第一次大戦の影響
第一次世界大戦はオーストラリアに破壊的な衝撃を与えた。
1914年当時の男性の人口は300万人に満たなかったが、その内およそ40万人が志願して出征。
そして6万人が帰らぬ人となり、何万もの人が負傷し、多くは重傷であった。
二度の大戦にはさまれた時期は、多くの兵士が生活を再建しようとした、不確実で不安定な時期であった。1930年代の大恐慌の厳しい時代には、多くの金融機関が破綻し、社会的、経済的な層の二分化がよりいっそう顕著になった。
第二次世界大戦は大変ではあったが、ある意味では、オーストラリアが国力を高揚することのできた歴史的な出来事であった。オーストラリア軍は、ヨーロッパ、アジア、大平洋で連合軍の勝利に大きく貢献した。スノーウィー・マウンテン計画は、近代世界の7大土木事業の一つとされている。
完成までに25年を要したこの計画は、世界最大規模の複合的総合水利・水力発電計画の一つである。
1949-74年の間に、30カ国からの労働者延べ10万人以上が建設のために働き、1959年の最盛時には7,300人に達した。
第二次大戦後の平和と繁栄
第二次世界大戦の終結とともに、オーストラリアは好景気を迎えた。20世紀に入って製造業の従業者は着実に増え、戦時中出征した男性に代わって工場で働いてきた女性たちの多くは平和になっても引き続き職場に留まることができた。小麦や羊毛のような第一次産業部門の生産高は増えたが、農業部門の労働者の割合は減り始めた。
1950年代に入ると、鉱物資源の開発や、オーストラリア南部の山岳地帯での大規模な複合的水力発電事業「スノーウィー・マウンテン計画」のような大型の国家建設プロジェクトによって、オーストラリアの経済は力強く成長した。
また1950年代は、郊外に不動産を持つ富裕層が拡大して、政治的に安定した時期でもあった。この時期には個人の持ち家率が着実に増加し、1947年にはわずか40%であったのが1960年までに70%を超えた。
第二次世界大戦後に始まった移民の流入は続き、過去50年間に世界のおよそ200カ国から人々が移住してきた。
この中でまとめたらどうでしょうか
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