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大判・小判の行方
江戸時代にはたくさんあったと思われる大判・小判はどこへ行ったのですか?
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#2の方のような要因も確かにありますが、別の要因も大きいです。 日本は江戸末期に開国しました。 そのときのレートは、 銀貨一枚=一朱 金貨一枚=一両 というレートでした。 また金貨一枚≒銀貨十一枚、金一両≒4朱でした。 あれ?と思いますよね。 外国から来る前に金貨を銀貨に変える→日本で銀貨を金に換える→国外で金を銀貨に換える ということで、誰でも大もうけです。 実際、このために日本は大インフレに見舞われてしまいます。経済学的にいえば、貨幣供給量が減ったためにインフレになったのです。 したがって、大判小判は海外に流れた、これが正解の一つです。
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- koon1600
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>不平等条約の中の一つなのでしょうか。? どちらかといえば、あきらかな幕府の失策です。ただ、ハリス総領事が圧力をかけたのは間違いありません。 当時日本国内の金の価値は諸外国の1/3~1/5程度でした(つまり国内においては銀の価値が高かったとも見れます)。これを考慮に入れずに「向こうの金の価値」で交換を認めたのです。 もともと最初のレートでは、(諸外国と同じレートならば)諸外国の3倍ほど幕府が有利だったのです。 一分銀1枚と1ドル銀貨1枚ですから。 その後 一分金3枚と1ドル銀貨となります。諸外国ならば平等交換なのですが・・・
お礼
相手国の交換レートを知らなかったのですか。 なんとも間の抜けたことだ。 ご丁寧に再度の投稿ありがとうございました!
- eqw-102
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良貨は悪貨を駆逐する。 悪貨は良貨を駆逐する。 両方言います。 慶長小判は江戸初期の小判で、金の含有量は7割以上の良貨だったようです。 その後、改鋳により、小型、金の含有量をどんどん減らして行きます。 もちろん、新しい小判に変える場合、古い小判は回収される訳なのですが、 慶長小判は、タンスの中に隠されました。 幕府は、慶長小判を2枚回収し、新しい小判を3枚作ろうとしました。 しかし、実際には、思うように回収出来ませんでした。 >江戸時代にはたくさんあったと思われる大判・小判はどこへ行ったのですか? 回収され、新しい小判にされちゃったの。>< その結果、慶長小判の値段は他の小判よりも安い価格で取引されます。(量が多い) 他の小判は、価値が無いので回収されました。 今残っていて高値で取引されているのは、 タンスの中に隠してあった小判が流通しているのです。 その結果、 現存する小判の量は少ないのです。 (悪い小判程数が少ないので高価。^_^;)
お礼
慶長小判は7割以上が金ってすごいですね。 質が悪くなるんだったら誰だって隠しますよね。 本来価値が高いはずの物が低いなんて、矛盾してるけど、 そのような歴史的背景があったのですか。 納得です。ありがとうございました!
- cs-megami
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溶かされて、別のものに流用されたんじゃないですかね? 太平洋戦争中には、オリンピックのメダルさえ取り上げられて、武器(?)になったくらいですから。
お礼
せっかく努力して勝ち取ったメダルも没収なんて、 ひどいな~。 ありがとうございました!
お礼
も不平等条約の中の一つなのでしょうか。? 日本の金はそのようにして持ち出されたのですか。ひどいな~。 これも討幕運動の要素の中の一つだったんですね。 ありがとうございました!