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運送の歴史について

大学でのプレゼンで、明治時代の運送について発表があります。 明治時代の新聞を読んでいて、死んだ人(死体)を貨物列車で運んでいた、という記述があったのですが、詳しいことが全くわかりません。サイトなど調べたのですがさっぱりです。なぜ霊柩車などを使用していなかったのでしょうか。まだ霊柩車を使うというシステムが発展していなかったのかな、と推測してみたのですが…。 あと、明治時代の5銭、とは現在ではだいたいいくらくらいに相当するのでしょうか。 資料が少なくて非常に困っています…歴史に詳しい方、よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.2

明治時代は日本にようやく鉄道が敷設されたころです。 当時の運送手段は鉄道、舟運、荷車、馬車しかありませんでした。 当時死体の場合は身分やお金のある人は柩に寝かせて運びますが、庶民は木製の桶の中に座らせて運びます。 当時の鉄道の客車の構造から死体を運ぶ事は難しいので貨物扱いしかありませんでした。 その為だったと思います。 明治時代の5銭の価値は、銭の下に厘という数値があり、初期と明治末期の物価も異なりますから正確ではありませんが、大体現在の千円から数千円程度でしょう。  月給が数円の時代ですから。

noname#23376
質問者

お礼

死体を貨物扱いですか…やはり、現代の我々の状況とはあらゆることが違いますよね。そこが不思議でもあり、興味深くもあるんですが。 丁寧な回答をありがとうございました。

その他の回答 (3)

回答No.4

運送史とは関係なく、霊柩車史について補足します。 日本の霊柩車の始まりは「大隈重信の葬式から」と以前に人から聞いたことがありました。ネットで検索したら、以下のサイトをはじめ、ボロボロかかりました。

参考URL:
http://www.familyhall.co.jp/mc5.htm
noname#23376
質問者

お礼

初めて知りました。霊柩車ってこんな昔に使われていたのですね…やはり身分の高い人だけに限られるようですが。 URLもとても参考になりました。ありがとうございました。

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.3

以前は棺桶は人が担ぐ徒歩行列でしたが、明治になり遠方へ運ぶこともあり、大八車を改装した棺車を使いました。  さらに遠方に運ぶ為、鉄道貨物車の使用も、たまにはあったでしょう。 自動車の普及は大正期で、都市部で霊柩車の使用が始まったのは、大正4,5年ころと書かれています。 5銭銀貨は明治4年から20年くらいまで使われましたが、その頃は1円が今の4万円くらいですから、2000円という所ですか。   その後の5銭白銅貨になると、価値はだんだん下がって行ったでしょう。

noname#23376
質問者

お礼

そうだったのですか!サイトなどで調べてみると、棺車や徒歩行列のことはのっていたのですが、なぜ貨物車を使っていたのかがわからなかったのです。そういう例もあったのですね。 プレゼンに大いに生かせそうです。ありがとうございました。

  • SSGB
  • ベストアンサー率27% (17/61)
回答No.1

そもそも明治時代の日本に、自動車など極めて珍しい存在だということをお忘れです。だいたい、アメリカで大量生産され、自動車というものを一般化させたフォードT型の代表的なのが1912年型、すなわち明治の最後の年です。日本どころか世界的にも自動車の霊柩車なんて無かったでしょう。(おそらく海外では馬車であり、日本では荷車でしょう。)

noname#23376
質問者

お礼

あ、冷静に考えればそうですよね… フォードT型の登場が1912年だったとは知りませんでした。 明治時代についてもう少し詳しく調べて見ます。 ありがとうございました。

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