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なぜ教えて!gooの回答者は質問の背景にいる人物を知りたがるのか?
教えて!gooで質問をして、回答と補足で遣り取りをしてると、ほとんどの人が、その文面 を越えてその裏にいる書き手の人格・人物を知ろうとし、それがわからないと不安のよう です。(特に質問や回答が複雑になると) そして、自分なりに相手の人格・人物を想定して、回答の遣り取りをしてるようです。 これはなぜなんでしょうか? わたしの場合、そういうことをほとんど気にしません。 なぜなら、匿名性がある以上、相手の人格・人物を探って想定したところで確実で完全な 人物像が得られるわけでもなく、相手は現実の人物の裏打ちはあるとはいえ、それが ネットワーク上に現れた人物像と同じとは限らず、むしろ別人物と捉えた方が妥当だと 思うからです。 それを現実の人格・人物まで知ろうとする行為は、あてずっぽうを信じるような愚かな事 に思えます。 そのような事に惑わされるよりも、質問や回答の文面だけを真摯に受け止めて回答の 遣り取りにこそ努力すべきだと思っています。 (文面の点は、わたしの場合は老若男女に通じる汎用的?な形にしています。) このなんらかの人物・人格を想定しようとする行為、それがないと不安だと感じる心理は どういう原因からなんでしょうか? そこには、なにか人間のコミュニケーションの根源的な心理が隠れているのでしょうか?
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おそらくすべての事情に当てはまる場合でないと推測いたしますが、私はケースバイケースではあるものの然るべき必要なことだと思いますよ。 少し質問の射程が広すぎるようです。あんまり頭がよくないので話がまとまらないかもしれません。よく分からないところはご指摘ください。必ずしも唯一の正解であるとは思いませんが(そもそも正解なんてありませんよね)、しかし一つの可能性ではあると思います。 多くの人は常に多くのものを認知しており、解釈しており、生きています。そのため、あまり複雑な情報を処理するのは得意ではないようです。ここでいう複雑とは答えが明確にでない・位置づける事が困難であるもののことをさしています。自分が理解できるものを好むというのは、頭がパンクしてしまうことを回避していると考えられます。このことは自分が理解できる=自分の知識体系の中に構成・位置づけることができるという関係の存在を仮定します。つまり、自分が理解できるように、解釈するということです。もしも、自分が全く知らない・検討もつかないような状況に遭遇してしまったときには、その必要性に応じて、1.熟考して新しくラベルをつける、2.自分が知っている似たものに近いラベルをつけて簡便的に判断するといういずれかのプロセスを踏むようです。おそらく後者が採用されているのでしょう。2の方略は基本的に自分と関係が遠い人によく採用されます。自分と関係がないので、知識だけあれば十分(相手から不利益をこうむる事がない)だからではないかと想像できます。これらの一連のプロセスはほぼ自動的に行われます。 なぜこのようなプロセスが行われるのか。これは若干物語になってしまいます。このことを考えるのにあたって、「ヒトとして社会生活を営むということ」がキーワードになるのではないでしょか。人は群れで生活してきましたし、今も文化によって程度の差はあれど、人と人とが支えあって生きています。この長い社会生活を営むために必要な機能として、「相手はどんなやつか」を即時に判断することが要求されたと考えられます。相手が危険なやつであるのに、危険だと判断できない場合、自分は殺されてしまう可能性があります。生物としてのヒトが自分が殺されないように動機づけられると考えると、相手の特性について知る事は、自分が生き抜くために必要な機能だと考えられます。 従って、ネットの世界に限りません。むしろ、今回の件は、1.テキストという形で保存されたからこそ、認識することができた、2.やり取りが紋切り型であることの影響であると考える方が妥当だと思います。それは、日常場面で考えてみるとよいかもしれません。日常場面では、無意識のうちにその人物に対する判定を行います。例えば、電車で席をゆずっている人を見かけると、多くの人はゆずった人はやさしいに違いないと認識します。実際は、やさしさのためではなく、駅に到着して降りただけかもしれません。お金をもらったのかもしれません。しかし、人はある人物像について強い確信を抱いています。 なぜ、このような状況が起こりうるのか。その一つの答えは、人は解釈の世界に生きているということです。相手の事を完全に把握できるという思い込みがあるということです。ヒトは社会生活を営んでいるので、状況に応じて違う自分を演じています。