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国家老、江戸家老
江戸時代に国家老と江戸家老は対立することがよくあったのですか?そしてそれぞれが自国藩内で隠密を出し合うなどやってたのですか。隠密って家老くらいになると銘々持ち使ってたのでしょうか。
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国家老と江戸家老が対立したというより、個々の家老の対立はあり、それがお家騒動の原因になったこともありました。 自分で隠密まで抱えていたというのは大藩の大身の家老以外ではめったにないでしょう。
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現在の感覚では 藩主----社主(大株主で経営責任などには関与しない) 国家老--代表取締役社長(経営の全権を握る) 江戸家老---東京支社長兼専務(営業の責任者) こんな感じで、江戸藩邸には親代々江戸で生まれ育った「江戸っ子」の藩士がおり、一生国許に行かないものもいます。 こうなると気持ちとしては江戸さえよければとなり、国許がどうなろうが江戸藩邸だけの利益を考えますから、江戸家老を中心に、半独立状態になり、本社である国許の情勢を探るものも出てきます。 国家老は藩全体の利益を考えていますが、江戸藩邸は出先機関の分際で、金を送れというばかりで、お金を集める苦労が判らないのではないかと、疑心がありますから、参勤の時に息のかかった藩士を出張させ動静を探ります。 隠密は、家老が自分で抱える陪臣(藩士ではなく家老がポケットマネーで雇う人間)もいますけど、多くは直臣の藩士のうちで、自分の息のかかった人間に探らせ、目付けに報告させる、江戸家老は参勤で藩主が江戸にいる間に囲ってしまって、藩主の命令で金を出させると言う図式が多いと思います。 藩主自体も原則的に正室から生まれた嫡男は、江戸生まれの江戸育ちで、藩主になってからお国入りしますから、国許に愛着がない殿様は多かったと思いますし、国許でもなじみがないと考える家来は少なくないと思います。 江戸家老と国家老の対立は主に江戸藩邸の維持費の問題が多く、江戸は消費地ですからお金がかかり、節約しても足りないばかりで、国許に送金を頼むことが多く、国許としてはこれだけ節約してやっと捻出してるのに、江戸では贅沢していると考え、面白く無いと言うことも多かったようです。 その為、江戸では江戸藩邸で生まれた子供(正室の子なので順当ならそうなります)を次期藩主にしたい、国許では出来れば国許で養育している側室の子供を次期藩主にしたいと言う思惑があり、御家騒動の火種になります。
お礼
殿様も正室の子と側室の子で育ちも変わるってことですね、どうもありがとうございます。
お礼
大藩の大身の家老ですか、いつもありがとうございます。