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サンタは存在しますか? それを考えていくと…
「サンタをいつまで信じていましたか」という質問をよく耳にします。 サンタが存在しないと思われている方が多いようです。そこで質問です。 (1) サンタが存在する・しないの根拠は何なのでしょう。 (2) 同じ根拠で神や幽霊,宇宙人の存在を肯定・否定できますか。 (3) (2)がNoの場合は理由を教えてください。 例えば 「お父さんがプレゼントを持ってきた」つまり「サンタがプレゼントを持ってこない」→「サンタは存在しない」と論ずる人は多いのですが、 「幽霊を見たことない」→「幽霊は存在しない」と論ずる人はあまりいないような気がします。何故なんでしょう。
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こんにちは。 1)ある説を肯定的・否定的にとらえる際の根拠というものは、 解釈によっていくらでも見出すことができます。 肯定するなら、いままでサンタについた語られてきた事象を積み重ねることや、 心情的・精神的な論理が根拠になるし、 否定するなら、それを物理的にありえない事を証明すれば、 それが根拠になるでしょう。 質問者さんが否定する例に挙げた 「お父さんがプレゼントを持ってきた」という事から、 サンタを肯定する論理を展開するならば、 「お父さんがサンタだった」「お父さんがサンタに頼まれた」などの 話をもってくることも可能です。 つまり、はっきりした正解を提示できない以上は、 どっちにも話が展開できるのです。 そもそも、この手の論争をする際の 「存在する・しない」の”存在”の意味合いが 物理的なものなのか、概念的なものかはっきりさせていないので、 話がかみ合わないまま、平行線をたどるのが関の山です。 2)1にも書いた通り、肯定も否定も可能です。 ただし、サンタの「子供に夢を」という大義名分がない分だけ、 否定の論調は高くなるでしょう。 ちなみに、「幽霊を見たことない」→「幽霊は存在しない」は、 ただ、「単純にあなたが見ていないだけでしょ」の一言で終わってしまう 薄っぺらい根拠なので、否定論を展開するには苦しすぎるので、 そういう事をいう人はあまりいないのではないでしょうか。
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- kurupin
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サンタでも幽霊でもなんでも良いのですが存在するかしないかという「科学的検証」と信じるか信じないかという「宗教的信仰」を混同している気がします。タイトルと冒頭の文でそう感じました。「疑似科学」があたかも「科学」であるかのように「科学」の領域を侵すのを防ぐ為にも「科学」と「信仰」は混同して論じるべきではありません。 両者は全くの別物です。「科学」に正誤はあっても、「信仰」に正誤はありません。何を信じようがその人の勝手であり他人がとやかくいう事ではないわけです。高名な物理学者がお墓参りに行ったからといって誰も非難しないでしょう。この様に実際信仰を持った科学者もいることから両者とも矛盾ないというのが私の認識なのですがいかがでしょう?
お礼
年も変わったので、締め切らせていただきます。 この場で、のべ20人の皆様にまとめてお礼させていただきます。 だいぶサンタに関する皆さんの考え方が分かってきました。 それと同時に「人は少ない情報で結論を得てしまうものなのだなぁ」とも思いました。 情報が溢れる昨今においては、ちゃんとした情報から結論を出していく姿勢が大切なのだな、と思いました。
補足
各自一人一人がサンタを信じようと信じまいと誰にも干渉はできないと思います。 他人の信仰をとやかく言うことができないからこそ「いつまでサンタを信じてた?」という発言は許せないと思いませんか? サンタは存在しないことをお互い確認することも無いまま、これらの会話は始まることが多いのです。
- sawai197
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>サンタや幽霊や宇宙人は見たことがないと言う点で共通であり(中略)多くの人は結論を違えているのだと思いますか? それは日本人がサンタに幽霊や宇宙人ほど愛着をもっていないからでしょう。 もっと熱心ななキリスト教国だったら、同じ論法でサンタの存在を正とするでしょうが、多くの日本人にはその必要がないのです。逆に言えば宇宙人や幽霊は「存在して欲しい」のでしょうね。だから「存在する」ことにするのです。 もともとキリスト教徒でもなく、デパートはおもちゃを買わせる為、親は子どもに言うことを聞かせたい為(いい子にしていないとサンタにプレゼントがもらえないよ)としてしかサンタが存在する意義はないのですから、物理法則を無視してまで、彼の実在を信じる必要がないのです。 もうひとつ、多くの日本人は「科学信者」です。そして、(信じたい)「宇宙人や幽霊」には、もっともらしい科学的説明もなされています。が、その必要がないサンタクロースには「科学的に実在を検証するアプローチ」が殆どなされていません。 さらにもうひとつ、幽霊はたとえ自分が見たことがなくても「見たことがある」という大人が多く存在します。一方「サンタクロースを見たことがある」という大人には、少なくとも私は会ったことはないし、もしいてもごく少数であることは確かでしょう。
