御質問文が、たいへん曖昧ですが、多分こんなところだろうと想像しているとおりと、これまでの御礼文や補足で確認できましたので参加させていただきますね。
御質問者の母上と当方の母親はクリソツ、ほぼ同一のパターンですね。いやいや、このサイトを閲覧していて、まあ母親と子の軋轢話の多いこと多いこと!
母親ってやつぁ一体全体なんなんでしょうか?!
うちの母も見栄っ張りの大阪弁で言う「ええかっこしい」な性格でしたが、そのくせ自分の我や欲望を通すことにかけてはナリフリ構わないヒトでした。
自分の思いや言い分を通すためなら無意識に汚い計算もする、それでもダメならアカラサマにゴリ押し一辺倒です。
母親って一家の生きた法律、法王、独裁者ですね。そして子どもの上に君臨するのです。
こうした傾向は母親本人が内心の奥底に根深いコンプレックスや被害意識、弱点を見せてはならないという無意識の縛りが強い場合に、より助長されるもののように感じられます。
何のことはない要するに弱点欠点だらけの、ひとりの女です。それが法王の衣を着て貴方にツベコベ言って、言うこと聞かせようとしてるだけ。
別に母親が正しいのだという保証はない。このへんは御質問者自身が薄々感じ取っておられるでしょうが。
似ていると言って参加した以上、当方の根拠を掻い摘んでお話しましょう。
宅の母親は子が(私)幼少期に背負った障害のことを他者に指摘されても医療機関はおろか専門の教育機関に託すこともなく、ただひたすら放置していました。
のみならず、子の、その障害ゆえに引き起こされる小さな失敗を情け容赦なく責め立てました。
「お前のは障害ではなく性格が原因なのだよ!」
と。
やがて子が長じて、ますます社会的な壁にぶつかり専門機関にて検査の結果が明らかになった後も
「今さら。。。これまでどおり、そのままやって行けばいいだろう」
と、他人事。
彼女の心中としては、母親であるプライド、自分の子が普通の肉体ではないことを認めたくない、「私が私が」と気の強さを前面に押し出して生きて来た手前もあって、母親としての致命的失敗を認めたくない、他人に知られたくない、いろいろあって複雑でしたろう。
結局ああでもないこうでもないとやり合っているうち母は年を取って病に倒れメいっぱいツケを負わせて来た子に最後の最後まで自分とその身内の面倒を押し付けた挙げ句、亡くなりました。
そのあとです。本当の現実を教えてくれたのは縁もゆかりもなかった他人でした。
彼らに言われたとおり、改めて専門の医師に精密に検査してもらい役所に赴き障害手帳を認定された結果、それまで健常者に混じって必死で勝ち抜いても小さな会社にもぐり込むのがやっと。安い給料で、どうも普通のカラダではないようだと足元見られて使い倒されイヤミの百ほど言われ、職を転々としていたのですが、
しかし障害手帳を取得したお陰で少なくとも職探しに関しては多少有利になりました。皮肉なことに。
なぜなら中小企業は障害者を雇うゆとりも理解にも乏しいですが、堂々と障害者であることを明らかにしたうえで行き届いた福利厚生で迎えてくれるのは大企業だけなのでした。本当に皮肉です。
母がまだ生きていたら、いまだに就職のことで悩みつつ取り返しがつかなくなっていたはずです。
まさに間一髪でした。
このように母親だからといって子を守るとは限らない、その母親個人の性格によっては子の息の根を止めることも有り得るのです。
そこで御質問者です。
貴方はどうやら母上のことを疑念と不審の思いで苦にしていらっしゃる。
それはなぜ?母上の言うことが正しいとは思えないからでしょう?
それならどうして「母が」「母が」と逡巡するのでしょう?
ハッキリ申し上げますが親は責任取ってはくれませんよ。本当の意味で子が第一の親でしたら良いのですが、どっこい自分が一番可愛い親もまた、そこかしこに存在するのが現実です。
貴方はいま何歳でいらっしゃるのか自立してらっしゃるのか不可能なのか存じませんが、これだけはハッキリ申し上げます。
自分の人生は自分の責任。
悪原因をこしらえたのが自分以外の存在であったとしてもオトシマエをつけるのは自分です。
そういう世界なんですよ、この世ってとこは。
そのことに早く気づいてくださいね。
そしたら分かるでしょう?御自分は今、大事な自分のために何をどうするべきなのか。
よ~く見詰め直してみてください。御自分のことも含めて。
親ですら頼りないのだから病気だろうが障害だろうが、公的機関だろうが何だろうが、
最後は自分ひとり
です。このことを忘れないようにね。
お礼
前向きな提案意見がない。 ないです、 自分の考えがいつも正しいと思っている 病院の医者やワーカーさんに説明されても、母はそんなことをしたら恥じだといいます。