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現代文の勉強の仕方について

現代文が苦手です。なにか、勉強の仕方はないのでしょうか? かといって今から本を読むのは、遅いような気がします・・・。 特に、記述はどのようにしたらいいのかわかりません。いろいろみてみましたが、いまいちです・・・。 おねがいします。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

出口の現代文レベル別問題集がわかりやすいですよ♪ 超基礎編1から難関編6まであります。 これもすでにチャレンジしちゃったかな?

kierin
質問者

お礼

出口の問題集ですね。 まだチャレンジしていないのでやってみます。 ありがとうございます。

その他の回答 (2)

noname#18761
noname#18761
回答No.3

こんにちは。 私はもともと文系で国語が得意だったので、あまり参考にならないかもしれませんけど…。 NO.2の方もおっしゃってますが、本を読むと本当に現代文の能力があがります。文章を読むのですから漫画でも良いと思います(受験中なのでハマッてしまったらやばいですが)。私も小さい頃から漫画や本をよく読んでいました。 あと私は河合塾に通っていて兵頭先生という現代文の先生の授業を受けたことがあるのですが、とても面白くてわかりやすかったです。でも兵頭先生は東日本(特に千葉県?)を中心に授業をなさっているようなので、もし質問者様が近くに住んでいるのであれば(可能性は低いかもですが)、一度講習を受けてみることをおすすめします。 現代文の問題って、問題となる箇所に傍線とか引いてありますよね。記述の場合、その傍線の近くに答えのヒントがあることが多いそうですよ。(もちろん文章を最初から最後まで読み解いて答える問題もあるので、一概には言えませんが)なので… ●問題の傍線の引いてある部分の前後をくまなく探す!そこにヒントが隠されている! というのが私のアドバイスです。どうしてもそれでヒントが得られなかった場合、その問題の答えは別のところ(もっと別の場所か、または最初から最後までふまえてか)にあると。 もちろんこの解き方の前提にあるのは読解力ですから、やはり本を読むべきかと…。 センター(マーク式)の場合、前後の問題が相互に関係しているようです。一問正しい解答をした人はその後も続けて正しい解答ができるように、反対に一問間違った人はその後も間違った解答をするようにできているんだとか…。なので一問間違った解答をすると芋づる式に間違ってしまうなんてことにも…。 問題集としてはNO.1の方がおっしゃっている出口式の問題集がお勧めです。 なんだかあんまりアドバイスになりませんでしたね。 私は浪人したので、受験勉強のつらさがわかります。 志望校めざして頑張ってください!

kierin
質問者

お礼

ありがとうございます。  参考になりました。

回答No.2

こんにちは^^ 結論から言いますと,現代文についての勉強法ですが, 本を読むよりも確かな方法は存在しません。 私も高校一年生までは国語は苦手教科でした。苦手という以前に文章や本を毛嫌いしていたという方が近いです。 しかし,高校一年の夏休みに選んだ本によって私は本の面白さに気づかされました。 読書感想文ため,このときも嫌々に選んだ本だったのです。 ただ,いつもと違ったことは,今までの教科書などに乗っていたような面白くない中途半端な小説などではなく, 教科書には載せられないような, 闇と,霧に包まれた作品だったということです。 はっきし言って,(少なくとも小学校から)高校という普遍に満ちた学び舎で習う国語や現代文の教科書は子供だましの物なのです。(私は最近の大学でさえそうなりつつあると不安になっております) もちろん授業もそうです。 現代の学問とは,美しいことしか見せません。教えません。 本当に汚いものを見せないと学問は成り立たない。 なのにそれをしない現代学問。 つまり, 分かりやすく言いますと, 今日の学校で配布される教科書で, 一つの小説を最初から最後まで読ますことが限りなく少ない。 いくら面白い小説(面白いというのは笑えるということではなく文学性に富んだ面白さのことであります)であってもブチブチと切って一つの教科書にまとめ載せるなんて, 一つ一つの作品を愚弄しているではないか。 だいたいなぜ部分的にハショルのかというと, 青年が読むには強すぎる『エロ・グロ・ンセンス』を含むからであろう。 いや,というよりも教科書を作るお偉いさんが強すぎると決め付けているだけなのではないか。 確かに常人と言われる人たちにはある一定の線, つまりいわゆる常識という線を超えたならばそうとらえられることは当然だ。 しかしその部分を悪所としてしか捉えないその考え方は非常に危うい。 悪いから捨てるのではなく, それを吟味することが大切なのだ。 と,話が質問から大幅にずれていることは分かっています。 が,上で述べた事実が言わんとすることは, 本物に出会うためには, 今の勉強方から離脱せよ, ということ一つなのだ。 本を読まずしてこれから上を目指せるだろうか? 私は,ひたすら本を読み始めてからというもの, 国語(もちろん現代文)のテストで首位しか取らなくなった。 学校も含め,模試・センターもである。 当然私以外の人たちは,幻の授業を受けているから私が良点をとるのは当然である。 まぁ,試験事態も幻の一片にすぎないのだが。 だからこそ,本を読む。 本物で勉強をするのである。 いや,あの時あの本に出会ったときから 本を読むことは勉強というような陳腐な言葉では言い表せないものになったし, 実際楽しいことだったのだ。 勉強とは,勉強と感じないところから本当は勉強しているのである。 楽しいことほど身につくし, それは一石二鳥以上のものを得ることでしょう。 受験のための勉強かもしれませんが, 勉強方法を受験の為だけに設定してしまうことは危ういことです。 将来をみすえると(といってももうすぐかもしれませんが)自分の考えで問題を解くということは大切なのです。 実際受験問題の答えをみると,マイノリティー(少数)の意見かもしれませんが回答の多くに腑に落ちないものがあります。 結局は,それも個人の意見・回答だからだということです。 国語には,一つの答えがないのです。 受かることも大切ですが,本当の『国語力』や『思考力』をつけるためにはそう言ったことのほうに力を入れるべきだと思います。 遅いなんてものはない! 50歳でそれに気づいたって, それはその人の勝利なのです。 なにものにも代えがたいもの。 追伸,私が読書感想文の時に選んだ本は太宰治『人間失格』です。とても薄っぺらい本です。オススメなので読んでみてください。

kierin
質問者

お礼

ありがとうございます。