補足
日本では「サンタは実在しない」とか「実在しても大して嬉しくもないし困りもしない」と思っている人が多いから、ということですね。 他の方も言われてましたが、サンタの目撃談は聞いたことがないですね。 幽霊や宇宙人については見間違いの可能性も多いのでしょうが、それでも目撃談が絶えないのは「存在したときの自分への影響」が目撃者の中で大きいのでしょうね。 サンタはそれほどでもない、というわけですね。
- cliomaxi
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>たとえば宗教によって一神教だったり多神教だったりするわけですが、その時点で矛盾が生じていると思います。 恐らくこの文章を読んでいる誰もが意味が理解出来ないと思います。 少なくとも私には理解出来ません。 >・・・・イスラム教もキリスト教も両方とも完璧に教義を守ることはできないと思います。・・・・ 私が云っているのは「存在」です。 理解とかではありません。 解りにくかったのなら言い換えましょう。 「言語」を「色えんぴつ」に置き換えても良いですしパソコンのOSに置き換えても構いません。 この世には1色しかない色鉛筆か24色の色鉛筆のどちらかしかないでしょうか? この世にはWindowsしかインストールする事が出来無いパソコンかMacOS、Windows、Unix、BeOS、超漢字、Linux、SymbianOS全てをインストール出来るパソコンのどちらかしか無いのでしょうか? どちらもNoです。 1色の色鉛筆と24色の色鉛筆が同時に存在しても、MacOSのみ、Windowsのみインストールしたパソコン、MacにLinuxとVPCを使ってWindowsをインストールしたMacintoshも同時に存在します。 全く矛盾していません。 一神教と多神教が同時にある現在もなんら矛盾などしていません。 あなたの云う矛盾とは何を指しているのでしょう。 もし幽霊が存在するのであれば、少なくとも人類と同じだけの歴史が有る筈ですが、サンタクロースはそのスタイルはコカコーラのコーポレートカラーである事はあまりにも有名です。 クリスマスにプレゼントを贈ると云う行為はせいぜいここ100年とか150年程度でしかないですから同列に語る事は無意味です。 私はどちらかと言うと幽霊そのものよりも、「ラップ現象」や「ポルターガイスト」そして「心霊写真」に代表される存在の証拠とされるものです。 (この辺は超能力も同様) 現在数万光年離れた所からの極微量な粒子すら検知可能です。 人間に見えたり写真に写ったり出来るものが全く観測出来ないなどはあり得ないと思っております。 また、物理にはE=MC^2と云う有名な公式があります。 何かが動くと言う事はそれに対してエネルギーを注がなければならない。 エネルギーは質量が姿を変えたものでもあるのでそれでは不思議でも何でもないと考えます。
お礼
今回の件で一般の人が何を考えているのか少しわかりましたが、質問の仕方がだいぶ悪かったように思います。 それでも色々と教えていただき、ありがとうございました。 またクリスマスが近づけばまたサンタ発言を耳にするようになるでしょう。 そのときまでに質問文言をよく練ってまた質問させていただくかもしれません。そのときはまたよろしくお願いします。
補足
脱線しそうでまずいですね。 >一神教と多神教が同時にある現在もなんら矛盾などしていません。 >あなたの云う矛盾とは何を指しているのでしょう。 「神は何人いるのですか?」(単位がおかしいですが)という問いに何と答えるのでしょうか。答えは一つの筈だと思いますが。 物理の公式というのは、あくまで仮説の上に成り立っているものであり、新事実の発見により覆る可能性は大いにあると言えると思います。
- heyboy
- ベストアンサー率21% (1852/8730)
度々ですいませんが コカコーラにこんなサンタに関する のがありますので参考になろうかと↓
お礼
ありがとうございます。 サイトに関しては知りませんでしたが、ある程度の知識はもっていました。
- heyboy
- ベストアンサー率21% (1852/8730)
