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行動が変れば?心が変れば?どっちが先でしょうか?
何処のカテゴリーに聞けばいいのか分からなかったので、ここに質問させていただきます。 以下の(1)(2)は、たまたま聞いた似たような、よく聞く文章です。 最終的に「人生が変わる」という締めになります。 その出だしが (1)のように「行動が変われば」が先か? (2)のように「心が変われば」が先か? どちらが先が正解というか正論だと思いますか。 (途中経過も異なりますが) (1) 行動が変れば 心が変わる。 心が変れば 態度が変わる。 態度が変れば 習慣が変わる。 習慣が変れば 生き方が変わる。 生き方が変れば 人生が変る。 (2) 心が変れば 態度が変る 態度が変れば 行動が変る 行動が変れば 習慣が変る 習慣が変れば 人格が変る 人格が変れば 運命が変る 運命が変れば 人生が変る 行動しようという心を変えないと何も変わらないのかなぁとも思うし、あまり考えずにまず行動を変えてみると自然と心も変わってくるのかもしれないなぁなどとも考えてしまいます。 どうなんでしょう?
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- tokytime
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人は、自分が心のなかで最も強く認識しているものから順に、外部の情報の中から無意識のうちに取り込んで、自分の世界を作り上げていると思います。 例えていえば、「いつも人に非難されている・・」という被害妄想を持つ人は、 周囲の人のおしゃべりも、自分の後ろに並んだ人の話し声も、仲の良い友人との会話のなかにさえ自分を非難している雰囲気、意味を感じ取ってしまうかもしれません。 自分は誰からも好かれている・・・という認識を持つ人は、他者の視線と言葉にいつも自分に対する好意を感じ取るだけでなく、他者からの非難の意見でさえ、自分を愛してくれている故の親切な忠告と受け取るかもしれません。 ですから(2)だと思います。 心が先ずあって、その人生に対する認識が自分の周囲で起こることを解釈し、その情報を取捨選択し、取り込み、それによって自分の行動を決定し、その積み重ねによって人生が形作られて行くと思います。 では、自分の人生を変えたいときにはどうするか・・・ 「心の認識を意識的に変える」のが一番ですが、なかなか難しい場合があります。 今まで自分は嫌われ者だ・・と思っていた人が突然、自分は皆に愛されているとは中々思いにくいものです。 こういう場合は、自分があたかもそうであるような、観想を毎日繰り返すと良いようです。 毎日、10分でもいいので、自分が皆に愛され、好かれている情景を心の中でアリアリと思い描くのです。 そして、その幸せと充実感をたっぷり味わいます。 家族の中でも・・学校でも・・職場でも・・友人のなかでも・・アリアリと手に取るように・・何て人生は楽しいのだろう・・と。 そしてそれがかなり楽に体感できるようになったら、今度は実行です。 家族の中でも・・学校でも・・職場でも・・友人のなかでも・・観想して体験したときのように、そのときの幸福感でもって、いかにも自分が皆から好かれているように振舞います・・もうその充実感を、感情的に体験済みなのですから勇気をだして・・自信を持って・・ これを繰り返すうちに・・最初は「愛されている振り」だったのですが、その内にそれが習い性となり、現実化して、「愛されていることが自然なこと」となり、本人も周囲の人もそれを自然なこととして受け入れるようになるでしょう。 これは一種の瞑想法でもあり、実際に自分の現実を変える方法として修行法でもあります。 あらゆるポジティブな実現に応用できます。 「振りをする」というのは一種の自分の行動を変える手段ですが、行動を変えるためには、まず、自分の心をそのように変化させなければなりません。 従って、やはり心が変わることが何れにしても第一条件となります。
- pqbd
- ベストアンサー率16% (8/50)
私は心が、行動が、ではなく“意識が変われば”が一番先だと思います。 今の自分のまま黙って何もしなければ自然と、「行動が変わったり、心が変わったりする」なんて事はありえませんよね? 行動でも心でも、自分を変えるにはまず「変えよう!」と思わなければ始まりません。 何気なく、普段通りに過ごしていては絶対に何も変わりません。 変えようと意識することがまず最初にあり、その意識の変化が行動の変化をもたらすものだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 お礼が遅れ、申し訳ございません。 私は意識=心とも思いますが、どうでしょうかね。 意識をすることの原動力も色々あるのでしょうね。
- mtld
- ベストアンサー率29% (189/643)
