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ヒトの言語獲得について
言語を獲得以前のヒトの子供に、言語獲得の前提としてどの様な能力が備わっていると考えられますか? そして、言語の獲得以前に必要な学習はどのようなものが挙げられるのでしょうか。 お答えいただけると、とっても助かります。
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言語獲得の前提となる能力は、視覚、聴覚の感覚器官がまず、正常に備わっていることが間接的条件となります。またそれらが、正常に機能し、発達と共に、感覚運動系のフィードバック・シェーマを構成できることが前提になるでしょう。また、発声の器官も重要で、発声の運動と感覚の統合シェーマの成立が前提になるでしょう。ということは、いま言った、感覚運動シェーマが構成されるような、基本的構造が、能力として、子どもに備わっていることが前提です。そして、普通は、このような能力は備わっています。 しかし、もっと重要なことは、「言語」についての構造展開の大脳機構が、器質的に備わっていることです。人間の子どもの場合、人間の言語を習得するために必要な、こういう器質的条件能力が、脳構造においてあるのですが、高等霊長類には、器官的に、このような意味の言語展開修得能力の基本構造が欠落しています。このことは重要で、猿やチンパンジーの子どもを、人間の子どもとまったく同じ条件で育てても、遂に、言語習得は成功しなかったという実験が、この能力を、人間の子どもは有していて、高等霊長類は持っていないことを示しています。 これは、チョムスキーの言う、深層構造とも密接に関連するのでしょうが、子どもは、「言語志向」があります。空腹になると食物を求め、喉が乾くと水を求めるというのは、脳の構造的規定ですが、人間の子どもには、言語を求めるという基本能力が、脳に刻まれているのです。具体的言語が、そのなかに収まる、非常に複雑な幾何学形状の収容機構が脳にはあって、水を求めるように、子どもは、この構造の具体的言語による充填を求めるのです。 これは、子どもが言語習得において、自然的積極性を持つと言うことで、このような能力がなければ、複雑な言語を子どもは習得できないはずなのです。子どもの「積極的言語志向性」は、子どもが、言語を習得するため、自発的な膨大な努力を傾注しているという事実からも言えるのです。単に、コミュニケーションのため必要だという理由だけでは、この自発的積極的努力は、説明できないのです。何故なら、母親やその他の人との意志疎通だけなら、高次言語は不要だからです。母親またはそれに対応する人が、子どもと言語的コミュケーションを取ることなく、共生的生活を行うと、子どもは、膨大な努力の結果を放棄して、一旦修得した言語を忘却し、勝手な人工信号体系を母親とのあいだで作り上げます。母親がこれを、言葉で語らなくとも心が通じるなどと考えているとたいへんな間違いで、通常の抽象言語のシステム構築から離れて、特殊な言語を子どもと母親で発明していることになるのです。 そして、このことがまた示すのですが、子どもは、「言語を発明する」のです。実験的には、子どもは、習ったことのない命題文を無限に作り出す能力があるということが、この間接的な証拠です。「言語を発明する能力」とは、子どもの言語習得が、学習だけではなく、創造活動だということも意味しているのです。子どもが発明した言語を、大人などが、面白いなどと言って、同調していると、子どもの外部抽象言語の修得が遅延します。 言語の獲得以前に必要な学習とは、先に述べた、視覚、聴覚、そして発声器官の適切な感覚運動系シェーマの構成に必要な、刺激を通じての行為学習があるでしょう。縦縞の壁しかない部屋で育てた猫の子どもの実験ではありませんが、感覚シェーマが十分発達するような環境で、感覚運動シェーマ構成の行為学習が前提になります。 言語習得の実際段階では、子どもへのインプットが必要です。つまり、子どもは、言語に飢えており、この飢えに対応して、言語サンプルを提供する必要があるのです。一つに、子どもは観察者として、他者の会話や行為や仕草を見ているという形の学習があります。もう一つは、子ども自身が、一方の当事者で、行為を相互的に行うなかで、子どもに言葉が、場面に応じて提供されるというのがあります。この二種類の形の、場面付きの言語サンプルの提示と学習が、前言語段階で、子どもには必要なのです。 前者のサンプルでは、一般に言われていることですが、子どもの前で、色々な会話を動作や行為を含めて、提示して見せることが重要です。