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zu eigen
アクセス独和では、zu eigen geben というイディオムの説明で、以下のように「zu eigen」を強いて訳していないように思います。これには理由があるのでしょうか? (3格の名詞)+(4格の名詞)+zu eigen(⇒zu Eigen)geben(文語)…(3格)に…(4格)を与える
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ご質問の趣旨は、zu eigen があってもなくても訳が同じようになるのは何故か、 ということでよろしいでしょうか。 参考URLのWeb辞書で、“geben”を引いてみると、見出しの訳は「与える」で、 “zu eigen geben”と同じに見えますね。 でも、gebenの2項目めの訳語は「渡す・差し出す」となっています。 このWeb辞書の最初の例文:Peter hat mir sein Woerterbuch gegeben. は、 「ペーターは私に彼の辞書をくれた。」と訳されています。 zu eigen が入っても、同じ訳になるでしょう。 でも例えばその状況が、「誰か辞書貸して!」と言ったら、「ペーターが私に 彼の辞書を渡してくれた。」ということも、考えられるわけです、 もしこの文にzu eigenが入っていれば、「僕はもう使わないからあげるよ。」 (”私“に所有権が移る)ということが、はっきりしますよね。 というわけで、「強いて訳していない」のは、zu eigen との組合せによりgebenの 意味が「与える」であることが明確になる、というだけのことだから、だと思います。 逆にgebenだけだと「与える」とも「渡す」とも解釈できるような場合、特に文書等で 誤解のないように記載したいときに、zu eigen という語句を加えることで「所有権の 移動」を明記するためのイディオムだ、と思っておけばいいのではないでしょうか。
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”マイスター(旧版)によると"jm. et. zu eigen geben" と言う表現は イディオム、即ち慣用的表現です。慣用的表現は、元来は文字通りの意味が表に出ていたものが、長い使用期間の後、現在では ”文字通り”では一寸理解しにくい意味を持つようになったものと、私は思います。従って、現代の言葉としての意味を、単語個々の意味から考えるのはあまり実用的ではないと思います。 岩波独和では”名詞的”な用法として説明されております。 ”所有”の意味があるはずです。前置詞”zu"の”目的語”と考えて良いと思います。 これ以上深く意味を追求するのは、一般の言語学習者にはあまり意味が無いのではないでしょうか。それより、すんなりと使い方を覚えたらいいのではないでしょうか。 あなたの疑問への回答にはなってないと思いますが、、、、。