#14です。 >サンタの存在(実在)を否定されるのは、安易ではないのでしょうか? 意外と知られていないかもしれませんが 今のコスチュームなったのは 19世紀頃のアメリカが宣伝広告の為に 作られたのですよ。 それにキリスト教とかではクリスマスなると プレゼント交換とかあり そー言った影響とかもあるのです。 ですので聖(セイント)ニコラウスと言う 貧しい子供にプレゼントをしたと言う 伝説や言い伝えはあり その影響でクリマスにプレゼントを 送たったり交換したりとかの風習が残り それがアメリカに移り商売の道具として サンタクロースが生まれたと言う事です。 ちなもに サンタ・クロースの名前は サンタはセイントがなまったもので クロースはニコラウスがなまったと されています。 ですから 宇宙人:いる可能性あり 神、霊魂:今の科学では証明されないが否定は出来ない サンタクロース:美談が一人歩きしたもの となります。
- bo-suke
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どうも。いまだにどっちなのかわかんない者ですが。 (1)サンタが存在するかどうかは、 はじめに親がサンタというものがいるという話をする。 次に友人や親などがサンタはいないという話をする。 そしてその友人は、サンタが親だったところを見ていたと良く聞きます。 この場合、サンタの定義が「全世界の子供にプレゼントを渡す」というものであるので、サンタは存在しないことになります。プレゼントを渡していたのが、親だったわけですから。 しかし、このサンタの定義があまりにも狭義だと僕は思う。本当は、たとえば80%の子供にはプレゼントを渡していたとしたら。それも充分サンタといえると僕は思うんですけどね。 また、プレゼントがあるということは、サンタは仮にいなくても幸せなことだと思うので、別にどっちでもいいじゃないか、くれた人サンキューなんてなこと考えるんですけどね。 (2)根拠が違うので多分無理ですね。 だって親が「宇宙人がいますよ~」「幽霊見たよ~」って今言ったところで、「え…」とか思ってしまいます。本当にいたとしても。 神様はありかもしれません。「この世界を作った方がいらっしゃる」というようなことを言えばいいわけですから。 宇宙人と幽霊は、見たという証言と不確かな状況証拠によって構成されているのです。そしてそういう人間がいる以上、完全否定ができない。そういう証拠がある以上、完全消去ができない。でも見た人しか信じない。信じる人しか信じない。 なんででしょ。 サンタはプレゼントくれるから印象深いのかもしれませんね。 だって信じないといないことになるでしょ。いないってことはくれないわけですよ、プレゼント。でも何度かプレゼントをもらっているのを知っている。ということは?…ということではないでしょうか。 ある偉い方が言っていたと思います。「知ることは信じることである」 …逆だったかな?まぁ認識と信仰には切っても切り離せない関係があるということです。 こういう書き方すると信じてないように見えるけど、人間の認識と事実は実際の関係はないので、いるかもしれませんよね。サンタ。 もうすぐアケオメです。
補足
「サンタは全世界の子どもにプレゼントを渡す」と聞いていれば、それを反証することは簡単ですね。 私は「サンタは全世界の良い子にプレゼントを渡す」と思っていたので、それを反証できないまま今に至っている、という違いがあったわけですね。 こうしてみると、かなり曲がった見方ではありますが、サンタの件を通じて、親は子どもに「情報は取捨選択しちゃいけないよ。親といえども騙すかもしれない」ということを教えているような気もしますね。 周りからの証拠不十分な情報とプレゼントが枕元にあったことでサンタが持ってきたと信じてしまったことを、後で修正させられる子どもは多いのでしょうからね。
- heyboy
- ベストアンサー率21% (1852/8730)
(1) 「サンタクロース」は存在しません。 どちらかと言えば神とかの存在に近く 大勢の心の中に住んでいるって感じかな 昔、セイント・ニコラウスがおりましたが サンタとは別物と自分は認識しております。 (2) 光星などは文字どおり星の数ほど以上もあり 生物が自分たちの星のみにしか居ないって わけもないと思うし 学説の中には隕石に含まれた微生物から 発生したと言う説があるぐらいなので 地球外生命体は案外普通かと それと人間の目や耳は狭い範囲の 周波数だけしか感知できなく 見えない存在があってもおかしくは無いかと 予断ですがあの有名なエジソンは 霊魂と話しが出来る装置を作ろうかと した事があると言われています。 まあ肯定と言えば肯定なのですが 人間はわからない物に対して 拒絶するクセがありあっても 存在を否定する事で自己防衛しているので まあそーゆう物かと。 (3) 無し 蛇足 >「幽霊を見たことない」→「幽霊は存在しない」と論ずる人はあまりいないような気がします。何故なんでしょう。 それはたぶん身近な死者は 自分の一番大切な人だったりしますので いちがいに否定をしたくないと言う心の表れ かと思ったりします。 何にしても(2)でも答えたように 見えない聞けないから居ないと 言うのは安易すぎるかと。
補足
>何にしても(2)でも答えたように >見えない聞けないから居ないと >言うのは安易すぎるかと。 私もそう思うんですが、heyboyさんや「いつまでサンタを信じてた?」発言をする人が、 サンタの存在(実在)を否定されるのは、安易ではないのでしょうか?
