• 締切済み

日本近代史

現在、日本の経済史を学んでおり、知識を整理したいのですが、以下の文は正しいでしょうか?添削お願いいたします。 ペリー来航に始まる強制的な開国により危機感を持った幕府(政府?)は軍備増強を行う。この軍備増強は海外の借款により行われたが、その後返済難に陥る。返済できなければ植民地化の恐れが高まるため明治政府はこの借金を返すため(=カネを集める)ために西欧からの技術導入を積極的に行った。お雇い外国人などがこの一例である。また、一方で外資導入には消極的であった(植民地化がさらに進行する可能性があるため?)。そして、この技術導入は日本の産業革命や、信用貨幣の創造、銀行制度や株式会社の確立に繋がった。 また、上記の文章は幕府終期~明治にかけ日本の植民地化が防がれた理由の1つとなりますか?

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noname#224207
noname#224207
回答No.5

No.3です わざわざお礼を記入頂きありがとうございます。 ご質問されたのは大学のレポート作成の一助とのことのようですが、お役に立つかどうか分かりませんが説明させて下さい。 経済関係の授業のようですので、経済の基本である需要と供給の観点から見るのは如何でしょうか。 日本を植民地とする需要が欧米諸国にあったのか否かという観点です。 植民地の位置づけがスペインやポルトガルの時代、日本でいえば織豊時代と幕末とでは欧米が植民地を持つ目的といいますか要求が違っていました。 15~16世紀には天然資源の供給源という位置づけでした。 天然資源を自由に入手するにはその土地を自国の支配下におくことが最も簡便です。 ここで入手する資源は、流通する商品である必要があります。 栽培される作物は商品作物です。 結果としてプランテーションと呼ばれる単一作物を大規模に集中栽培される方式がとられました。 コーヒー、綿花、天然ゴム、砂糖キビなどです。 食用ではありませんので、植民地化された地域の住人は食料不足となり疲弊してしまいます。 アメリカ南部がイギリス統治時代から綿花の生産地でそれが独立後も南部経済をささえ、労働力としてアフリカから大量の奴隷がつれてこられたことをお考えください。 東南アジア諸国が温暖な気候にもかかわらず現在も貧困に悩まされているのはこの植民地時代のプランテーションの後遺症です。 幕末の17世紀には、産業革命の結果生まれた工業製品の原材料とできた製品の市場という意味合いに変わりました。 イギリスがインドを植民地化した目的も綿布です。 インドの綿花を輸入して綿布を生産していましたが、インド産のものには品質的に及びませんでした。 大量の綿花を手に入れるのと良質の綿布を手に入れるのには通貨としての銀が大量に必要でした。 この銀を入手するために中国にインド産のアヘンを売り付けました。 中国ではアヘン中毒患者が蔓延し大量の銀が流出しました。 これの解決を目指したのがアヘン戦争です。 インドを完全に植民地化するのには長い期間がかかっています。 当時のインドには中央政府がなく各部族ごとの寄り合い所帯でした。 イギリスはこの個々の部族との戦争を繰り返すことで結果としてインド全域を植民地化しました。 この情報は幕府のみならず維新を遂行した武士も入手していました。 入手時期の違いはあります。 明治政府が統一国家をめざしたのもこの情報が大きく影響しています。 薩英戦争のように個別に戦争していたのではダメだということです。 あとは経済問題とはすこしズレますが、外交交渉というものが持つ性格です。 対立的関係においてでも自国の意思を実現する能力がなければ外交交渉は成り立ちません。 国力とよばれるのがこの能力です。 国力の強弱は自然、国民、軍事力、経済力、技術力によってきめられます。 明治政府は不平等条約の撤廃に苦しんでいましたが、国力が圧倒的に違うために外交交渉が成功しませんでした。 この為に、軍事力、経済力、技術力の充実を図りました。 それに必要な知識をもった外国人を教師として招聘しました。 ざっと以上のような観点からレポートを作成してみては如何でしょうか。 参考 国力 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/国力 外交 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/外交 植民地 - 世界史の窓 www.y-history.net/appendix/wh0901-054_0.html インドの植民地化とイギリス経済 / 世界史 by 逆転検事 |マナペディア| manapedia.jp/text/1444 プランテーション - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/プランテーション

