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子孫が絶える人間の存在意義について

 自分は妻との二人暮らしで、経済的事情で子供は居ません。  要するに、「我が家」は、家系的にも遺伝子的にも、何ら生物学的な機能を果たさないまま終焉することがわかっております。  これまで、歴史上でも、食をはむこともできぬ経済的弱者の集団は、絶滅の憂き目にあい、そのたびに、有力者の子孫のみが繁栄し、その何割かが没落して、結果、身分制度が(表沙汰にはならなくとも)維持されているものと愚考します。  となると、滅び行く家系の構成員は、いつの時代も存在したことになり、現在の我々が特別な存在ではないことはわかります。  ですが、このような「滅び行く人間」としては、どのような心構えで「人生」というものをとらえればよいのでしょう?    「DNAの指令を果たした」とか「とりあえず後は子供に任せた!」という投げやりな引退劇は、我々には望むべくもありません。  ただ、生まれ、ただ、死ぬだけで、後には何も残りません。  「社会的な功績を残せば良いではないか!」と言われるかも知れませんが、そんな人間は一握りでしょう。  また「その日その日を幸せに過ごすことが出来れば、それでいいじゃないか?」とも言われそうですが(というか、現によく言われます)、それは論点をずらしただけであって、本質的な疑問の解決にはなっていません。  「人類は、どこから来て、どこへ行くのか?」という問いならばまだ救いがあるのですが、「自分は、先祖から生まれてきて、ただ死ぬだけなんだが・・・なんか意味あったの?」と考えると、やはりただの乱数の一つであったとしか思えません。  他の皆さんはどう思われますか?  何を目標に、何を考えて、生きてゆくのでしょうか?<我々  意味など無いことがわかった上でも、なお修羅の道を最後まで歩く価値があるのでしょうか? <なお、宗教関係者のご回答は丁重にお断りさせていただきます。>

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回答No.24

No.10です。 私たちは、生きること、生きたことの「証し(あかし)」が欲しい。 しかし、それが「他からの評価」や「子ども」(現物)というのは、具体的で解りやすくインパクトもありますのでそこに帰着しがちですが、直接的じゃないんですね。 他に下駄を預けているわけです。 (時には、それが人類という種だったり、時には国家だったり、会社だったり・・・・。) 私は子どもが4人います。この子らが、私の願いを一つ二つ引き継いでくれるかもしれないし、私を貶め私を利用することだけを考えるようになるかもしれません。 別の人格であることはわきまえたいですね。 また、自他の子ども分け隔てなく、社会の宝として子どもを愛することには反対はしませんが、ならば子どもから成長した大人も同じように愛しても良いのではないでしょうか。 やはり、将来への余地、可能性、白紙性という部分に期待をし、下駄を預けているのでは・・・・。 私の場合、私自身が世界とどう関わりつながるかというのが大きなテーマです。 他人から評価を受けたり自分の痕跡を残したりということに関係なく、「無条件に」感動したこと、私が「この世に生まれてきて良かった」と思ったこと。 例えば (1)美しい夕日を見たとき。 ・・・・世界にはこんなに美しいものがあったのか。 芸術家が感動を受け、更にそれを表現するというのはすごいことだと思います。 それに対する評価は後のこと。場合によっては社会的に評価されないこともあります。 例え周りが賞賛しても、自分が納得できないときには気持ちが悪いし時には創ったものを壊してしまう、それに似た体験はありませんか。 (2)美しい定理に触れたとき。 ・・・・世界の真理とつながった。ペンを持ったまま走り回りたい感じ。 数学や、理論物理学を学んだ人は割りと体験していると思います。自然科学は有用性(役に立つ)という側面と、真実性(世界の法則)を求める側面があります。 時間的にも能力的にも有限な私が、顔をのぞかせる世界の法則を理解する喜び。 (3)人の誠に触れたとき。 ・・・・誠を示した本人は今は私に文句ばかり言っていますが、その事実は確かにあった。 私の記憶も当てにできないし、忘れてしまうかもしれないがその事実は確かにあった。 他人の評価には関係ありません。 そのときの気分や、行き当たりバッタリの感情優先という意味ではなく、 真実はさまざまな場面で顔をのぞかせる、それに触れてつながる喜びを求めている。 世界と一体化したい。(けっこう本気で言ってます。) という感じです。 「真実は真実ならざるものを真実化させようとするはたらきを持つ」 というのは本当じゃないかなと思っています。 (他に誰かが言った言葉でしょうが、そうでないなら私の言葉) 例えると 山道を降りてくる人がその道の先が崖になっていて危険なことを知らない。 別の人が高い場所からその状況がよく見えて、降りてくる人が非常に危険な状態にあることを知っていたならば、そのまま降りると危険であることを知らせようとする。

