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時間
「time is money」時は金なり という諺から、資本主義経済において時間は、お金で換算できる尺度の一つであると考えることができます。しかし、現在および未来に対する時間はお金で購入できますが、過去の時間は、今現在において購入不可能です。 私の考える「時間」とは、結論から言えば「自己実現・アイデンティティへの投資」にあると思えます。ある一定時期までは、時は自己形成に働き、ある時点からは、「欲」の追求、自己実現への追及に変わると思うのです。 他者に対する時間については、「自己実現を達成するための投資」と思うのです。すなわち、私は、「他者は自己実現に利用するための手段」と考えます。 1.自分にとっての時間、もしくは、他人に対する時間とはどういうものなのでしょうか。 2.他者は自己実現のための手段なのでしょうか。 ※できれば、宗教家や哲学者からの引用は、ご勘弁願います。引用は抜きにして、思っていることをダイレクトに表現してほしいと思います。あと、私自身あまり賢くないので、できるだけ平易な文章で説明お願いします。質問内容自体が不完全でわかりにくいと思いますが、補足できれば、どんどん補足していきたいと思います。
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- summer_lunch
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およびでないけど来たよ。 刷り込みができれば、刷り直しもできる。ただ、皆(あなたじゃありません。)は言うよね。うつろに、「めんどくさい」 それが無気力です。真実性の薄い人生はこのように薄いのです。 程度のさはあれ、これくらいで、って感じの人、一杯います。 満足しないけど、特に不満はない。それは、不満といいます。 食べ物と、意識体(ミーム系?)を摂取して、人間の身体は成り立っていますが、摂取される食べ物も、意識体も、ともに無駄が多すぎる。 はっきりいって、両方、毒物をたくさん食べすぎてるようなもんです。体質は人それぞれですが、当然ある程度共通します。太っている人やせている人があってもいいですが、毒物を食べては身が持ちません。さらに、愚かに、毒を毒で制しています。もっとヤバイのは、自分の摂取しているもの(意識体も食べ物も)を、与えられるままに、疑わずに食べている事です。毒の意識体は、毒の食べ物を望み、毒の人生を望みます。なぜなら、毒は毒で繁栄しようとするからです。 貧乏暇なしですが、質素は暇ありです。 質素を実現するには、余分な欲を減らす事です。 今の経済機構は、欲というからの器、つまり、欲望を消費者に植え付けます。それで、不満になります。それを満たすために、金を稼いでいるという部分が、かなりある。 それは簡単に排斥できる。つまり、排斥すれば、金持ちになるってこと。 あと、刷り込みとおもわれている倫理感情。 倫理感情は刷り込みと、そうでない部分があります。 ~しなければならないという感情は刷り込み。 すでにしているのは違う。 自分の子どもがおぼれているのに、助けるべきだという思考をする人はいないでしょ? 他者に対しても同じ。すでに助けているということ、すでに泣いているとか、それを見てなぜか苦しいとか、くぅ~っ!って感じのは刷り込みじゃない。直接的に言葉にならない思いみたいな。 そういうのは人それぞれでもあるが、まさにそうだからこそ、刷り込みではない。 同じような反応でも、ちがうものです。それは、その人の感情だからです。
- chihoko
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●聴覚だけに 快 不快 があるわけではありません。 すべての感覚に それは存在しています。 なぜなら 快不快を選択することが 生存競争に勝つ一要素だったからでしょう。 ●救ってあげたいと感じるのは 素直な感情です。 ころんでいるひとが居たら 起こしてあげたくなるのと同じです。 あなたは そのようにおもわれたのは「なぜだ」と考察するべきです。ひまなら・・・ ●幸せですか いたるところにあります。 父はなくなりましたが 母は健在です。 兄弟がおります。 主人がおります。子供達がおります。 うちのまわりには たくさんの植物や動物たちがおります。 雨がふります。風がふきます。雪もふります。木陰があります。 小鳥達がさえずります。 幸せを数えたら切りがありません・・・。 数々のすばらしさを いつも主人と抱き合っては はなれ 抱き合っては はなれして 「すばらしいなあ・・・。」って 言ってる。 病気しても 家を失っても 独りになっても たぶんこの幸せ感はつづくでしょう・・・。