例えば、サラリーマンのAさんを想定します。Aさんは昼間は会社員ですが、夜はパパであり、旦那であり、もしかしたら息子になるかもしれません。どれも同じAさんですが、すべて違う役割を演じています。そのように考えると、そもそも人格とは何か。心って何?多分に難しい問題をはらんでいると思います。私は形のないものだと思っています。比喩ではなくて。つまり、自分(認知する人)が対象について解釈した結果、自分が納得できるものに作り変えたものだと思っています。 ■まとめ ヒトが社会生活を営む上で、適応上、相手の特性を自動的に判断してしまう。このことを拡張して、自分が理解できる形に落とす必要性があるので、自分の経験などと照らし合わせる必要性が考えられる。そして、今回の例では、その一連の流れが特に文字によって保存されることにより顕在化したのではないかと考えられる。
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- frau
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心理学で「投影」という心のダイナミクスがあるのですが、このようなことも含まれるのではないかと。つまりネット環境でも対峙する相手が人間や社会であることにおいて、十分ありえる現象だと思います。 私自身もそのような危険を冒したこともあるし、またそれをされる側に置かれている(進行形)のですが、やはり病的なんですよね。つまりそこが賑やかであるほどネット依存の対象になってしまう。 ネットはただの情報ソースとして扱わないとバーチャル世界のブラックホールに自らはまってしまう。 ここはあくまでも「テキスト」の世界で、相手の背景などはまったく関係ないと捉えないとならないと考えます。私自身もこのように質問も回答も寄せていますし、ネット世界においてのダークサイドのような「○ちゃんねる」よりも明るく品のあるサイトと思っています。そして様々な会員の方々の秀逸な回答を読むにつれ驚愕したり勉強になったりあるときは助けられたり(あくまでも助言というレベルで)している過程でもちろん、「どんな人なのだろう?」と興味をもつことはあります。でもそこで一種の虚像として捉えないと上で述べたように「投影」してしまうことになりかねない。 同じテキストといっても一般的な書籍などの文献の著者についての背景はあまり気にならないものです。小説などは「世界」が文体によってどう構築されているかによって読み手のニーズも生じますが、フィクションの場合特に作家がこういう人だから読むというのはあまりないのではないでしょうか。ネット環境ではそれがありえる。その違いは絶えず動いている環境だからではないか?と思います。ネット環境は掲示板などの場合双方向的で、一般的なテキスト世界の場合は一方通行だからではないでしょうか。つまりいかに参加できるか、そして互いにプライベートを提示し、自分にとってよりよい情報をもらえるか。そういうニーズにおいて「相手のことをもっと知りたい、もっと自分を知って欲しい願望」も派生するのではないか、と考えます。 字数制限のことが挙がってますが、回答という言葉上での有限性や、物理的にも時数制限という枠の制約の中でやり取りせざるをえないからでしょう。ただでさえ現実的な人間関係の中で、相手のことを知っている方が少ないのに、バーチャル世界では知る術もないでしょう。いやだからこそ、投影しやすい世界なのかもしれません。 >別人物と捉えた方がよい 私もそう思います。利用者の心根やある程度の本質が言葉に乗せられているとは思いますが、現実的につまり相対する実物が、投影する者にとっての好ましい現実になるとは限らない。逆もまた然りです。最悪なのは感情的レベルにまで落ち込むことです。テレビの戦闘ゲームで発散するにはいいんです。。そこで批判や誹謗中傷が生じますが、まるで闇にいる敵に向かって銃を撃ちまくるような感じを受けます。ネット環境のパソコンは主体ですが、扱う側の感情のコントロールを前提にしないと逆に自らが傷つく結果になりえる、ということでしょうか。 というように、逆説的なのですがこのテーマの場合、一種のコミュニケーション不全状態なのではないかと思います。
お礼
御回答ありがとうございました。
補足
つまりは、現実には単なるテキスト/表現であるはずのものに対して、それ自体の背景を相対化することで 「投影」の対象性を見いだしてはまってしまうということでしょうか? ネットワーク社会・情報社会のダークサイドですね。 一方、わたしが#4の補足で述べたように、 「人物・人格を想定するのは、ネットワーク社会・情報社会になじみきれない人間の指向として、 対面の対人関係に類似したものを維持しようとしている心理」 だとすると、代償行為、補完行為でもあります。 そうすると、最終的にはネットワーク社会・情報社会がどうあるべきで、人間がどうつきあっていくかという 点が論点になります。 >逆説的なのですがこのテーマの場合、一種のコミュニケーション不全状態なのではないかと思います。 コミュニケーション不全か否かは、ネットワーク社会・情報社会でのコミュニケーションがどうあるべきかに かかっています。 ダークサイドがあるのを前提でそれさえ飲み込んでネットワーク社会・情報社会でのコミュニケーションを 考えていくか、それともダークサイド故に否定するのか、そういう選択なのでしょう。
