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なんで粒子に個別性を認めない?

量子力学では粒子の個別性を完全に認めないですよね。そこからFermi粒子、Bose粒子という考えが出てくるわけですが。 これは粒子を測定で区別できないから、というわけではないんですよね? どういった根拠で個別性を認めないのでしょうか。 「量子力学では個別性を認めないから」という文章しか読んだことがなくて、いつも疑問でした。 測定の精度が問題なら個別性を認めている古典粒子も測定では区別できないと思うので、測定の問題ではないとは思ってるんですが… それとも古典粒子という考え自体が理想的なモノなのでしょうか? よろしくお願いします。ヒントや文献紹介などお待ちしております。

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回答No.3

直感的な説明はleoさんがしていますし、ギブスのパラドックスについてもkyongsokさん自信も、そしてnablaさんの指摘もありますが、少し補足させてください。 はっきり言ってしまうと、粒子が区別が付かないというのはそれ以上の説明を我々はしらないんだと思います。実際そうなっているという以外答えがないんです。しかし考え方を変えてみると良いのかもしれません。つまりなぜ昔の科学者は粒子同士の区別が付くと思っていたんでしょう? それも全ての性質が同じ粒子ですよ?どうして区別が付くんでしょうか?  さて少し違う視点から。区別が付く付かないはもしかしたら人間の能力、または測定装置の限界精度の問題かもしれないと考える事が出来るでしょうか? 区別が付かないのは、粒子に違いがないから識別が出来ないだけで、粒子自信は、「自分は生まれた時からAという名前の粒子で、隣にいるBとは異なる存在であるのだが、誰も区別が出来ずに困っている。」と考えてたりするのだろうか?という疑問が浮かんできます。つまり全てがそっくりな双子の太郎、二郎は他人から区別が付かないにしても、本人達は自分は太郎で、あいつは二郎だと認識しているはずです。同一粒子の場合にもそんな風に本当はAという粒子はAだし、Bという粒子はBであるんだが、我々からは区別が付かないということではないのか?という疑問があります。 この疑問に対する答えは、『原理的に区別が付かない』では正確な答えにならず『原理的に区別がない』 と答えるべきです。同一粒子というのは区別がつかないんではなく、区別がないというのが現代の物理学が発見した科学的事実なのです。ここでも何故という疑問には答えませんが、自然がそうなっているとしかいいようがないのです。しかし大事なことは『区別がない』という事なのです。ギブスのパラドックスが言っている事も、区別が付かないんではなくて、区別がないということを言っているわけです。

kyongsok
質問者

お礼

やはり自然がそうなってるとしかいいようがないんですね。 古典粒子にも区別はない…ギブスの例で納得できそうです。 またatomicmoleculeさんにお世話になってしまいました、ありがとうございます!

その他の回答 (4)

  • ryn
  • ベストアンサー率42% (156/364)
回答No.5

もしかすると未解決の観測問題がらみなのかもしれません. No.1 さんの衝突の例と状況が違う 箱の中に多数の粒子が入っている場合を考えても, ふたが閉じられていれば,それらの波動関数は箱の中に広がっており, お互いの重ねあわせが1つの状態を作っています. したがって,この場合も区別できなくなります. 私たちが,区別できるのではないかと考えるとき, 暗黙のうちに(日常経験に近い)波動関数が収縮したあとを考えていると思います. そのあたりに問題があるのかもしれません. > 測定の精度が問題なら個別性を認めている古典粒子も > 測定では区別できないと思うので、 > 測定の問題ではないとは思ってるんですが… > それとも古典粒子という考え自体が理想的なモノなのでしょうか? 上に書いたように,古典粒子は基本的に波動関数が収縮した後を考えているので,それが原因かと. まったく自信なしですが….

