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日本女性

外国人に昔の日本の女性の事を説明したいのですが、男の人の意見が絶対で女は男に従うみたいな感じは今から何年前までのことなのでしょうか?昭和の最初もそうですか?教えて下さい

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  • tewpi
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回答No.5

戦国時代のようないわば「戦時下」において、その戦に直面している武家の中で、男性が比較的強権になるのは否定できないと思います。 しかし、その武家社会の確立した江戸時代でさえ、ある程度の男性優位がシステム的にでも認められていたのは、武士階級だけであったと思われます。 その武士階級の中でさえ、いや女性の人権抑圧の最たる象徴のような大奥でさえ、大奥内の采配はある程度自治権的システムが認められており、将軍でさえ口出しできない部分がありました。 いわんや町民階級では、女性の立場は当時の他国文明社会においては、世界でも類を見ないほど強かったと言えます。 もちろん、いくら文明社会とはいえ、現代に比べると人権観念も、法制度、司法システム等すべてにおいて劣っていますので(つまり別の言い方をすれば、より弱肉強食的社会と言うことです)、現実面においては男性の方が強い立場であったのは事実です。 しかし逆の言い方をすれば、弱肉強食であったがゆえに「男だから」というだけで保護される社会ではなかったのも事実です。 他の回答者の方が言われる通り、男尊女卑的観念が庶民階級まで及んでいたのは、富国強兵を旨としていた明治憲法下、特に太平洋戦争前後かもしれません。 ただ、ある小説の中で、戦後生まれの夫が「あ~あ、親父の時代はよかったよな。男が威張れてさ。戦後女と靴下は強くなっちゃたよ」と父親に愚痴ったところ、その父親が息子に「おまえ、母さんが弱そうに見えたか?」と言い返すシーンがありましたので、それも疑問ですが(笑) 昔から言われるのは、日本の女性は弱いふりをして男を手の上であしらう。 男は釈迦の手の上の孫悟空だ、ということです。 考えても見てください。 もしも黒人差別が無ければ、人種解放運動は発生しません。 それと同様に、女性差別が強く存在したからこそ、欧米ではウーマン・リブが発生したのです。 その意味で、戦後アメリカの影響が強く及ぼされるまで日本に女性解放運動が盛り上がらなかったのは、その必要性が無かったとも言えるのではないでしょうか?

その他の回答 (6)

  • de_n
  • ベストアンサー率28% (23/80)
回答No.7

日本で、いわゆる「男尊女卑」が元気だったのは、 江戸時代の中ごろから終戦までだと思います。 そして、急速に元気がなくなったのはウーマンリブが騒ぎ出したあたりです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%96%E9%81%8B%E5%8B%95 「女は男に従いなさいよ」ということを、”わざわざ言う”ようになったのって、 『女大学』あたりからじゃないでしょうか。 http://www.tanken.com/onnadaigaku.html 質問者さまの「昔の日本の女性」のイメージって、『女大学』じゃないですか? この『女大学』、当時(享保)はあまり受け入れられなかったそうです。 明治時代になって、富国強兵だの殖産興業だのと日本が近代化に向けて盛り上がる中で、 「良妻賢母をつくろう」という動きが高まり、女学校などでもてはやされるようになってから、 本格的に広まったらしいです。つまり、明治政府が推し進めたんですね。 もちろん、江戸中期以前は男女平等だった、というわけではありません。 だいたいどこの世界でも、昔は「力の強い男が偉い」という風潮があるものですし。 江戸時代も終わりになると、既婚者が浮気した場合の罰則で、 「妻の場合は死刑」というのがあったくらいです。 (夫の場合は忘れましたが…そんなに重くは無かったと思います) 江戸中期になって”わざわざ”こういうことを言う人が出てきたのは、 「イエ」制度の確立が原因だと言われてますが…長くなるのでここでは割愛します。 ともかく、「男の人の意見が絶対で女は男に従うみたいな感じ」は、 今から60年ほど前に「やめようよ」と言いはじめ、 40年ほど前に「やめねぇかコラ!」になったと思われます。 ですので、昭和の最初もそうです。

  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.6

日本女性は確かに自由を享楽した時代はありましたが、公的権利という点では弱者であったのも事実です。 特に明治以後終戦までは弾圧ないし抑制を強いられ、多くの女権論者がそれに抵抗しました。 この変革は終戦後完全な普通選挙が実施されて女性にも選挙権が与えられて、公的権利に参画する事が出来るようになって終わったのです。 それまで選挙権は男子の有資産者に限られていました。 

  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.4

日本の女性は、世界的にめずらしいほど、主体的な生き方ができました。 男性優位な社会は、明治以降の戸籍法ができてからのことです。 それ以前は、#3の方の回答にあるように、日本では女性にも財産権がありました。 財産権とは、土地や金品などを自分の所有であると宣言できる権利です。 離婚の時も、確かに三下り半(離婚書類)を書けるのは男性だけでしたが、離婚後は女性が持ってきた持参金を返還する義務があり、これができない為に、離婚ができないと嘆いた落首もあります。 諸外国では、持参金は結婚後、男性の所有になります。(もともと財産権が女性にないため、新婦の父から新郎に贈与するという形になります) また、家紋についても女紋というものがあり、男性が主になる「家」とは別に女系の家系を継続させるという機能も日本社会はもっていました。 戦後、元に戻ったみたいです。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.3

>>男の人の意見が絶対で女は男に従うみたいな感じ 明治時代の途中からならこれであってます。 これは富国強兵政策で、兵士増強の為に男尊女卑の社会にしたからです。 国がもっと兵士のための男子を!!と叫んだためです。 それに右に倣っただけです。 江戸時代の庶民の財産権が女性にあったことを教えてあげましょう。 何故ならば、庶民は兵士ではなかったからです。 近代の欧米は男は武器を持って戦うのが普通ですが、 江戸時代に庶民が武器所持は禁止です。 欧州は革命で庶民に武器所持が増えました。 アメリカは銃社会ですし。 明治時代も民間人を兵士にしてしまったので、民間人に武器所有が増えました。 そんな物騒な世の中になってしまったので男が守るしかなくなってしまったのです。 武器所持者が威張るのは基本でしょう?

  • Pesuko
  • ベストアンサー率30% (2017/6702)
回答No.2

ボーダーラインは2次大戦でしょう。 それまでにも細々女性人権など叫ばれてましたが 終戦以降活発化。

  • ymmasayan
  • ベストアンサー率30% (2593/8599)
回答No.1

直接の答えではありませんが女性の選挙権が認められたのは第二次世界大戦の戦後です。 明治末から運動は続いていたようですが。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E6%80%A7%E5%8F%82%E6%94%BF%E6%A8%A9

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