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『損得感情』
好き嫌いの感情は損得勘定で決まるのではないでしょうか? 得=好き 損=嫌い 中間=無関心 ということになります。 愛? なんですかそれは?
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好き嫌いの感情は、脳の中の「好き嫌いデータベース」が決定します。 この好き嫌いデータベースという言葉は、一般には「視床下部」と呼ばれているんですが、分かりづらいので俺が勝手に言い換えているものです。 人間の脳内にあるこのデータベースは、自分がその事象に対してプラスの印象を持っているか、マイナスの印象を持っているかを決定しています。 ゆえに、 好き= データベースにプラスの情報アリ 嫌い= データベースにマイナスの情報アリ 無関心= データベースに情報なし となります。 このデータベースへデータが入力されるタイミングは、必ずしも損得勘定のみによるものとは限りません。 なんせ「歩き出すときは右足から踏み出すのが好き」といった、こまかーい情報までインプットされているため、全ての情報に損得勘定を結び付けていたらデータが混乱してしまうからです。 ですが現実には、データが入力される(もしくは更新される)瞬間には、損得勘定が大きく関わっているケースも多いのもたしかですね。 ちなみに上記の脳モデルは、俺が本を読みながら自分なりに噛み砕いたもので、もしかしたら間違いが含まれているかもしれません。 でも少なくとも現在のパラダイムには一致していると考えています。
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- hakobulu
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◇ 同感です。 けだしこの世で「損得勘定」で決まらないものがあるとは思えません。 ただ、これはあくまで無意識的「勘定」です。 人は常に「損得」を無意識に判断してあらゆる選択を行なっているだろう、ということにすぎません。 したがって、何を以って「損得」の基準としているかによってその人なりの差異が生じる結果となる、というように考えます。 ◇ 当然、『愛』も損得だろうと思います。 ただ、約束としての「愛」、あるいは「愛している」と言葉にしてしまった時の愛はすでに愛ではないということはできるでしょう。 なぜかといえば、本当に損か得かなどということが意識的に理解できるはずがないからです。 約束にしろ、言葉化にしろ、それを確認しなければならない、と感じる時点ですでに本当に「得なもの」としての価値は揺らぎ始めているでしょう。 「得」というのは理屈ではなく、生体が必然性を以って感知する類の価値観であろうと私は思うからです。
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大変わかりやすいお答え ありがとうございます そうですね 意識的に損得がつかめるものとそうでないものがありますね そういうココロのスキマに「愛」とかいう概念が発生して補うのかなあ・・
- 8942
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損得感情が好き、嫌いを、支配するなら、 私なんかとっくに捨て子にされていたろうな。
お礼
そ、そんなことはないでしょう・・(o´ロ`o)
すいません#1です。誤字ありました。 損得勘定 → 損得感情でした。
お礼
わざわざどうもです(o_ _)゛ お話はちゃんと通じてますからオケイです そもそも「損得感情」なんて言葉があるのかどーか?(゜д゜)
お礼
deagleさん、回答ありがとうございます。 なるほどー その「好き嫌いデーターベース」で 情報はプラス(快)か マイナス(不快)かに選別されてるんですね そこに届けられる前にも好き嫌いの選別はありそうです。 たとえば人間の目はある波長の光しか見れないとか。 これは、見えたら便利なとこだけをみているわけですよね どの時点でソレを「自分」が受け取っているかがポイントですねー ぼくらが感じれる感情というものは そんなにスッキリしたもんじゃないですよね。 『たくさんの要素のプラスマイナスがぐっちゃになってる感じ』を想像できます。 でも、基本は「損か得か」なきがするんですよねー(´へ`o)