>この論法を幽霊や宇宙人に適用する人は多いのに、サンタに適用する人が少ない(=「いつまでサンタを信じてた?」発言をする人が多い)のは何故だと思われますか? なにか堂々巡りをしているようですが,どういう回答をお望みなんでしょうか? (すでに回答が出ていると思います。)
お礼
すみません、補足の補足です。 「いつまでサンタを信じてた?」発言をする誰もがMXDさんのように「サンタ=セントニコラス」と思っているのなら納得できるのですが、 サンタを信じていた人が「サンタというのはセントニコラスだったんだよ」と言われたことで信じることをやめてしまえるのでしょうか。 私の思い過ごしならいいのですが、「お父さんがプレゼントを持ってきたから」を証拠にあげサンタを否定する人が多く、証拠にならないものを証拠として捉え納得してしまう人が多いのではないかと危惧しているのです。
補足
一般の人(「いつまでサンタを信じてた?」発言をするが幽霊や宇宙人の存在を否定しない人)にとって サンタと、神や幽霊や宇宙人、は何が違うのか です。
- RainbowDolphin
- ベストアンサー率26% (38/141)
(1)「サンタ=セントニコラス」だから「サンタは過去の人だ」と言い切れるということでしょうか。 世界中の良い子にプレゼントを運ぶサンタという存在は、セントニコラスがそれをしていない以上(近いことはやったが)、否定可能ということですね? ちゃんと言うと実際は存在はしていました、今もって語り継がれているわけは「困っている人に手助けをする事」本当は、このクリスマスの贈り物自体も子供だけじゃなく様々な親しい人へ送るのが本当の風習です日本は子供だけですが大人だったら大人同士、みうちだっら身内同士でプレゼントの交換を普通はします。 サンタ=プレゼントを配る存在じゃなく 実際は「他の人の為に何かをする事を忘れない為」に存在しています。 その象徴的キャラクターとしてあのサンタクロース像が出来たのでしょう。 更に例を挙げれば、バレンタインディ これも聖バレンタインと言う方が存在していました。この人がきっかけでバレンタインディが出来ました 結局はどのイベントもきっかけから始まっているのでしょう。 (2) サンタについても幽霊と同様に論ずることはできないのでしょうか。 これはできますよね?散々ここの回答に出ている通り、セント・ニコラウスが元になっている、だからこそサンタの存在が出来たんだと。 そして、居るか居ないか・・・ 今現在、幽霊は見たと言う人はいますがサンタを見たと言う人は居ません。 普通にコレが答えじゃないでしょうか?
補足
(2)サンタの目撃談は確かに聞きませんね。 サンタの話をする人自体が、サンタの実在を信じていないから、ということでしょうか。 幽霊については「確かにいた」「いるかいないかわからない」という話も聞くわけですからね。色々な情報が入ってくるわけで判断が難しいわけですね。
- soulfactory
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サンタが居ないなんて夢が無いですね 8歳の少女が「サンタクロース」の存在について疑問に持ち、新聞社に問い合わせたところ、このような返事が返ってきたそうです。 これはアメリカで100年以上前にあった本当の話です。 1897年9月21日のニューヨーク・サン新聞社に 「サンタクロースって本当にいるんですか?」 という手紙が届きました。 サン新聞社は、その手紙の返事を新聞の記事に載せて書きました。その記事が、以下の文章です。 記者様 あたしは8つです。 あたしの友達に「サンタクロースなんていないんだ。」っていっている子がいます。 パパに聞いてみたら、 「サン新聞に、問い合わせてごらん。」新聞社で、サンタクロースが居るというなら、 そりゃもう、たしかに居るんだろうよ。」と、言いました。 ですから、お願いです。教えて下さい。サンタクロースって、本当に、居るんでしょうか? バージニア・オハンロン ニューヨーク市西95丁目115番地 バージニア、お答えします。サンタクロースなんかいないと言うあなたのお友達は間違っていますよ。 きっと、その子の心には最近流行の「何でも疑って信じないぞ!」って言う疑り屋さんの気持ちが強いのでしょうね。 疑り屋さんというのは、自分の目に見えるものしか信じない心の狭い人達なんでしょうね。 心が狭いから、よくわからない事がたくさんあるのですよ。