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現代文の読解(野田到夫妻)

 日本語を勉強中の中国人です。野田到夫妻に関する文章を読んでいますが、理解できない内容がありましたので、教えていただけないでしょうか。 1.「和田雄治」という氏名の読み方を教えてください。 2.「苦しみました」の主語を教えてください。「妻」ですか、それとも「到」でしょうか。私はこの「苦しむ」を「思い悩む」の意味と理解していますので、「到」が、だと思います。 『「やはり、ひとりより、ふたりのほうが仕事がはかどる、千代子が来てくれてほんとうに助かった。」  到は心の中で感謝しました。  こうして、一か月は無事に観測を続けていくことができました。ところが、十一月にはいると、来る日も来る日も、強風が鳴り続け、粉雪がうずをまいてあれ狂いました。小屋は雪にうずまって、気温は氷点下八度、九度、十度と、どんどん下がっていきました。  そして十一月の中ごろには、妻の千代子がへんとうせんえんになって、四十度の熱にいく日も苦しみました。それがなおって、ほっとしたものもつかのま、妻のからだがむくんできました。空気のうすさから高山病にかかったのです。手当のほどこしようがありません。』 3.次の文章にある「どうしたことでしょう」という文の意味を教えてください。 「到は、妻の看病をしながら、観測を続けていきました。  すると、どうしたことでしょう。十二月に入ると、妻の病気は次第によくなって、もとどおりの元気なからだになりました。」  質問が多すぎて申し訳ありません。なめらかな日本語の文章を書きたいと思っていますので、よろしければ質問文の添削もしていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

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回答No.2

1.和田雄治の読み方。 姓の方は「わだ」です。 名の方は「ゆうじ」で良いと思います。 ただ、名前はどのように読ませても良い事になっていますので、「ゆうじ」だけが正しいのではないことを付け加えておきます。 2・主語は「妻」です。 これは、 「妻の千代子がへんとうせんえんになって、四十度の熱にいく日も苦しみました。」という文章ですが、 ここには、「妻の千代子」が「四十度の熱に苦しみました」とちゃんと書いてあります。 また、「苦しむ」の意味は「思い悩む」ではなく、「扁桃腺炎」という病気による「熱」で苦しんだのです。 すなわち、「病気による発熱」に苦しんだという意味です。 3.「どうしたことでしょう」は、「何ということでしょう」「何が起きたというのでしょう」「信じられないことですが」などの言葉でも言い表されますが、 ★「何故こうなったのか理由は判らない」 ★「とても不思議なことが起きた」 ★「驚くようなことが起きた」 ★「信じられないようなことが起きた」 このような状況を表現する言葉として使われます。 4.質問文の添削です。 【野田到夫妻に関する文章を読んでいますが、理解できない内容がありましたので、教えていただけないでしょうか。】 ⇒「理解できない内容がありました」という表現でも間違いではありません。 ⇒文章の中に判らないところがあったのですが、いま現在も判ってはいないので、「理解出来ない内容があります」の方が適切だと思います。 【なめらかな日本語の文章を書きたいと思っていますので、】 ⇒awayuki_ch さんが以前使っていた「自然な日本語の文章」という表現と共に、この「なめらかな日本語の文章」 という表現には少々違和感があります。 ⇒この語をお使いになるなら、「自然な日本語で文章を書きたい」とか「なめらかな日本語で文章を書きたい」という表現の方が良いと思います。 ⇒しかし「なめらかな」という形容詞は、「なめらかな日本語をしゃべる」であればまだ良いのですが、「なめらかな日本語を書く」という使い方は少々疑問です。 ⇒ここは、「自然な」「なめらかな」などを使うよりも、単純に「正しい日本語の文章」とか「より正しい日本語の文章」等のほうが響きが良いかもしれません。

awayuki_ch
質問者

お礼

 毎度お世話になります。  ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。大変理解しやすいご説明でとても納得できます。ただ、2については私の理解でも良いのか、教えていただければ非常に幸いです。また、質問文への添削に感謝いたします。いつもと少し違う書き方をチャレンジしてみたのですが、やはり失敗しましたね。今度、気をつけます。大変参考になりました。  本当にありがとうございました。

awayuki_ch
質問者

補足

>ただ、名前はどのように読ませても良い事になっていますので、「ゆうじ」だけが正しいのではないことを付け加えておきます。  申し訳ありませんが、この一文の意味がよく理解できません。何のことをおっしゃりたいでしょうか。  また、2についてはまだすっきりしていないので、もう少しご意見をお聞かせください。  「四十度の熱にいく日」を「四十度の熱に行く日」、「四十度の熱に達する日」と私は理解しています。「四十度の熱に苦しみました」となるなら、「いく日」の漢字は「幾日」で、「何日間か」の意味なのでしょうか。  shigure136さんは「妻が病気のとき、会社を休みます」という文をまだ覚えておられるでしょうか。「妻が病気のとき、私は会社を休みます」でしょうね。この文と同じような発想で、なぜ『「十一月の中ごろには、妻の千代子がへんとうせんえんになって、四十度の熱にいく日」のことも到は思い悩みました』という理解はだめなのでしょうか。  前文に「到は心の中で感謝しました」とあったので、主語は「到」ですよね。私はこの「到は」は次の二つの段落までかかっていると思います。引用した第三段落(「こうして~下がっていきました」)は「到」の一番目の苦しんだことです。第四段落最初の「そして十一月の中ごろには、妻の千代子がへんとうせんえんになって、四十度の熱に行く日」は「到」の二番目の苦しんだことだと思います。「到」の二番目の苦しんだことなので、「も」を使ったわけのような気がします。  shigure136さんのご説明は納得できますが、私自分自身の理解でもいけるのか、とても知りたいです。よろしくお願いいたします。