お礼
chihokoさん、ありがとうございます。 で終わりたかったのですが、「なんで、なんで」と思います。 >救ってあげたいと感じるのは 素直な感情です。 ころんでいるひとが居たら 起こしてあげたくなるのと同じです。 あなたは そのようにおもわれたのは「なぜだ」と考察するべきです。ひまな ら・・・ 転んでる人を見れば起こしてあげたくなるについて それは、幼い頃からのすり込みだと思います。 beginnersanの思い出~ 以前、マンションの入り口で人が倒れていた。「大丈夫ですか~!」大声で問い掛けても返事なし。皮膚をつねっても反応なし。「これは、やばそうだ」beginnersanは当時、携帯を持っていなかった。そこで、近くにいる人に「お願いします、救急車呼んでください」と言った。数分後「ピーポー ピーポ―」よし来た。beginnersan「もうすぐだよ。頑張ってね」…「あ~どっこいしょっ。あ~よく寝たなぁ」 周りの人「またかよ。人騒がせな」beginnersan「…」beginnersan「すみませんでした。すみません。すみません。…」このようなことを2~3度見たことがある。これ以来、私は人が倒れていても(他の人が無視している場合)無視するようになった。しかし、事故など明らかな場合は当然助けますよ。あとあじも悪くないし。 ――――――――――――――――― いいですね。幸せを感じることができて。すでに麻痺しました。あって当然だもの。人にも心を注ぐから、なくなると悲しくなると思うのです。「他」は「他」。自己と共有させなければ、楽だと思っています。
補足
事故について… 人は勝手だ。これは稀なケースだった。数多くある事故のうち、1件だけ変な事故があった。 渋滞していたが、すり抜けをしていた。事故の現場に遭遇。事故から数分後だろうか。 事故現場で人が倒れていた。その人は「痛い。痛い。」と泣いていた。ぱっと見ると目立った外傷もなし。事故を起こした人は、警察などに電話していたが。被害者に対してほったらかしにしていた。周りの車からは誰も降りてこない…助ける兆しがないのである。 beginnersanの知人Aは、接触した原チャを道の隅に移し、けが人を歩道へ運んだ。けが人「ありがとう」(終了) でも教科書では、けが人は放置が基本…
- chihoko
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●音楽が共通のファクターだと考察するのは あまいです。 音楽もミームなのです。学習が必要です。 たぶんアボリジニの解釈するバッハやモーツアルトは わたしたち音楽の義務教育をうけた日本人とは感じ方が違うはずです。 感じることは考えることでのみステップアップできるのです。 音楽は聴くことが考えることに相当します。 スポーツはからだを動かすことが考えることに相当するのです。 「幸せは、生きながら、そこで妥協するものだ。」 つくづくあなたは 悲しい言葉を選択する方だ・・・。 幸せはひとそれぞれに 見つけるものです。 あなたが そこに幸せを見るのなら それでいいでしょう。 満足がほしいのなら とことん求めてみればいいでしょう。 それにつけても あなたは悲しい方だ。 救ってあげたいけれども あなたの問題です。 あなたが 満足を求めて満足してみるしかないでしょう。
お礼
chihokoさん、ありがとうございます。 もちろん、その点は考慮に入れました。 ここからは、うる覚え(SFとして見てくださっても結構です) 音波には低周波と高周波があると思います。どちらも極端な場合、人間は認識しません。軍事技術に人が不快だと感じる音波を発する兵器が以前開発されたようですが、有効範囲が小さいため、中止されたと聞きます。 兵器というのは万人に影響を与えることが前提として作られています。有効範囲が小さくても万人に不快だと感じさせることができるなら、その逆も考えることができると思いますがいかがでしょうか。 (兵器ではありませんが、カナキリ音、鳥肌モノです) >それにつけても あなたは悲しい方だ。 救ってあげたいけれども あなたの問題です。 救うですか。それは感化させることでは、ないでしょうか。よろしければ、chihokoさんの幸せがどういうものか説明お願いします。