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11072/34514)
回答No.4

#2です。 >諸藩が諸外国に借りていた金のことだと思われます。 ???。なんの話ですのん?私は幕末史はそんなに詳しいほうじゃないので知らないだけかもしれませんが、そんなん初めて聞きました。「諸藩」が「諸外国」に借りてたってことは、借りた藩が複数あって、貸した国も複数あったってことでしょうか。申し訳ないですが、ソースを教えて頂けませんか。私は明治維新で諸藩がどうなったかって本を読んだことがありますが、そこで「外国からお金を借りた」って話を読んだ記憶がありません。武器を買い付けたって話は一杯出てきますけどね。 大変失礼ながら、基礎的な部分で思い違いされているところがあるのではないかと思います。とりあえず経済学的見地からはこういうものがあるのでまずは参考にされてみてはいかがでしょうか。わたしゃ経済学の基礎知識がないので半分くらいしか理解できませんけども。 http://www.nri.com/jp/opinion/chitekishisan/2005/pdf/cs20050108.pdf これをご覧いただければ、「思ったよりややっこしい話だ」ということがお分かり頂けるかと思います。お雇い外国人の影響って、そんなにあったかなァと思いますね。日本が諸外国の植民地にならなかったのは、結果としてそうなったというべきであり、もちろん明治の元勲は日本を植民地にさせずに近代国家に変貌させようと頑張ったわけですが、質問者さんが思ってらっしゃる方向性とは違うように思います。 また西欧列強が日本に派兵しなかったのは、おっしゃるようにアメリカは南北戦争の影響で、欧州諸国は#3さんがおっしゃるようにクリミア戦争の影響が大きかったと思います。「そんな遠い遠い東の果ての国のことに構っている場合じゃ」なくなったのです。 また清が彼らにとって巨大な市場だったのかというとそういうこともないと思いますなァ。確かにイギリスはアヘンを売りつけて莫大な利益をあげましたがそれってマフィアのビジネスであってちゃんとした交易とは言い難いですよね。売ってるものが売ってるものですから広く一般に浸透するものでもありませんしね。

noname#228012
質問者

お礼

再度回答ありがとうございます。 >諸藩が諸外国に借りていた金 確かめてみたところ、諸藩が外国商人に借りていた金でした(1971年とあるので明治期に借りている金かもしれません)。申し訳ありません。画像を貼っておきます。 >思い違い 仰る通りです。私には日本史経済史ともに知識全く足りていませんので……。深く勉強したいのは山々なのですが。 URL貼って下さりありがとうございます。拝見いたしましたが私には大変難しかったのでまた砕いて読み直してみようと思います。 >清 あれだけ巨大な国なので何かしらの影響はあるだろうと思っていたのですが、アヘンの件を見ると確かにそうですね。

