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東京の地名について

東京の地図を見ていると、不可解な点がある。 これらはいったいどういう事なのか? (1) 「町」がつく地名で    大手町・田町・御徒町・小川町等は「マチ」と読み    有楽町・浜松町・歌舞伎町・永田町等は「チョウ」と読む    なぜ2つあるのか? (2)  東京は関東平野の真っ只中にあるのに     渋谷・四ッ谷・市ヶ谷等「谷」のつく地名がある。     どうして?

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  • azuki24
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回答No.6

東京は平坦な土地のように思われがちですが、実際は台地と谷川と坂の町です。全体の標高差は20m程度ですが、小さなアップダウンがいたるところにあります。 地形的には、大昔に海だった下町低地と、武蔵野台地の先端にあたる山の手に分かれます。武蔵野台地は、その間を流れる川によって幾つかの台地に区切られています。台地の各所には入り組んだ谷があって、谷底にあたる川に注いでいます。 都心部に関していえば、大雑把にいえば北から順に以下のようになります。  【上野台地】 ~~石神井川~~  【本郷台地】 ~~小石川~~~  【豊島台地】 ~~神田川~~~  【淀橋台地】 ~~目黒川~~~  【荏原台地】 ~~多摩川~~~ ちなみに、地名(住所)にこれらの地形名が付くのは以下の通りです。 【谷】 阿佐谷、下谷、古千谷、雑司が谷、四谷、市谷、渋谷、松が谷、神谷、世田谷、雪谷、千駄ケ谷、祖師谷、大谷口、大谷田、谷河内、谷原、谷在家、谷中、日比谷、入谷、粕谷、幡ケ谷、碑文谷、富ケ谷、糀谷 【台】 稲荷台、旗の台、玉川台、高野台、桜台、三原台、市谷台町、十条台、初台、小山台、小台、上池台、常盤台、駿河台、西台、青葉台、石神井台、赤羽台、千歳台、台場、台東、中台、南台、南平台、白金台、尾山台、氷川台、富士見台、平和台、麻布台、目白台 【坂】 柿の木坂、宮坂、坂下、坂町、神楽坂、赤坂、道玄坂、麻布永坂 名前の付いた「坂」はこれ以外に相当な数がありますが、地名(住所)になっているのは以外に少ないです。

jumpup
質問者

お礼

ずいぶんたくさんあるんですね。 どうもありがとうございました。

その他の回答 (5)

noname#107878
noname#107878
回答No.5

 (1)については、特別の意味はないようです。これらは単に語呂の問題として受け止めてもいいのではないでしょうか。と言いますのは、元々は「内藤新宿」だとか「浅草」「蔵前」といった風に「町」が付かない地名が定められ、後世、あらためて「町」として地名が作り直されたからです。  お挙げになった町名のほかにも、古くから「チョウ」と読む地名は沢山ありました。  忠臣蔵の討入りのシーンで、赤穂四十七士の宿敵吉良上野の守が住んでいたとして有名な「本所松川町」をはじめとして、尾張町(現在の銀座4丁目あたり)だとか、神谷町(同虎ノ門)、黒門町(同上野)、神保町、小島町、荒木町、柳町などは「チョウ」でしたが、この中の幾つは消えてしまいました。  また「マチ」と読む地名としては古くから箪笥町とか鉄砲町に大工町(現在地不詳)、四国町(現在の芝3丁目付近)、大井町、麹町などもあります。  (2)の「谷」ですが、まず、渋谷は元々小川が流れる谷でした。現在では暗渠になっていますが、わたくし自身が知っている範囲でも、JRの線路に沿った現在の渋谷公園あたりにはかなり汚れた川がありました。  渋谷駅付近を境として両側に登る道玄坂と宮益坂が渋谷が低地であったことを証明していると言ってもいいでしょう。  ちなみに童謡「春の小川」でサラサラ流れている小川とは渋谷川のことです。また、「谷」を「や」と読むのは、元々「谷」は「やと」とか「やつ」とも読まれてきたことに由来します。横浜や鎌倉にはまだこうした地名が幾つか残っています。    また、四谷、市谷、雑司が谷、こうした「谷」のつく場所はやはり元々は低地であったと言われています。  家康がこの武蔵の国に築城し、地名を江戸とした頃には、江戸は低い湿地帯と小高い丘がうねるような地形であったと言われています。  四谷や市谷は谷であったことから江戸城の築城の際にこれをそのまま外堀として利用したものですが、後に玉川上水の流末となる神田川ともつなげて利水を計ったもののようです。現在も法政大学の市谷校舎の下あたりにその面影が残っていますが、今日でもここを外堀と呼んでいます。  今の神田あたりも小高い山地であったらしく、現在の駿河台あたりにその面影が残っていますが、こうした高いところを崩して海の干拓を進めた、それが今の築地や月島(築島)の語源と言われています。

jumpup
質問者

お礼

詳細な解説ありがとうございました。 どこの街もそうでしょうが、地名には奥深い意味があるんですね。

noname#37852
noname#37852
回答No.4

(2)について。 昔の地形から付いたようです。 低地で水気が多くて脆弱だとか・・・・。 http://www.niceliving.net/jiban/jiban/jiban27.html http://www.assist-you.net/column/02.htm 私も詳しくは知りませんが、江戸のあたりは元々は低地で水気の多い土地でした。 それを徳川家康の頃から埋め立てて、江戸の町が発展したんだそうです。

参考URL:
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/edo_hanni.htm
  • hiroki0527
  • ベストアンサー率22% (1101/4910)
回答No.3

2)渋谷は行けば分かりますけど、谷ですよ。 それなりに急な。 山手線では全く分かりませんけど。 青山から三軒茶屋方面に行けば分かります。 銀座線が地上3階に駅を作る必要があったほどね。 なので、谷で間違い有りませんね。 江戸時代道玄坂には辻斬りや窃盗が出るくらいの所でした。 明治まで村だったしね。

noname#30893
noname#30893
回答No.2

まち。ちょう。の読み分けは東京に限らず全国でも言えると思います。 これについてはわかりませんでしたが、 (2)については下記リンクを参照してください。

参考URL:
http://www.shibuya-kushoren.com/yurai/index.html
noname#22488
noname#22488
回答No.1

1.この間ジャポニカロゴスでやっていましたね。  江戸時代に町人が住んでいたところが”チョウ”で、武士が住んでいたところが”マチ”だそうです。 2.実際に谷(というか周りより低い)だ(った)からです。  他にも窪やらつくところも同様。

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