それなのに自分のわからない事は皆嘘だと決めてしまうのです。 ですけど人が頭で考えられる事なんて、大人でも子供でも本当に限られたものなんですよ。 私達の住んでいるこの限りなく広い宇宙においては、人の知恵なんて小さな虫の様に、それこそアリの様に小さいものなんですよ。 その広く大きな世界を理解しようとするには、世の中の事を皆理解出来る様な深い知恵が必要なのですよ。 そうです、バージニア、サンタクロースがいるというのは、 決して嘘ではありませんよ。この世界に愛や人への思いやりの心があるのと同じ様にサンタクロースも確かにいるのですよ。 あなたにも分かっているでしょう、世界にある愛や人への思いやりこそ、あなたの毎日の生活を美しく、 楽しくしているものなのだということを。もしサンタクロースがいなかったら世界はどんなに暗く寂しい事でしょうね。 あなたの様に可愛い子供がいない世界が考えられないのと同じ様に、サンタクロースのいない世界なんて想像も出来ません。 サンタクロースがいなければ、子供らしい夢も詩もときめきもなくなってしまうでしょうし、 私達人の味わう喜びは、ただ目に見えるもの、手で触れるもの、感じるものだけになってしまうでしょうね。 そう言った子供時代の世界に満ち溢れた光も消えてしまうでしょう。 サンタクロースがいないですって?サンタクロースが信じられないなら、妖精もいないって言うのでしょうね。 クリスマスイブの夜にパパに頼んで探偵さんにニューヨーク中の煙突を見張ってもらったらどうでしょうか? ひょっとするとサンタクロースを捕まえる事が出来るかもしれませんよ。 でももし煙突からサンタクロースが降りて来なかったとしても、それが何の証拠になるのでしょうか? サンタクロースを見た人はいません、でもそれはサンタクロースがいないという証明にはならないのですよ。 世界で一番確かなもの、それは子供にも大人にも目に見えないものなのですから。 バージニア、あなたは妖精が芝生の上で踊っているのを見た事がありますか?ないでしょうね? だからと言って妖精なんていもしないデタラメだなんて事にはなりませんよ。 世界中にある見えないもの、見る事が出来ないものが、何から何まで皆人が頭の中で作ったデタラメだなんて事はないのですよ。 赤ちゃんのオモチャを分解して、どうして音が出るのか、仕組みを調べたりする事は出来ます。 でも、目に見えない世界を覆い隠しているカーテンを開く事はどんなに力自慢の人にも無理なのですよ。 ただ、信じる気持ちと想像力と詩と愛とときめきだけがそのカーテンを一時開いて、 カーテンの向こうの素晴らしい世界を見せてくれるのです。その素晴らしい世界は人が考えたデタラメなのでしょうか? いいえバージニア、それほど確かな、それほど変わらないものは世界の何処にも他にないのですよ。 サンタクロースがいないですって?とんでもない!嬉しい事にサンタクロースはちゃんといます! それどころか、いつまでも死なないでしょう。 千年後も100万年後もサンタクロースは子供達に今と変わらずに夢やときめきを運んで来てくれるでしょう。
補足
>でももし煙突からサンタクロースが降りて来なかったとしても、それが何の証拠になるのでしょうか? >サンタクロースを見た人はいません、でもそれはサンタクロースがいないという証明にはならないのですよ。 全文教えていただき、ありがとうございました。テレビでも全文だったかもしれませんが活字で見るとやはり違いますね。 この論法を幽霊や宇宙人に適用する人は多いのに、サンタに適用する人が少ない(=「いつまでサンタを信じてた?」発言をする人が多い)のは何故だと思われますか?
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補足
>1)ある説を肯定的・否定的にとらえる際の根拠というものは、 >解釈によっていくらでも見出すことができます。 肯定も否定も解釈次第でできる、というわけですよね。 大人になると否定の方に収束してしまうと思うのですが、なぜなんでしょう。 >話がかみ合わないまま、平行線をたどるのが関の山です。 私も本来そうだと思います。 しかし中学生以上の学生など「子どもに夢を」の必要が無い人たちにとっては「サンタはいない」で話がかみ合うわけです。おかしくないでしょうか。 サンタに関しても「あなたがもらってないだけでしょ」とならないのが不思議です。 私の場合「良い子でないともらえない」と信じていたからかもしれませんが。