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集中力を養うには

やらなければいけない事を目の前に、どうしても行動に移せない時があります。他の事をしてしまったりします。そうなる事柄としては、目標達成するために何段階かの作業をしなければいけないような時です。 その日によってコンディションがいい時や友達と話したりすると急に集中出来たりする時もあります。自分でコントロールしたり切り替えして集中力を発揮するにはどうしたらいいでしょうか。

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  • hakobulu
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回答No.2

#1です。 ちょっと手元が狂ってお隣の質問に対する回答を投稿してしまいました。 大変失礼しました。 vivien5さんのご質問にもお答えしようと思って回答欄を同時に開いていたための誤操作でした。 ここから先がvivien5さんに対する回答です。 間違ってまた他に投稿しないように慎重にいきます。(って、当たり前ですよね。本当にそそっかしいにも程があります・・・。) ======= こんな私ですが、何だか回答する自信が無くなってきました・・・。 vivien5さんにどう思われているだろう。 他の人たちもこれを見て、「あれ? 同じことを他にも投稿していたよ。ばっかじゃねえの、こいつ。」などと馬鹿にされたり笑われたりしているのではないだろうか・・・。 vivien5さんのご質問に対して有益な回答をしよう、という当初の目標は是が非でも達成しなければならないが、こうなってはどうにも格好がつかないんじゃないの? 最初に考えていたよりもずっと良い回答をして挽回しないとなあ・・・。 でも、どういうふうに書いたらいいだろうか。 う~~ん、ああでもなし、こうでもない。 などと考えているうちに、ええい今日のところはやめてまた明日にしよう・・・っと。 ======= とか考えてしまいましたね、少しですが。 ご質問の状況とは少し違うかもしれませんが、この時、私が感じていたのは「怖れ」ですね。 何に対する怖れかと言うと「(回答しても)うまくいかないんじゃないか」という怖れです。 とんだドジを踏んだのが原因ではありますが、とりあえず「回答する」という「目標」が達成された時vivien5さんにどう思われるか、ということに対する怖れです。 怖いので先延ばしにしたいと思った、という単純な理屈です。 vivien5さんの場合を一緒にするつもりはありませんが、少しは似たような要素があるかもしれません。 「目標を達成する」ということは結果的に周囲からの評価を突きつけられる(良いにつけ悪いにつけ)ということですから、それを無意識的に怖れて避けたい気持ちが働くのではないでしょうか。 ですから、具体的な回答としては「他者の評価を気にしない」ということになります。 ただ、自分が納得いくような行動さえ取ればいいのですが、その行動内容を良く練るために積極的延期というパターンも当然あります。

vivien5
質問者

お礼

真摯なるご回答を心から感謝いたします。 ”「目標を達成する」ということは結果的に周囲から評価を突きつけられる。”という事。また、自分自身をも評価せざるおえない結果。やはり、その部分に怖れを感じているようです。しかし『怖れていては何も出来ない。』私にとって何かを成し遂げるには『怖れの克服』が先決なのかもしれないと思いました。結果が出れば自分の限界を知る事が出来る。またその限界を広げることも出来る。その繰り返しなのかもしれないということに気付きました。hakobuluさんの私のコメントに対する気持ちを書いて頂いて、感謝すると共に、同じような気持ちに覚えがあることを感じました。しかし、書いて頂いたこと嬉しく思い、その感覚を大切に私も前に進み出てみようと思います。 もう一方のご回答を読ませて頂いて、勝手な解釈をしてしまいましたが、より理解が深まったような気がします。時に、自分自身との葛藤により、神頼み的な考えもしていた時がありました。しかしおっしゃるように”それらを簡単に信じない人たちは山積している現実の問題に立ち向かうほうが遥かにスリリングですし、それがうまくいかないからといって諦めずに別の方法で再挑戦していく、その過程のほうがずっと人間の可能性を感じれる、というタイプのように思います。”というタイプの人間を自ら選び、このような質問をさせていただきました。改めて気持ちを持ち直し、自分に対する怖れを克服していく努力と共に邁進していきたいと思います。ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • hakobulu
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回答No.1

個人的な感想に過ぎませんが、多少大げさに言うと自らの価値に絶望しかけている心理ではないかと思います。 社会的に成功していないとかいうことではなくて、例えばいくらお金持ちであっても、自分に、そして人間という生き物に対して「この程度の生き物なのか」といった諦観的感情にその精神の根本部分を浸されてしまっている場合に、UFOやオカルト、超能力なるものの存在が救世主のように感じられるのではないかと思います。 つまり、それらの『とてつもない未知の(あるいは不可思議の)存在と我々は係わり合いを持っている』と思惟を巡らすだけで、自らの可能性にも実はまだ未知の部分がありただそれに気付かないだけではないのか、という『希望』を感じることができるのではないでしょうか。 個人的には一種の現実からの逃避心理と判断しますが、確かに『可能性』という面では魅力的なお話であることだけは間違いないでしょう。 あえて否定することもありませんが、それらを簡単に信じない人たちは山積している現実の問題に立ち向かうほうが遥かにスリリングですし、それがうまくいかないからといって諦めずに別の方法で再挑戦していく、その過程のほうがずっと人間の可能性を感じれる、というタイプのように思います。 どちらにしても、可能性が全く無ければ人は生きていこうという意欲を失いますから、ある種の宗教のようなものと考えて見守るというスタンスを取るのが妥当ではないかと考えます。 しかし、「神」という人?はいませんが、UFOが地球に接近しているという話の信憑性は別にして「宇宙人」はいない方が不思議なような気もします。 何しろ「宇宙は無限」という表現しか今のところ地球人類はできていないわけですから、その無限に我々と同じような(似たようなという意味ではなく)生命体が存在すると考える方が論理的に自然ではないかと思うからです。