nebura71
質問者

お礼

 お礼が遅れてしまい恐縮です。  再度の御指南ありがとうございます。  自分自身が生きていることそれ自体に感動することが、それすなわち生きている意味だというニュアンスと解しました。  確かにおっしゃるとおりです。  他人から評価されたり、良きにしろ悪しきにしろ足跡を残すことを生きる意味にしてしまうと、それ自身を貶めるような気がしてきました。  ただ、逆に、「そのような感動」を感じることすら出来なくなった場合には、意味性自体が消滅してしまう危険性も感じました。  今、まさに、自分はそのような状況にいると思います。  あきらめた時点で終わりなのかも知れません。  ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (23)

回答No.3

世の中を「乱数」と表現するからでは?と思ってしまいました。 つまり、人間として生活の営みがある以上、誰かと関係し、誰かに影響し、それが何かに影響を及ぼし、世界があると思うからです。 子供を作らなくても、歴史に特別名を残すような功績が残せなくても、あなたが影響していた何かがあったからこそ、何かが起こったという事も考えられなくもないのです。 もしも・・・と言っても証明のしようがありませんが、もしかしたら、私があの時、あんな事をしなければ、911のテロが起こらなかったかも・・・というような事があるかもしれません。 逆に、有り得ない、あるわけがない、絶対違う、と証明も出来ないのです。 私たちを数字に例えるなら、隣と足したり、愛する人と掛けたり、友人と割ったり、同僚と引いたりしていて、その結果がこの地球で起こった全ての事のような気がしています。 ちなみに私の宗教背景は、実家に仏壇もあり、神棚もあり、お寺に行けば先祖の墓もある、日本の普通の家庭の宗教背景です。

nebura71
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。 >ちなみに私の宗教背景は  あ、いえ、この手の類の質問へ「自信なし」でご回答いただける方々については、その宗教的な背景は疑っておりませんのでご安心を。  確かに、人間1人1人は何らかの因果関係で結ばれているものでしょう。どんなに人間関係が希薄な人間であっても。  ただ、それは「存在しているが故の結果」であって、「存在をし続けるための理由」ではないような気がするのです。 (だからといって「自殺しよう」とかいうのではないですよ。誤解無きように。あくまでも哲学的な話です。)  それを言ったら、人間以外の動物は「目的」を持って生きているのか? と問われそうですが、それは逆説的な意味で然り。  人間も動物の一種であり、自然状態に於いては「人生の目的」など考えもしない生命体なのだとしたら、「何も考えない、ただ存在するというだけの雑多な存在」だというのが本質で、「目的」だの「意義」だのを大層に考えるからおかしいのだと言われかねません。  もちろん、「目的」や「意義」や「歩むべき道」が無いとも証明できないわけですが・・・

  • yonchura
  • ベストアンサー率33% (51/152)
回答No.2

お子さまがいなくても、社会を構成する要素としての個人でありますよ。 子供を育てるのは両親だけじゃなくて、社会という第三者も大事です。 もちろん次世代だけじゃなくて、同世代や、上の世代にだって人間生きてる限り影響を与えます。 修羅なんて言わないで、周りの人を笑顔にしてあげられる生き方をして下さいな。

nebura71
質問者

お礼

 周囲の人間への笑顔の配布・・・が目的、と割り切るのも良いですね。  問題は、笑顔が出せるような状況でないような状況において、いかに笑顔を絞り出すかという方法論かも知れません。  それが修行というものでしょうか?(人生の修行ですよ。)

回答No.1

何を目標に、何を考えて、生きてゆくのでしょうか? まさに、これだと思います。 そういったことを考えるのが人生なんじゃないか、と思います。 私は、ネイティブアメリカンの言葉 生まれてくる時に、周囲の人々が笑って生まれたのだから 死ぬ時には、周囲の人々を笑わせて逝きなさい この事を目標として生きています。

nebura71
質問者

お礼

 夜分にどうも。  なんとなくおっしゃらんとするところはわかりました。  「人生について考えることが人生の目的である」と。  ただ、少々、循環論的なきらいがあるような気がします(学術的な指摘なので、お気を悪くなさらないでください。)。  「死ぬときに周囲の人々を笑わせる」ですか!  いい言葉です。  そのためだけに生きるのも刹那的な気がしますが、せいぜい笑わせてやりましょう(笑) (すべったらどうしよう・・・???)

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