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小中学校の教師が

幽霊や霊界などの存在を否定する発言をしたら、不適切な発言ということになりますか?

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  • Ama430
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回答No.6

「宗教に対する寛容の態度」 これが教育基本法で求められているものです。 公立学校の教育課程は、幽霊や神を前提としない学問体系になっていますから、これを否定すること自体は不適切ではありません。 さらに、霊感商法の流行などを考えると、あやしい宗教に距離を置くように指導することさえも必要かもしれません。 もちろん、教師の個人的な宗教観を前面に出すことは厳に慎むべき事です。 「宗教に対する寛容の態度」とは、他人に迷惑をかけない範囲で宗教活動が行われることを許容する態度のことです。 生徒が霊を信じていても、そのことを理由に差別してはいけないということです。 異なる宗教観を持つのが国民の自由であり、そういう国民が互いに仲良く協力できるようにするのが教育の役割だということです。

tubaki_
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noname#20467
noname#20467
回答No.7

どのお立場(教師・父兄)からのご質問か存じませんが、最近の小学生中学生の科学的知識は、愕然とするほど欠落しています。 さきごろも、小学生の4割強が天動説を信じているという調査結果が出ましたね。大学生でも一割くらいは、天動説を信じているのではないかという気がします。 霊や霊界の存在についての、肯定・否定双方の根拠を聞くというには、あまりにも学力が不足しています。もし肯定する人にはどういう根拠があり、否定する人はなぜそう主張するのか、双方を理解できる子であれば、そうすれば良いでしょうが、あまり現実的ではないと思います。大学生でも、本気でいますからね。科学では割り切れないことがある・・・それはそうかもしれませんが、この世代の子供達にはまだ学ぶべきとにあまりにも到達していません。文系だから知らないとか、そういう問題ではないです。深刻なことです。 科学の基礎知識・科学的方法論を教えること、その過程で分からないことを霊のせいにしないという姿勢は是非必要なのではないかと思います。厳密には、霊の否定とは違いますけどね。すぐに悪人にだまされないとことにもつながるでしょう。 宗教教育は公立ではされませんが、合理的科学的見方と宗教教育は対立するものではありません。現在、カルトなどが流行するのは、きちんとした宗教的情操を受けていないために宗教の真偽に暗いという問題もあるからです。

tubaki_
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noname#104477
noname#104477
回答No.5

不適切な発言ではないと思いますが表現法に気をつけたほうが良いですね。 つまり幽霊や霊界など存在しないと言えば「じゃあ存在しない事を証明してみろ」と必ずこう来ます。 そこで 今現在でも世界には65億人近くも人間がいて中には占い師、霊能者と言われる人々。又は牧師、神父、僧侶、神主、カメラマン、物理学者、各種研究員、心霊マニア、一般人などこれ程沢山の人間がいてしかし存在を証明できた人はただの一人も居ない。 また心霊写真と言う物を主張する人もいるが 世界に何億台も有る防犯カメラ、超高感度カメラ、ノーベル賞のスーパーカミオカンデなど想像を絶する超高性能光検出機器がある現在でも、その機器でもただの一度も検出していない。 そのような背景で 「自分は見た、聞いた、体験した、写真に撮った」等と言っても全く説得力はありません。人間やカメラなどが検知できる現象なんて現代科学で検知できるうちの極々一部。 霊が存在してカメラに映るというならその前に先ほどのスーパーカミオカンデで絶対に検出できるはず。 写真に写って専門家の機器では捕らえられないなどと言うのは例えばすばる望遠鏡で一年間観測して何も発見できない宇宙空間を100円ショップの望遠鏡で「今の科学は未熟だからきっと何かあるはず」と必死に探しているようなもの。 このような事が有ると思いますか?と尋ねればPTAも”霊能者”も反論は極めて難しいでしょう。 追加です しかし、霊は存在する、当然霊界も存在する。しかし現代科学を以てしてもましてカメラや人間の感覚などでは絶対に観測できない。それはクオークよりも更に小さな物質から出来ているからだ。 と言われた場合否定出来るだけの知識がありません。しかし「何であなたがそんな事知ってんの?」と言う事位は言えますね。

tubaki_
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  • michael-m
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回答No.4

 存在の確証も否定の確証も無い事ですから、要するに信じるか信じないかの問題でしょう。なので、一方的に否定説や実在説だけを挙げてるなら、それはどちらも不適切だと思います。  教師の思想が、子供にどれほど影響するかを考えたら、存在するかしないかを論ずるより、双方の根拠に対して考える力を育てるべきです。

tubaki_
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  • jamiru
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回答No.3

全くもって不適切ではない。 不適切ならば、もったいないお化けなどの庶民にまつわる霊の存在を否定する発言なら当てはまると思います。

tubaki_
質問者

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  • tetrarch
  • ベストアンサー率21% (123/563)
回答No.2

否定のみではと思います。 こういった宗教ではなど、一方面だけでなく肯定する意見も入れるべきです。実際には解明されていない部分ですので、断言はダメだと思います。しかし、個人の意見として、「先生は幽霊はいないんじゃないかと思う」など曖昧な表現で、その後、他方の肯定する意見を言っとくべきです。死後、体重が減ったなどのやつです。 実際には解明されていない部分とは、肯定も否定もできていないということです。見えないから否定は間違いです。そんなこと言ったら、歴史は見ていないので全部間違いですと同じこと。 「見える・見えないなどどちらの意見もあり、両方とも証拠がないのでなんとも言えないな。」この辺が無難な回答です。 とりあえず、絶対的な断言、生徒に誤解を生みかねない説明ではいけないと思います。説明すれば、発言自体は自由だと思います。 教師ですと意見を言うと、それが正しいと思われるかもしれないということです。

tubaki_
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  • rikukoro
  • ベストアンサー率24% (63/258)
回答No.1

いや 別に不適切ではないと思います。  信教の自由は憲法で保障されてます。 無神教も自由です。  それを他人に押し付けるのはダメだと思いますが。

tubaki_
質問者

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