心が変わる にも色々なレベルがあります ”思い” から ”悟った” まで ”悟った”ら 行動に表れますが ”思い”だけですと中途半端な行動となり その時の状況でころころ変わります 行動に変化が表れた 事は心に変化が起った事を意味します 取り合えず行動してみよう は既に心に変化があったからで やって見てうまくいった時 心の変化がより強固になるのです あくまでも 行動 は 心 の意思の下にあります 心 が川上で 行動 は川下です 逆ですと操られている事になります でも心で納得出来なくとも 行動を他人から強制されて 何度もやっていると 何となく納得しまう事はあります これを訓練とか学習効果とか言いますが 人間って複雑ですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 お礼が遅れ、申し訳ございません。 心の変わるレベルも様々にありますね。
- hidechan2004
- ベストアンサー率23% (464/1992)
1だと思います。 僕は、ずっと心を変えようとがんばっていましたが、やっぱり無理でした。 でも、行動を変えてみたら、心が変わってきた気がしますし、今の自分に当てはめると1がすっきりします。 ちなみに、2でも、「変わらなきゃ」と思う気持ちだけで心が変わったと考えるなら正解だと思いますが、 それは、迷いの中でも持ち続けてる気持ちだと思いますので、変わるというのは、自分の中でニュアンスが違います。 動機は必要だと思いますが、些細な動機でも まずは、行動することが大事だと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私も変わらなきゃという意味では心が変わったと思うけど、単なる焦りだけのことかなとも思います。何も行動せずに心を変えるのは逆に難しいのでしょうね。 やはりまず行動でしょうかね。
- junra
- ベストアンサー率19% (569/2863)
すみません別の意見ですが、見方をかえる あることに対して、見方を変えて、心、または動き方をかえる。 行うこといたしての見方を変えれば、おのずと行動や、心も変わるのではと思います
お礼
ご回答ありがとうございます。 「見方」を変える。なるほど。 色々な見方をすれば確かに心や行動も変わるでしょうね。凝り固まっていると中々見方や目線も変えられないですけどね。 まず行動すると見方も変わるかのも知れませんね。
- daidou
- ベストアンサー率29% (491/1687)
こんにちは 興味深い命題ですね 「心」と「行動」そして「環境」を加えて巴構造を考えてみるといいような気がします 3つの内どこかが変われば他の2つも変わるってゆく つまり 「心」→「行動」→「環境」 「行動」→「環境」→「心」 「環境」→「心」→「行動」 このような、ぐるぐる回る構造が土台にあって その上に 「習慣」→「人格(というか性格かな?)」→「人生」 と積みあがっていくような感じではないかと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「環境」→「心」→「行動」ですか。 なるほど。そういえばそうも考えるときもありました。環境も自ら変えようとすれば直ぐにでも変えれますしね。 行動と心だけに眼を取られていましたが、出だしが環境からでもおかしくないですね。
- mayu20
- ベストアンサー率35% (10/28)
(1)行動が変われば、 だと思います。 心を変えようと思っても行動しないと逆戻りってことはよくあることですよね? 行動を無理に変えると心も変わってしまうものだと思います。 例えば不規則な生活をしている人を他人の手で無理に規則正しい生活に変えれば、心はかなり変わると思います。 逆に規則正しい人を怠けさせると心も多少怠けた性質を持つようになるのでは? ええっと大学で「心と体」という講義を受けたのですが、結論が「行動が先」だったような気がするので。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 心を変えないといけないと思っていても、思っているだけでかわらないですよね。何も考えないで行動に移すことで、心も変わる(というか心が納得する)のかもしれませんね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 お礼が遅くなり申し訳ございません。 >例えていえば、「いつも人に非難されている・・」という被害妄想を持つ人は・・・ 今の自分がまさにそのとおりですね。 >こういう場合は、自分があたかもそうであるような、観想を毎日繰り返すと良いようです。 初詣の際でも、日常でも「こうなりたい」と思い続けると変わってくると聞いたことはあります。確かに心、意識をポジティブに思い描くことから初めて見るのもいいかもしれませんし、面白そうですね。 皆さんの回答を拝見して、ますます分からなくなりましたが、答えのないことなのでしょうね。色々な意見がきてよかったです。ありがとうございました。