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I'm never going to be hungry again.
Gone with the wind のまんなかへんぐらい(映画で言うと、二部構成の一部の終わりのシーン)に、次のせりふがあります。 As God is my witness, as God is my witness, the Yankees aren't going to lick me. I'm going to live through this, and when it's over I'm never going to be hungry again. No, nor any of my folks. If I have to steal or kill---as God is my witness, I'm never going to be hungry again. 上のせりふで、be going to が使われているのは、なぜなのでしょうか。 be going to は、ある程度外的な状況が進行しつつあることを示すとされていますが、 when it's over I'm never going to be hungry again.のせりふにあるように、「戦争が終わったら」というように、完全に未来のことを示してい、かつ、自分の決意をこのせりふは語っているのですから、will でもいいように思います。 もっとも、すでに飢えていて、戦争では北軍に負けているわけなので、そういう意味では、状況が進行しつつあるのですが、その状況を変えると言うとき、will ではなくて、be going to の方がいいということでしょうか。 それとも、心のうちで、準備と言うか、覚悟をしてきていると言う意味で、その場の判断ではないから、will を使わないと言うことでしょうか。 または、shall を使うとどう意味が異なるのでしょうか。
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有名なあのシーンですね。 別にwillでも良いのかもしれませんが、この場合、簡単に考えて the Yankees aren't going to lick me. I'm going to live through this, に続いて、同じ形で I'm never going to be hungry again. と言っているのだと思います。 文法的なことはわからないのですが、仮に >be going to は、ある程度外的な状況が進行しつつあることを示す のに、 >完全に未来のことを示してい、かつ、自分の決意をこのせりふは語っている (だからwill) のだとすれば、 I'm never going to be hungry again. 「もう二度と餓える事など無い(ようになる)」 I'll never be hungry again. 「もう二度と餓える事など無い(つもりだ)」 みたいなニュアンスでしょうか。するとやはり上の方が強い意味がありますよね。
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- Chicago243
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個人的には結構強い意思を表しているように感じます。 be going to はある程度しっかりした計画がすでにあるような時に使います。たぶんご存じだと思いますが、週末なにするの?と聞かれた時ゴルフに行くんだなんて答える時はもう計画してあるので、be going to になるわけです。戦争が終わるというのはたしかに計画できるものではないですが、本人は戦争がおわって、もう飢えたりしない生活をかなり現実味のある事のように描いている(それほど意思が強い)のではないかというのがわたしの個人的な意見です。
お礼
ありがとうございます。 仰るとおり、「現実味のある事」ということでした。 will と言うその場での判断と、be going to と言う進行しつつある状況は、互いに矛盾すると、頭から考えてしまっていたのですが、「以前からの自分の決意」というものもあり、それが、I'm going to do 言う形になるのですね。 それにしても、If I have to steal or kill---as God is my witness, I'm never going to be hungry again. の部分に、いつも、現代と言うか、南北戦争以来のアメリカの行動原理を見るような感覚があります。でも、人類共通のものかも知れませね。「人に夢と希望がある限り、人生は罪深い。」みたいな、確か漫画家の楳図 かずおが、何かの漫画のなかで書いていたせりふが、このスカーレットの言葉と一緒にいつも思い出されます。 ありがとうございました。
おっしゃるとおりですね。 俺だったら will を使います。その文章を書いた人の生活習慣などが分からないので何とも言えませんが、ちょっと心配性の人なのかという印象を受けてしまいます。 でももしかしたら、「まぁ大丈夫だろうけど心配ごとは残ってる」といった意味合いを含めたかったのかもしれません。 戦争ってのは、けっきょくのところいつまでも不安を残すものですからね。 なお、shall を使うと多少押し付けがましい言い回しになりますが、もし筆者がそういう人だったら使っていたかもしれません。
お礼
ありがとうございます。 今回の質問は自分の勘違いでした。 will と言うその場での判断と、be going to と言う進行しつつある状況は、互いに矛盾すると、頭から考えてしまっていたのですが、「以前からの自分の決意」というものもあり、それが、I'm going to do 言う形になるのですね。 それにしても、If I have to steal or kill---as God is my witness, I'm never going to be hungry again. の部分に、いつも、現代と言うか、南北戦争以来のアメリカの行動原理を見るような感覚があります。でも、人類共通のものかも知れませね。「人に夢と希望がある限り、人生は罪深い。」みたいな、確か漫画家の楳図 かずおが、何かの漫画のなかで書いていたせりふが、このスカーレットの言葉と一緒にいつも思い出されます。 ありがとうございました。
お礼
ありがとうございます。 今回の質問は自分の勘違いでした。 will と言うその場での判断と、be going to と言う進行しつつある状況は、互いに矛盾すると、頭から考えてしまっていたのですが、「以前からの自分の決意」というものもあり、それが、I'm going to do 言う形になるのですね。 それにしても、If I have to steal or kill---as God is my witness, I'm never going to be hungry again. の部分に、いつも、現代と言うか、南北戦争以来のアメリカの行動原理を見るような感覚があります。でも、人類共通のものかも知れませね。「人に夢と希望がある限り、人生は罪深い。」みたいな、確か漫画家の楳図 かずおが、何かの漫画のなかで書いていたせりふが、このスカーレットの言葉と一緒にいつも思い出されます。 ありがとうございました。