補足
音波に区別なんてないですね。振幅、山と山の距離(何ていうの?)、すなわち波形によって高く聞こえるか低く聞こえるかでいいのでしょうか。音楽は音波の組み合わせだと思うのですがよろしいでしょうか。 (無知ですが、よろしくお願いします)
- chihoko
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●わたしは あなたのような考え方が とても良くわかります。 言い換えればわたしの思考の過程に あったことだからです。 その上で この解釈のほうが幸せになれますよと アドバイスしている訳です。 存在に吐き気を感じるひともいるでしょう。 わたしもわかります、しかし存在に40億年という魂とその魂たちの 多様性が目の前で実現している「匠」に安らぎをおぼえる方を選択するのです。 それは 幸せになれるからです。真偽なんかどうでもいいのです。 あなたが わたしの考えを分っていて なお自分の考えを選択したいなら それは もうあなたは OKなのです。 哲学はひとそれぞれ そういうものです。
お礼
chihokoさん、ありがとうございます。 結論は同じですね。人それぞれ。だけど、私はプロセスのように思えるのです。ビッグバンからの流れが一つであるのなら、ひとに共通するモノもあるように思えます。文字?言語?のない民族はあるが、音楽のない民族はないと聞いた事があります。英語やスペイン語、中国語、フランス語など様々な言語が存在しますが、音楽は共通ですよね。哲学とは音楽に在りかな… あと、私は幸せなんて望んでいません。満足を求めているのです。絶対的な満足はないでしょう死ぬまで、死こそ満足かもしれません。幸せは、生きながら、そこで妥協するものだと思います。違いますか。
補足
「マクロス」を思い出す、今日この頃。
- chihoko
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●「ミームにヤラレマイ。」と思ったのなら そのつぎの瞬間から あなたは ミームにやられてません。 「まあいいや」というのはあなたの防衛本能がはたらいている証拠です。 妥協や折り合いをしないで 生きていくことは 超人でなければできません。 あなたの言う「生存本能」とは 具体的になにを指すのか わかりませんが。 本能ならばDNAに焼き付けられたプログラムですから ちゃんと40億年の時の試練を経た行為です。 ミームとは無関係です。よりどころのひとつでしょう。 利用という言葉を国家とともに考察してみましょう。 ●日本という国家は成文法によって形成されます。 国家を機能させるために 立法・行政・司法 の機関を持っています。 この三つの機関は利用という言葉が似合いません。 さて では国家の構成要素を考えてみましょう。 まず 国民 そして 安全 公共財 公共サービス 国有財産 法人 私有財産 民間サービス 民間生産物 公共生産物 それらを繋ぐ経済 このなかで 公共財と公共サービスは 利用するためにつくったわけですから 利用します。安全はそのなかで生活するためにつくったのですから その中で生活します。そのほかのものについては 利用ということのため だけにつくってるものではないですから 個別に考察する必要があるでしょう。 ●わたしがミームにやられていないといっていることは 言い換えればミームの呪縛から脱却していますよ ということで ミームにつかっていないということでは ありません。 「国家に属する」という感覚よりも いまの日本国のような民主国家であれば 自分たちが「望んだシステム」が国家なわけで。機能的でないところは 直せばいいだけなのです。だから民主国家はそれほど恐れるものではありません。 あなたのように 環境破壊や自分たちのあり方に疑問を持つ人々が増えれば いかようにでも改善に向かえるでしょう。 一番問題なのは 経済・宗教 というミームでしょう。 ●人間の自由を奪うことはしたくない。 けれども人類はミームにやられたくない。ここからは わたしの推論です。 