noname#224207
noname#224207
回答No.3

>上記の文章は幕府終期~明治にかけ日本の植民地化が防がれた理由の1つとなりますか? 全くなりません。 単なる当て推量です。 経済史の整理に当たり、事前にご自身独自のストーリーをお考えになられて、そのストーリーを補完補強するために史実を牽強付会されておられませんか。 あらゆる史実を植民地化という言葉に集約されておられませんでしょうか。 >ペリー来航に始まる強制的な開国により危機感を持った幕府(政府?)は軍備増強を行う。 開国とされておられますが、江戸幕府は鎖国をしていた訳ではありません。 交易相手を限定して幕府が交易を独占していただけです。 ナポレオン戦争も承知していました。 アヘン戦争の顛末も直後に正確に把握していました。 ペリーの来航も事前に知っていました。 これの情報を独占秘匿していただけです。 知らなかったのは明治維新を遂行した薩長の下級武士達です。 鎖国という言葉も一般化したのは明治以降です。 ペリーの来航もアメリカ政府が植民地化を目的としたものではありません。 >この軍備増強は海外の借款により行われたが いかなる根拠でしょうか。 植民地化を目指す国家がそれに対抗する軍備増強の費用を貸し付けるとお考えですか。 他の回答者がご指摘されておられるように、幕府が借款したという史実はありません。 >返済できなければ植民地化の恐れが高まるため明治政府はこの借金を返すため(=カネを集める)ために西欧からの技術導入を積極的に行った。 借金返済の為に技術導入がなぜ必要とお考えでしょうか。 明治政府はカネ集めために殖産興業政策を取った訳ではありません。 富国強兵策も外交交渉に必要不可欠という観点から遂行されたのであって、植民地化を恐れてやったのではありません。 外交交渉が失敗すれば結果として、植民地とされることはあっても、それを前提にした富国強兵策ではありません。 >お雇い外国人などがこの一例である。 外国人を指導者として招聘したのは、植民地化を防止するための政策などではありません。 >一方で外資導入には消極的であった。 必要もない資金を導入しますか、経済史であれば、外資導入の必要性に関して再度お調べ願います。 >植民地化がさらに進行する可能性があるため 既に植民地化されていたとお考えでしょうか。 ご自身の文意として矛盾していませんか。 >日本の産業革命 ??? 意味がよく分かりません。 参考 黒船来航 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/黒船来航 日米和親条約 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/日米和親条約 岩倉使節団 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/岩倉使節団 抜粋 1.条約を結んでいる各国を訪問し、元首に国書を提出する 2.江戸時代後期に諸外国と結ばれた不平等条約の改正(条約改正)のための予備交渉 3.西洋文明の調査 (中略) 直に西洋文明や思想に触れ、しかも多くの国情を比較体験する機会を得たことが彼らに与えた影響は大きかった。また同行した留学生も、帰国後に政治・経済・科学・教育・文化など様々な分野で活躍し、日本の文明開化に大きく貢献した。 文明開化 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/文明開化 殖産興業 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/殖産興業 抜粋 明治政府が西洋諸国に対抗し、産業、資本主義育成により国家の近代化を推進した諸政策 富国強兵 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/富国強兵 (抜粋) 明治政府はかつての尊王攘夷派主導で確立された政権であったが、成立前後は開国和親政策に転換するとともに万国並立・万国対峙を掲げて列強に国力・軍事両面で追い付くことによって条約の改正と国家の保全を目指した。そのため、西洋文明の積極的導入(「文明開化」)を推進し、地租改正や殖産興業で経済力をつけ(=富国)、徴兵制や軍制改革により軍備を増強(=強兵)することで国家の自立維持を図った。陸軍はフランス後にドイツを模範とし、同様に海軍はイギリスを模範とした。 世界史レベルで見た場合日本が植民地化を免れたのは、日本独自の努力よりも、同時期に起きていたクリミヤ戦争でヨーロッパ諸国は国力を消耗していた上に、その始末の外交交渉に専念せざるを得なかったのが大きな原因とされていますが、この点については如何でしょうか。 東南アジアの植民地でも宗主国間での争奪抗争が熾烈になっていて新たに植民地を獲得する国力は既に持ち合わせてはいなかった、という点についてはどのようにお考えになられますか。 スペイン、ポルトガル、オランダなどの古い宗主国とイギリス、フランス、ドイツ、アメリカなどの新興宗主国が台頭していた時期ではありませんでしたでしょうか。

noname#228012
質問者

お礼

回答ありがとうございます。拝見させていただきました。 「なぜ植民地化されなかったのか?」という問いを教師から出されており、私なりに大学の講義内容から考えてみた結果ですので、仰る通り当て推量です^^; >借金返済の為に技術導入がなぜ必要とお考えでしょうか 考え直してみたのですが、借金返済のための技術導入ではなく、 「外資導入(借金)が多くなれば外国から付け込まれるため、外資導入は控えめに、海外からは技術導入(exお雇い外国人)だけに留める。」 ということでしたら筋は通りますでしょうか。 >日本の産業革命 イギリスから始まり、その後日本にも遅れて波及した産業革命のことです。 >世界史レベルで見た場合~ 私もこちらの考えの方が植民地化された理由としてしっくり来ます。もしかしたら日本国内の状況など世界レベルで見た場合小さくて理由にもなり得てないのかもしれません。ですが、わずかなことでも良いので、日本の内状が植民地化を防いだ一因になったのかどうかを確認したくて質問致しました。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11072/34514)
回答No.2