その他の回答 (3)

回答No.4

補足欄のご質問にお答えいたします。 質問1.【名前はどのように読ませても良い事になっていますので、「ゆうじ」だけが正しいのではないことを付け加えておきます。】この一文の意味がよく理解できません。何のことをおっしゃりたいでしょうか。 ⇒実際におかしなことなのです。お判りにくいことだと思います。日本人ですら、人の名前だけは当の本人からきちんと発音してもらわないと判らなくて困るというのが本音です。 親が子供に名前を付けるときに、使っても良いとされる漢字は定められています。ところが、付けられた漢字の名前をどのように読むのかは定められていないのです。 今回の「和田雄治」さんは「わだゆうじ」さんで正しいのです。 ところが何処かに、同名「○○雄治」という人物が存在したとします。普通は「○○ゆうじ」さんと読んでしまいますが、もしかしたら「かつはる」さんと読むのかもしれないし、「よしはる」さんと読むのかもしれないし、極端な例では「いちろう」「ごろう」さんと読むかもしれないのです。 それは、親がその漢字の読み方を、どのような読み方をするものとしたのか、どのような読み方で役所に届け出たのかで決まるのです。 ⇒その漢字自体から判断したら絶対に読むことの出来ない読み方でも、名前に付けられた場合は認められているのです。 質問2.2についてはまだすっきりしていないので、もう少しご意見をお聞かせください。 ★聡明なawayuki_ch さんが、何故主語を取り間違えてしまったのかが良く判りました。 ⇒awayuki\ch さんは、 ●「四十度の熱にいく日」を「四十度の熱に行く日」、「四十度の熱に達する日」と私は理解しています。と記してます。 →日本語で「行く日」と表現するのは「旅行に行く日」「喫茶店、映画館、野球場に行く日」また、「サッカーをやりに行く日、絵を見に行く日、写真を撮りに行く日」などのように、【何処かに行く】【何かをやりに行く】ことが決まっている日を指すような場合に使います。 →したがって、「四十度の熱に」の後に付いている「いく日」を、「四十度の熱に行く日」と読むことは100%無いのです。 「四十度の熱で苦しんでいる孫のお見舞いに行く日」なら使えます。 →書き手(作家)は読み間違いや、捉えられ間違いが起きる惧れがある場合は、推敲の段階で書き方、表現を吟味して別の表現や書き方に変更します。しかし、上記の表現はどう考えても読み間違いの起きる可能性が無いと判断されるものですから、「四十度の熱にいく日も」と書いたのだと思われます。 →しかし、これはawayuki_ch さんに日本語の知識があるからこその間違いであり、当然の疑問だと思います。 →「幾日」という漢字はあまり使われていないのが現状です。「いく日」と書いて「いくにち」と読むことは、慣れるしかないかもしれません。しかし、「行く日」となる使われ方を承知していれば大丈夫です。 ⇒したがって、この文章は「四十度の熱にいくにちも」としか読むことの出来ない文章なのです。 質問3 shigure136さんは「妻が病気のとき、会社を休みます」という文をまだ覚えておられるでしょうか。 <もちろん覚えています。> 「妻が病気のとき、私は会社を休みます」でしょうね。この文と同じような発想で、なぜ『「十一月の中ごろには、妻の千代子がへんとうせんえんになって、四十度の熱にいく日」のことも到は思い悩みました』という理解はだめなのでしょうか。 <「いく日」が解決したので、この疑問も解消でしょうか? 質問4. 【前文に「到は心の中で感謝しました」とあったので、主語は「到」ですよね。私はこの「到は」は次の二つの段落までかかっていると思います。】 →確かに前文の主語は「到」です。「到」は「妻・千代子が来てくれた事」に感謝したのです。 しかし、この「到は」は、それ以降の段落にまではかかっては行きません。確かに次の段落では、「到」が観測を続けたと書かれてはいます。しかし、その次の段落では「妻の千代子がいくにちも苦しんだ」と書かれており、はっきりと主語が「妻の千代子」であることが判ります。 ★引用した第三段落(「こうして~下がっていきました」)は、「到」の一番目の苦しんだことです。 →この「こうして~下がっていきました」は、「到」の苦しみではなく、単なる気象条件の厳しさを表現したものです。確かにこの厳しい気象条件は「到」を苦しめたでしょうが、awayuki\ch さんのおっしゃる「いく日も苦しんだ」と繋がる苦しさではありません。 ★第四段落最初の「そして十一月の中ごろには、妻の千代子がへんとうせんえんになって、四十度の熱に行く日」は「到」の二番目の苦しんだことだと思います。「到」の二番目の苦しんだことなので、「も」を使ったわけのような気がします。 →もうお分かりだと思いますが、ここで使われている「も」は、「いくにちも、いくにちも」という「いく日」に付いた「も」です。 ⇒「いく日」という言葉の解釈が起点となって、様々な解釈の間違いに発展したのだと思います。とても貴重な勉強をされたと思います。 これからも頑張ってください。