サイバーマネーのスタンダードができたとき。 そのマネーをコントロールするのがコンピューターだとしたら コンピューターは人間を雇うことができるようになります。 またロボットがロボットを生産するようになったとき ミームが望めば ミームのための世界だって構築できてしまうのです。 実はその予兆はそこここにもうあるのです。 一時間に50種の生命が絶滅していく「現代という罪」はどこにあるのか その罪の一端は自己満足という人間の仕業にもあるでしょう。 しかし 自己満足でポイステした訳でもなく 農薬を使ってる訳でもなく チェルノブイリ原発をメルトダウンさせた訳でもなく 数々の戦争を繰り返している訳でもなく 砂漠化させてる訳でもなく 温暖化させてる訳でもなく 森林を破壊している訳でもなく そもそも 現代の文明すら本当は望んでいないのだとしたなら この世界はいったいなんなのでしょう・・・? ●この世のミームの全てが おばあちゃんの知恵ぶくろ だけだったなら きっと地球は 地球の命たちは こんなにも悲惨な目に合わなかったでしょう。 「なぜ気付かない!」 MATRIXの言葉が多くの方々に届いてほしいです。
お礼
chihokoさん、ありがとうございます。 「ミーム」についてはサッパリわかりません。 >「ミームにヤラレマイ。」と思ったのなら そのつぎの瞬間から あなたは ミームにやられてません。 これをミームを研究している研究家がみればどのように思うのでしょうか。 そう… 免罪符のような響きがします。 >国家の構成要素を考えてみましょう。~ ここでは、国家論を論じているのではないので、「国家は利用し利用されるもの」と捉えれば十分だと思いますがいかがでしょうか。 >サイバーマネーのスタンダードができたとき。 そのマネーをコントロールするのがコンピューターだとしたら~ 2001年宇宙の旅、およびターミネーターを思い出します。 だけど、いつもパターンは同じですよね。 >一時間に50種の生命が絶滅していく「現代という罪」はどこにあるのか 私も推論ですが、宇宙が収束するのであれば、収束・絶滅こそが必然なのではないでしょうか。 >「なぜ気付かない!」 chihokoさんは、気付くことで何をしようとなさっているのでしょうか。
補足
>日本国のような民主国家であれば 自分たちが「望んだシステム」が国家なわけで。機能的でないところは 直せばいいだけなのです だけど、みんな満足しようと思っているから、おかしなことになっていますね。
- summer_lunch
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>飛行機というルーラを使って、彼の元へ行った方が良いです。「逢うは満足、逢わぬは後悔です」逢えるときに逢う、居れるときには一緒にいる。自然ですよ。逢えるのに、逢わないのは不自然です。 もちろんルーラ使うよ!(笑 >時間は限られている あなたも 彼も わたしも みんな なんか、すごい説得力あるじゃん。時間は限られている。そう。 それを受け止めているあなたに、すこし勇気をかんじた。 勇気は魔法よりも素晴らしい。
お礼
ランチさん、いってらっしゃ~い。
- summer_lunch
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>まだ、日本にいらっしゃるのですか。彼の生命、あとわずかかもしれませんよ。急がなきゃ。 心配ないよ。ザオラルして、お経まで唱えてくてれるんでしょ? それに、一瞬ではいけないよ(笑 数週間はかかるんじゃない? あと、私が行って彼を助けるどうこうというものでもないの。逢いに行ってる。それだけ。 ま、二人のほうが一人よりは心強いはずだけどね。環境厳しいし、。 > 年齢ばれたかなぁ?ま~、20代ですよ。 年齢なんて気にするな。どうでもいいでしょ?ようは風車、回してるかってこと。 出逢い、事象を受けて立ってるかってこと。生命がかんじられたら100歳でも10歳でも、生きてるって。寿命、年齢は関係ないよ。時だから。長い短いじゃない。 >「~」形の表せないもの、真理と呼ぶ人もいますが、私もわかりません。 じゃ、真理って書けばいいじゃん?「~」じゃ、わからないよ(笑
お礼