- mame811
- ベストアンサー率26% (4/15)
さらに同じような回答が続くことになりますが。 僕の場合は、「一般論は誰にも当てはまらない」と思っているからです。「老若男女に通じる汎用的な形」とは全く逆、ということになります。もちろん質問者の困り度にもよると思いますが・・・ 暇な時に回答が欲しい、というような質問の場合、つまり緊急の度合いが低い場合はいろいろな一般論の中から本人が答えを見つける、または方向性を見つければいいと思うので、一般的な答えを書き込むことが多いかな。逆に、緊急度が高ければ、それだけ本人が「的確なアドバイス」を「今すぐ」欲していると思いますので、できるだけ具体的なアドバイスをしたいですから(可能であればね)、どんな状況か知りたいわけです。 実物とネットワーク上の人格は同じであるはずがない、とのことですが、質問者自らが抱える問題の解決を望んでおり、的確なアドバイスをするために情報を求められたら、可能な限り情報をオープンにするのではないでしょうか?もし自分の状況を偽って回答を求めれば、その回答だって的外れなものになる可能性が高くなるわけだし・・・。 以上のことから、人物・人格を想定したいのは、より的確なアドバイスをしたいと言う親切心だと僕は考えていますし、皆さんも同じような考えなのではないでしょうか。
お礼
御回答ありがとうございました。
補足
>実物とネットワーク上の人格は同じであるはずがない、とのことですが、質問者自らが抱える問題の解決を望 >んでおり、的確なアドバイスをするために情報を求められたら、可能な限り情報をオープンにするのではない >でしょうか? それは情報不足に対する補い方の問題ですよね。 しかし、自分の情報を全部オープンにしたところで、ネットワーク上には現実の人格は現れないでしょう。 極めて酷似してるとしてもやはり(情報の集積としての)ネットワーク上の人格だと思います。 結局、充分に情報を提示すれば足りる事で、それと人物・人格を想定するというのは別のことだと思います。 >人物・人格を想定したいのは、より的確なアドバイスをしたいと言う親切心だと僕は考えています・・ 情報不足を防ぐために情報を集めるという事と、人物・人格を想定するというのは別のことだと思います。 少なくとも前者は必要情報が集まれば情報源のレベルでOKです。しかし、後者はその情報源を、人物・人格 まで拡張してしまうわけですから、そこには別の理由があると思います。 わたしはなんとなくですが、人物・人格を想定するのは、ネットワーク社会・情報社会になじみきれない人間の 指向として、対面の対人関係に類似したものを維持しようとしている心理のような気がしてきました。
- ARX7
- ベストアンサー率15% (36/233)
質問の背景にいる人物を知りたがったような人って多いのでしょうか? これって回答者のことではなく質問者のことを知りたがるとのことですよね。 私は、よく回答をしますが、今までに質問欄で大事な情報が抜けていたため、最適な答えが出来なかったことはあります。 それとも個人情報を、特定するようなことを聞かれたのでしょうか? マナーの悪い人の回答は無視するのもいいかもしれませんね。
補足
わたしの質問の背景をお知りになりたいようですね。 ここを使いはじめてから大分経つんですが、回答の遣り取りがある程度長引いて、議論化してくると(本当は 規約で禁止されてますけど議論は)、ある種のレッテル貼りが始まるんですね。 つまり「こいつはこういう奴だ」という決めつけです。それはわたしの言うところの人物・人格の想定です。 文面だけで遣り取りしてるのに、その書き手の人物・人格に干渉しようとする、決して干渉しえないのにも関わ らず、それがとても不思議だったのです。
- LOOXuser
- ベストアンサー率20% (10/49)
あくまでも私の場合は、ですが。 答える場合でも、教わる場合でも、相手の方のバックグラウンドは把握したいと感じます。 だって、極端な話中学生かもしれないし、大学の先生かもしれません。技術的なこと、例えばコンピューターのことであればさほど問題無いかもしれませんが、人生のこととか哲学的な事柄であれば相手の人のバックグラウンドは重いように感じます。 人生経験豊富な方の意見と、若い方の意見と、どちらが正しいとか言う積もりはありませんが、同列には判断できないと思います。 いかがでしょうか。