はて、江戸幕府は外国に借款なんてやったっけ?と思いましてちょっと調べてみたのですが、小栗上野介が横須賀製鉄所を建設するためにフランス政府に600万ドルを借款したって話でしょうか。このページにありますが、その契約はいわゆる「借款」には当たらないという解釈が正しい気がします。 http://tozenzi.cside.com/syakkan.html このページが指摘するように、担保や期限や利子についての記載が一切ないので、いくら昔のこととはいえ、これはきちんとした契約ではなくほとんど口約束を文書にした程度のもののように思えます。そもそも、武士である徳川幕府側には「借款」という契約の概念がなかったと思うのです。江戸時代初期の幕府首脳の言葉で「商人というやつは他人のものを右から左に運ぶだけで自分は全く働いていないのに金をとるけしからんやつらだ」というのがあり、これが江戸時代を通じた武士の基本的な経済観念だと思うのです。江戸時代に各藩や幕府は商人から莫大な借金を抱えますが、担保も利子もないんです。しかも「おい、金を貸せ」という上から目線です。 あと、幕末に金が流出して結果ハイパーインフレが起きてしまいますが、それについては質問者さんは影響はどうであったか経済学的見地からどのような見解を持っていますか。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%95%E6%9C%AB%E3%81%AE%E9%80%9A%E8%B2%A8%E5%95%8F%E9%A1%8C >上記の文章は幕府終期~明治にかけ日本の植民地化が防がれた理由の1つとなりますか? 「植民地化が防がれた」とするなら、「なぜ外国は攻めてこなかったのか」の説得力のある説明が必要となります。「日本が近代化したから植民地にするのはやめた」なら、なぜ他の植民地を近代化しようとしなかったのか、また日本が近代化することでアジアで脅威となる前に軍事力で優位にあるうちに攻めなかったのはなぜか、という説明ができないかと思います。 「日本が近代化する前に、なぜアメリカやイギリスやフランスは日本に攻めてこなかったのですか?」と逆質問しますが、それに対してどのように回答されますか?

noname#228012
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ややこしい言い方をして申し訳ありません。確かめてみたところこの借款というのは、諸藩が諸外国に借りていた金のことだと思われます。一応藩⇔外国とのやり取りなのでこの場合「借款」で合っているのかな…? >幕末に金が流出して結果ハイパーインフレが起きてしまいますが 当方、日本史についても経済についても全くの素人のため(まだ勉強を初めて1ヶ月程です…)、この影響について見解を述べる程の知識がなく、インフレの背景は分かるのですが結果どのような影響があったのかはさっぱりです。 回答者様の考えをお聞かせ願えればと思います。 >日本が近代化する前に、なぜアメリカやイギリスやフランスは日本に攻めてこなかったのですか? この理由について無知なりに自分で調べてみたのですが、 ・隣に清という巨大市場が存在するため ・アメリカでは南北戦争が勃発し、それどころではなかったため ・日本は(幕府の力は弱まっていても)一応は統一国家であったため ・日本は極東に位置するため 等が大きいのではないかと思いました。こちらについても回答者様の意見をお聞きしたく思います。

  • hk8854
  • ベストアンサー率16% (138/839)
回答No.1

大体宜しいかと思いますが 何処かインパクトに欠ける様に思います 何処がと問われると困るのですが 強いて言えば全体的に と言うしか有りません 此所まで調べ上げた労力はかいますが 果たして明治政府は何処迄返済に追われていた か その本質を追及されては如何でしょう

noname#228012
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 本質を捉えなければやはり答えは出せませんよね。もう少し深く追ってみようと思います。

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