ランチさん、ありがとうございます。 抽象的に逢うつもりでいるではなく、物理的に逢うが一番良い方法なのではないでしょうか。わかりやすいしね。私は毎日ランチさんと逢っています。だけど、わかりにくいよね。表情もないし、その気になれば、この世界を閉ざせるもの… 飛行機というルーラを使って、彼の元へ行った方が良いです。「逢うは満足、逢わぬは後悔です」逢えるときに逢う、居れるときには一緒にいる。自然ですよ。逢えるのに、逢わないのは不自然です。 時間は限られている あなたも 彼も わたしも みんな
- chihoko
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ミームにやられてない例:わたし 自然(カラスやペットは人間に密着することで やられてます。ずるがしこい こびをうる そんな生き物は やられてます。) ●あなたが ミームを理解し ヤラレマイと思った瞬間から あなたは ミームにやられていない仲間です。 ミームにやられてないと言う権利があります。(ミームにやられない義務をともなう。) 「MATRIX」でミームにやられたままを望むのがサイファーです。 それもまた ひとつの道でしょう。 でも わたしは モーフィアスやネオやトリニティやタンクでありたい。 40億年のめんめんとつながって進化(なにかが選択されてきた)してきたもの 正にこの設問の真意であるところの「時間。」を獲りたいのです・・・。
お礼
chihokoさん、ありがとうございます。 >ミームを理解し ヤラレマイと思った瞬間から あなたは ミームにやられていない仲間です。 やられまいと思ったものの、「まぁ、いいや」は駄目なんですよね。 生存本能を働かすことは、ミームにやられているといえますか。 やっぱり都合が良さすぎます。 chihokoさんは、生きるために「他」を利用しないのですか。 一般人は、国家に属さなければ生きていけないと思うのですが。
- summer_lunch
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>…「~」 これなに? 餞別はザオラルで十分だよ。ありがと、。やさしいね、 すでにきっとザオラルは彼に届いてるよ 魔法はそんなものです。思った時点で発生してそう。 でも、カナダってよくわかったね。びっくりした(笑 あと、餞別渡すのは私のほうだけど、 両方でもいっか(笑
お礼
ランチさん、ありがとうございます。 まだ、日本にいらっしゃるのですか。彼の生命、あとわずかかもしれませんよ。急がなきゃ。 「~」形の表せないもの、真理と呼ぶ人もいますが、私もわかりません。
補足
時間は恐ろしいものです。 「理科」が「生活」に変わっているんですもの! 年齢ばれたかなぁ?ま~、20代ですよ。
- chihoko
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●ルールを破ったからミームにやられていないだなんて あまりにも考えが安易です。 ルールを破る者も遵守する者もミームのなかで やってるんですよ。 もし犯罪者がミームにやられてないなら 犯罪によって人類がミームから 開放されたときかなあ? くらいは考察してくださいよ。 それでも個別に考察してみないとなんとも言えないのがミームです。 ミームにやられないで 生きる方法などだれもわからないでしょう。 本能のままに生きる人間はミームにやられてないのは あたりまえでしょう。 ただそんなひとは どこにもいません。 これから問題になるのは 我々を方向づける「流れ」が 人間のためにはたらくかということであり 自然のためにはたらくかということであり 映画「MATRIX」のようにコンピューターの中のミームのために はたらくようなことになってきたら「こりゃ戦いになるなっ」てことなんです。 あなたのような考え方のミーム(この設問)が「コンピューターの共通意識」 として芽生えたのなら 確実に戦争になるのは見えていますよ。 あなたは それを望まないでしょう。 だから地球自然の成り立ちの「匠」にもっともっと目をむけて 戦争にならないこころの領域をみつけるべきなのです。 もしその領域が見つかったなら それは「ミームにやられていないあなた」に 近いあなただと思います・・・。
お礼
chihokoさん、ありがとうございます。 では、「ミームにやられていない」とする例をお願いします。
お礼
ランチさん、ありがとうございます。 また、あいましょう。