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七年戦争でプロイセンが強かった理由

七年戦争でプロイセンが強かった理由は何ですか?兵力差が1対30以上あったのに...フリードリヒ大王はすごいですよね。

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  • ベストアンサー
  • nacam
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回答No.1

フリードリッヒ大王の軍隊が強かった秘訣は、よく訓練された常備軍にありました。 戦時に臨時に雇う傭兵ではなく、常備軍を設け、常に訓練を絶やさず、号令により速やかに行動できました。 敵との会戦の時も、敵よりも早く戦闘隊形をとり、敵の攻撃前に攻撃ができたため、敵を圧倒しました。 また、敵よりも素早く機動できたため、敵の不意をつくなどの行動がとれました。 さらに、7年戦争においては、プロイセンは、内線であったため、特定の軍を効率的に利用する事ができました。 しかし、相次ぐ戦いで、精強だった常備軍が消耗してくると、練度の低い兵士を徴用せざるをえなくなり、それまでの軍の効率的運用ができなくなると、連合国に圧倒される事になり、ついには、ベルリンを占領されるところにまで追い詰められます。 ロシアの戦線離脱、イギリスのフランス植民地への侵攻などにより、かろうじてフリードリッヒは、助かります。 フリードリッヒ大王といえども、国力の違いは、どうにもなりませんでした。 フリードリッヒの失敗例を考慮し、軍制改革を行ったのが、ナポレオンでした。 そのナポレオンの圧倒的強さに苦しみながら破ったのが、プロイセンの参謀本部の考え方でした。

その他の回答 (1)

  • a-koshino
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回答No.2

七年戦争は、内線作戦の成功例の一つです。 内線作戦とは、周囲の敵が合流、あるいは包囲の態勢に入る前に、各個撃破する作戦で、敵の先手を取る機動力が成否を分けます。 プロイセンは各地に物資を集積することで、軍隊による略奪の必要性を減らし、統制を保ったまま長期の行軍を行なうことができました。自国の軍に荒らされることが減った農村からは、戦争が長期化しても食料と兵が供給され、プロイセン軍を支えました。(強引な徴発と徴兵によるものですが)

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