お礼
御回答ありがとうございました。
補足
>人生経験豊富な方の意見と、若い方の意見と、どちらが正しいとか言う積もりはありませんが、同列には判断 >できないと思います。 たしかにそうです。対面で会話をしている場合にはですが。 しかし、質問にも書いたように、ネットワーク上では、その人生経験豊富か、若造かが実際に高い精度でわかる かというと違うと思うのです。(「あてずっぽうを信じるような愚かな事」) それをなぜか多くのみなさんが人物・人格を想定しようとするのが不思議なのです。
- horaemon
- ベストアンサー率24% (457/1898)
私もここで回答して思うことはあなたとまったく正反対のことです。 同じ意味の回答をしても、それで満足してもらえるかもらえないかはその人によってまったく違います。 私は比較的早いうちに回答するのですが、補足などの内容によってはまったく意味をなさない回答になってしまうこともしばしばです。 回答がうまいなぁーと思う人は、質問者自身も気付かなかったような内面の問題をうまく引き出せる人です。 自己満足な回答をするよりも、やはり質問者様の機微に触れるような絶妙な回答を見るとさすが、と思いますね。 なにしろ質問欄が狭すぎで、わずか800文字で現される内容では心の奥のひだまでは出せないことが原因と思うのですがどうでしょうか。
お礼
御回答ありがとうございました。
補足
わたしの質問は「人物・人格を想定しようとする行為、それがないと不安だと感じる心理はなぜか」です。 それと、回答者がおっしゃてる、情報不足を補うためというのは全く違う側面だと思います。 メンタルヘルスのカテゴリの類だとおっしゃる事はよくわかるんです。 質問者も告げたくないことがある、察してほしいという心理があるでしょう。だから、隠している心理を 読んであげる必要があるというのはわかります。 (それでも人物鑑定家でもない限りうまく読み取れる確率は低いと思いますが) しかし、質問800字の制限において情報不足の件は、回答者が補足要求すれば事足りるはずで、 人物・人格を想定する必要はないと思うのです。 むしろ、間違った人物・人格を想定してしまうと、回答者のおっしゃるように的外れな回答になります。 では、唯一信頼できるのはなにかというと質問・回答の文面でしょう。 そこからはじまって、行間を読むという要素はあっても、書き手の人物・人格を想定する必要までは感じない のですが、どうでしょうか?
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お礼
御回答ありがとうございました。
補足
>2.自分が知っている似たものに近いラベルをつけて簡便的に判断する・・ いわゆる「過去の経験・文脈に依存した認知」ということですね。 >長い社会生活を営むために必要な機能として、「相手はどんなやつか」を即時に判断することが要求された 現実社会ではそれは妥当だと思います。わたしも雑踏の中で同じ判断を行なっているでしょう。 しかし、ネットワーク社会=非接触型社会において危険性がそんなに深刻な問題かというとその点は疑問です。 >ヒトが社会生活を営む上で、適応上、相手の特性を自動的に判断してしまう。 >このことを拡張して、自分が理解できる形に落とす必要性があるので、自分の経験などと照らし合わせる >必要性が考えられる。 >そして、今回の例では、その一連の流れが特に文字によって保存されることにより顕在化したのではないかと >考えられる。 疑問が2つあります。 (1) 「ヒトが社会生活を営む上で、適応上、相手の特性を自動的に判断してしまう。このことを拡張して、自分 が理解できる形に落とす必要性があるので、自分の経験などと照らし合わせる必要性が考えられる。」 というのは、通常の現実社会には妥当な説明だと思います。 しかしネットワーク社会では、どうなんでしょうか? 今回は、もともと人対人の「おしえて!goo」を対象としましたから、書き手の存在は前提になります。 しかし、ネットワーク社会には、人ではない人のようなもの、例えば自動応答サイトのかなり良くできた ものなどがあります。そのような疑似人格に対しても、同様の特性判断をしてしまうのでしょうか? つまり、「自動的に判断」するに「人の存在が前提となった時」という条件がつくのではないでしょうか? (2) 「特に文字によって保存されることにより顕在化したのではないかと考えられる。」ですが、今回は書き手 がいる事が明確な「おしえて!goo」を話題としています。 しかし、世の中には多くの文章が存在します。 たまたま、手元にTIMEの広告があって文章が並んでいますが、その書き手の特性を判断しようとはしま せん。 つまり、相手(書き手)の特性を自動的に判断する事には、まだ別の条件があるのではないでしょうか?