kyongsok
質問者

お礼

とても面白いですね、やはり量子力学は巨視的世界に現れてるんですね、今までやってきた物理学はすべて「うまくいった近似」なわけですか…。 となると全ての系は個別性をもたない扱いで記述できる、ということになるんでしょうか。すべてを波動関数で考えるとなると、…考えられない汗

回答No.4

今更ながらですが、私自信よくわかってませ(笑)。 量子力学の方からの説明、それは分ります。しかし・・・・これって偶然じゃないの?と思ってしまう自分がいます。 例えば十分大きな仮想的な粒子を考えてコンピューターシュミレーションとかやるとしますね。こういった状況で量子力学的な取り扱いが必要だとはなんか想像しがたいものがあるんですが、それでもN!で割らないと正しい熱力学関数はえられないですよね(自由エネルギーやエントロピーに対する相加性が満たされないとか)。だからN!で割るというのは正しい手法であることは認めるにしても、十分大きな気体分子などでも量子力学的な同一粒子的取り扱いが必要だとは思えないんですよね・・・・つまり私自信も良く分ってません。誰かに教えて欲しいです。 ところでkyongsokさんの質問には以前にも参加させてもらいましたね。これからも興味のある話題にはどんどん参加させてもらうつもりですから、宜しくおねいがいします。

kyongsok
質問者

お礼

恐縮です、こちらこそどうぞよろしくお願い致します! なるほど、やはり議論というものは面白いですね、次から次へと脳みそをくすぐられる感覚がやめられません笑 ご返答ありがとうございます。

  • nabla
  • ベストアンサー率35% (72/204)
回答No.2

古典統計でも粒子数の階乗で割ったものを分配関数としなければフリーエネルギー等が示量的にならなかったはずです。 違ってたらすいません。

kyongsok
質問者

お礼

ありがとうございます。確かにそうみたいです。 ではこの「N!で割る」の物理的意味はなんなんでしょうか?=粒子の区別をなくす、なんでしょうか?「気体や液体の場合のような粒子の非局在性」と本には書いてありました。また、「これでも粒子の非個別性を完全に取り入れたことにはならない」とも書いてあります。本は市村浩著「統計力学」P77です。

  • leo-ultra
  • ベストアンサー率45% (230/504)
回答No.1

なぜ量子力学的粒子は個別性を認められないか? 左右から1個づつ粒子が接近してきて衝突する場合を考えます。量子力学的粒子の場合、ハイゼンベルクの不確定性があるため、両方の粒子とも位置に広がりがあります。Δxよりも2つの粒子が近づくと、どっちがどっちやら。 つまり左右からきた粒子が衝突したのですが、 一生懸命目をこらしてみていても、左からかた粒子が衝突で左に返されたのから、それともすり抜けて右に行ったのかが本質的にわからないのです。 (Δxの不確定性のために区別できない。) その点古典的な粒子は任意の時間に厳密に位置が測定できます。位置の時間変化を厳密に追跡していけば、衝突の際に右からきた粒子が左にいったのか右に言ったのかがわかるのです。 (つまり区別できる。)

kyongsok
質問者

お礼

お礼をしていませんでした、ご返答ありがとうございます。

kyongsok
質問者

補足

その説明は聞いたことがあります。不確定性が測定上の問題ではなく本質的であるが故、という風に解釈しています。 それは現実的な話なんでしょうか?なんだかこじつけのような気がして。この説明を知ってれば物理をわかったことになるんでしょうか?なんだかしっくりこないんです。ないものねだりをしているみたいですが(汗) でもその差が統計に効いてくるんですよね。状態数の数え方が変わってきて。量子粒子は位置を交換した二つの粒子の状態を交換前と後でまとめて一つと数えるわけですよね。古典粒子の統計は粒子の交換に対して別々に二つと数えますよね。 この差はかなりでかいと思うんです。 一般に系が高温になれば古典近似が可能だといいますがエントロピーや自由エネルギーには効いてこないんでしょうか? 実は自分の疑問はここでした。そのように質問するべきでした汗

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