようですね。 同年代で「彦」が使えた人は昭和21年11月16日当用漢字実施以前(例えば11月始め生まれ)かも知れませんね。その人が留年して同時期に大学(私1月の早生まれ)偶々同級生と言うことは十分可能でしたね。当時は何年生まれ何年生まれなんて聞きもしなかった(笑) 「彦」「麿」が入っていなかったというのもやはり神話復活の恐れ有りと判断されたのは十分あり得る話し。

関連するQ&A