子どもは、言語の使用場面のサンプル修得を積極的に求めているのです。また、後者では、子どもには分からないだろうと言って、おかしなことを言ったり、逆に何も子どもの前で、子どもに対し述べないことは、学習サンプルを貧困にすると共に歪曲させます。積極的言語志向性というのは、凄まじいものがあり、子どもは、大人の行動や言語を、全部記憶しているのだと考えた方がいいでしょう。これは、フロイト派のいうような、コンプレックスの形成とか、そういうことではなく、言語取得において、子どもは、想像もできない能力を発揮しているのだということです。 もっと易しく言いますと、子どもを閉じこめないで、色々な環境を見せること。感覚運動シェーマにとって、これは重要なのです。そして、場面の状況を付帯させて、言語サンプルを多数子どもに提供すること。子どもが、対話を求める場合は、可能な限り、それに応じるということです。多様な言語サンプルを提供するため、文字が読めない、言語が理解できない、子どもに、話しかけて場面状況を説明したり、絵本を読んであげることも意味があるのです。これは、言語学習を前提の話で、子どもの育て方として、矛盾する場合は、選ばねばなりませんが、そういう話はいまは別のこととします。子どもには、理解できないと思っていて、実はこういうサンプル提示は、非常に意味があるのです。 子どもには分からないだとうと言うのは、大人の感じ方で、子どもの記憶力は、言語に関しては驚くべきものがあり、そういう風に、絵本を読んで見せておくと、その経験は、子どもの言語体系のなかで、咀嚼され、構造として構成されます。もっと後になって、絵本をまた見せると、まったく絵本を見たことのない子どもとは、反応も受け取り方も、意味も違って来ます。 子どもは、言語に飢えており、大人の言語を学習すると言うより、提示された言語サンプルをもとに、自分で言語を発明していると言ってもよいのです。子どもが自分で発明した言葉という分類が発達心理学で出てきますが、実は、子どもの言語は、ある意味全部、自分で発明したとも言えるのです。ただ、その発明の質を高めるには、良質の多様で豊かな、見本とするサンプルが必要になるのです。
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発達心理学の内容であればですが。言語獲得の前提として以下のことがあげられます。 ・言語性能力は大別すると、聴覚性言語、視覚性言語に別けられる。聴覚言語とは 話を聞いて理解する声を用いて言葉を表現するという理解表出である。視覚性言 語は読んで理解する、考えを書いて表現するといった文章の理解表出でありこの 双方が発達的な関係を持っている。 ・ことば以前の音声の中で泣き声に関しては、痛みに対する泣き声と空腹による泣 き声の持続時間やメロディが異なることが知られている。この様な泣き声や笑え 声以外の乳児の自然発生を喃語(なんご)Babblingと総称する。この発生は生 後4~8週頃から始まる。10カ月頃になると他人の音声を模倣するようにな る。 必要な学習として、母によることばかけにより乳児は早期より有意味な音声を学習できる。ナンゴに対応する母親や保育者の音声により発生が増加することが母子相互作用の研究で報告されている。 こんな感じです。児童発達心理学の参考書を読むことをおすすめします。
お礼
とてもわかりやすく纏めてくださって、有難うございます。 よく理解できました。 喃語の発生、また他人の音声が模倣できるということが、ヒトならではの能力なのですね。 厚かましいのですが、乳児期の言語獲得についてのできるだけ最新の研究がわかる文献でお薦めのものがあれば、是非教えていただきたいです。
お礼
ありがとうございます。 とても詳しくて、しかもわかりやすかったです!! 脳の器質学的アプローチについては殆ど知らなかったので、新鮮でした。新たな角度が見えたという感じです。 言語野の有無が、ヒトと他の霊長類との大きな違いですね。 子どもが発明した言語に大人が面白いからといって同調していると…というのは、実生活レベルでは例えば幼児語(~でしゅ、~でちゅ、など)を大人が助長していると正しく発音出来るようになるのが遅くなる…といったことが挙げられますよね? また、「言語を発明する」「言語に飢えている」という表現が非常に印象に残りました。 確かに私も幼児期は言葉を発明していましたし、なんだかリアルな実感を感じます。 言語サンプルを提示するということが言語発達に重要であるという点も、決して机上論ではなく、自らの経験にも基づいたものであると、改めて気づかされました。 重ね重ね、ありがとうございました。