awayuki_ch
質問者

お礼

 再び丁寧なご回答をありがとうございます。疑問がすべて解けました。やっと辿り着けた気がします^^。感謝の気持ちでいっぱいです。  励ましていただきありがとうございました。日本語の勉強、頑張ります!

回答No.3

 横から失礼致します。  No. 2様への補足を拝見しました。 2. >>「四十度の熱にいく日」を「四十度の熱に行く日」、「四十度の熱に達する日」と私は理解しています。「四十度の熱に苦しみました」となるなら、「いく日」の漢字は「幾日」で、「何日間か」の意味なのでしょうか。  これは正しく「幾日」です。今回教材となさったのは、どうやら子供向けの文章のようですね。「扁桃腺炎」が平仮名になっていること等からも判ります。「幾」が小学校で習わない漢字なのででしょうか、開いて書いてあります。  という訳で、「幾日も苦しんだ」のは「妻」です。 3. 「どうしたことでしょう」  この書き方からも、子供向け(少なくともかなり易しく噛み砕いた)文章だということが判ります。読み手(多分子供)が我が事のように感じられるよう、引き寄せた書き方をしているのです。既に出ているように「驚くような・不可解なことが起きた」という前振りです。具体的に言うと、その驚くような、または不可解なことの原因は究明しようとせず、判らないままに素通りして、起きたことを述べようとするときに使います。 1. 順序が前後しましたが、通常は「わだ ゆうじ」です。気象学者ですね。 http://www.asahi-net.or.jp/~rk7j-kndu/kisho/kisho04.html  URLは挙げてみましたがやはり読みは載っておりません(^^;)。実在の人なのでそこをこそ調べられれば良かったのですが。  No. 2の方がおっしゃるのは、固有名詞だから思いがけない読み方(どんな読み方で)もあり得る、という意味です。例えば、日本名で「淑子」と書いたら「よしこ」と読む人と「としこ」と読む人がいます。地名でも「日本橋」は「にほんばし」と「にっぽんばし」(共に実在する別の場所)があります。日本の法律で、人名に使える漢字は限られていますが、読み方は自由にしていいということになっています。ですが、「和田 雄治」だったら十中八九「わだ ゆうじ」“であろう”という訳です。  添削に関してはもう、多少あったとしても、重箱の隅をつつくようなものになってしまいます。日本語ネイティヴでも、質問者様より変な日本語を言ったり書いたりしている人がごまんといますので。ですから、気になさらなくて良いのですが、強いて言うと、 >>理解できない内容がありましたので、  やはり「今でも理解できない」のですから「あります」でしょうね。また、「内容」よりは「部分」のほうがしっくり来るような気がします。

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご無沙汰しております♪  ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。子供向けの文章に見えるでしょうか。ショックですね(笑)。実は、単語は一課百個以上でけっこう辛い思い出をくれる大学時代の教科書でした。最近、大学時代の教科書をまた読みたくなり、読み始めました。新発見が多くてとても面白いです。同じ文章でも数年後読み返した時に、やはり受ける印象は変わりますね。質問文の添削にも感謝いたします。疑問が解けました。大変参考になりました。  本当にありがとうございました。

  • fitzandnao
  • ベストアンサー率18% (393/2177)
回答No.1

1.わだ ゆうじ だと思います。 2.妻です。↓の(1)です。 くるしむ 【苦しむ】<〔形容詞「苦し」の動詞化〕(動マ五[四]) (1)肉体的な痛みや苦しさを感じてつらいと思う。 「毒薬をのんで―・んでいた」「神経痛に―・む」「―・む時は休めつつまめなれば使ふ/方丈記」 (2)精神的に苦痛を感じつらいと思う。人生や生活に苦労があって苦しいと思う。思い悩む。 3.なぜだかわかりませんが、どうした事が起こったのかわかりませんが、という意味。 たいへんお上手だと思います。 「貧困に―・む」「罪悪感に―・む」 (3)理解・判断に困る。窮する。悩む。困惑する。 「全く理解に―・む」「説明に―・む」

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。1と3はよく理解できました。とても参考になりました。  本当にありがとうございました。

awayuki_ch
質問者

補足

 2についてですが、このように判断される理由も教えていただければ非常に幸いです。『「十一月の中ごろには、妻の千代子がへんとうせんえんになって、四十度の熱にいく日」のことも到は思い悩みました』という理解はなぜだめなのでしょうか。よろしくお願いいたします。

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