• ベストアンサー

精神に於ける知識などの獲得をなんと呼ぶか?

普通、学習とか、思考とか、試行錯誤とか言われますが それは動物で言えば進化によって獲得した形質の様なものではないでしょうか? 傘をさしたり 車に乗ったり 飛行機で飛んだり 洋服を着たり 冷暖房したり  色んな形質を身につけました これを成長と呼ぶか 進化と言っていいのか 文化文明と呼ぶのか? 言葉があるでしょうか?  このような形質の獲得のことを 何と呼べますか?進化でいいでしょうか? よかったら教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#214841
noname#214841
回答No.6

この御質問におもしろい回答をつけてくれる人を知つてゐるのですが、生物学カテゴリに投稿なされば、回答がもらへるかもしれません。以前「断続平衡説」について質問したときに、すばらしい内容の文章をもらつて意気投合しました。現代の科学水準を絶対視せず、獲得形質の遺伝など、幅広い視野で論じてくれて、爽快でした。遺伝子がわかれば生物がわかる、などといふ傲慢な発想ではなく、部分と全体のバランスを大切にするグールド派です。(グールドといふのは、古生物学者のスティーブン・ジェイ・グールドです。) 質問文にあるやうな内容は、古くはアルフレッド・ウォレスが考へてゐました。ダーウィンと同時代の人で、自然選択の発想はむしろ、ウォレスのものだとみなす人もゐます。私はウォレスの文章を読んだことがありませんので、ウケウリになりますが、 >傘をさしたり 車に乗ったり 飛行機で飛んだり 洋服を着たり 冷暖房したり といふ急速な進歩状況があるにもかかはらず、人間の脳はほとんど変化がない、と言つてゐるやうです。つまり、自然選択は、進化にはあまり影響してゐない、と。リチャード・ドーキンスのミーム理論の出発点はここにあります。 私は重要な指摘だと考へます。yuniko99さんが、このやうにして質問してくださるのは、きはめて貴重なことです。回答番号3の方の御意見のとほり、一般には進化とは無関係ととらへられてゐると思ひます。ドーキンスの発想は、還元主義にもとづく「広げすぎ」、と私は思ひます。ある程度は認めてもよいでせうけれど。このあたりは、som_dayさんが詳しいのですけれど。 >何と呼べますか? わたしには、言葉のセンスがありません。yuniko99さんのすばらしい感性で、お決めください。

yuniko99
質問者

お礼

成る程 ダーウィンの頃から人間のことも言う人がいたという訳でしょうか 動植物に関しては僕は自然淘汰、生存競争、獲得形質、メンデルの法則、突然変異説等を認めますが。 人間は違うと思います。脳の活動による精神で形質(姿や性質など)を獲得している訳ですから 世代交代や生存競争の必要はありません。競争自体を否定しませんが 生存競争である必要はない いや生存競争は害があると思います。 私は進化論は素人ですが 精神による形質獲得を進化と呼びたいと思っています。 これはどうも大変ありがとうございます。

その他の回答 (5)

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.5

傘や車や飛行機や洋服、更に冷暖房は現代文化といえるのではないでしょう。 司馬遼太郎だったと思いますが、文化とは文明のもたらした化石だというようなことを書いていたように思います。たしかに文化は進化した人間の文明の産物で、進化そのものではありません。文明が進展し、進化が更に進めばそれらのものはいずれ時代に取り残されて古び、使い物にならなくなっていくでしょう。いずれ化石にもなると思います。 >このような形質の獲得のことを 何と呼べますか 獲得した当座はそれ以前よりも進んだ、進化した結果だといえると思います。始祖鳥が羽根を得たことも同様に進化の産物だろうと思います。 これはことばの使い方によるので、人間が飛行機の発明で羽根を得ても、それ自体は進化でもなんでもない、ただ生活が、身の回りがいたずらに複雑になっていくばかりだ、進化ではない、後退だという考えもあります。進化にせよ後退にせよ、始祖鳥が羽根を得たのも所詮は自然がより複雑化して混乱しぐちゃぐちゃになっていく過程にあり、いわゆるエントロピーが大きくなって最終的に熱死にいたる途中経過に過ぎないのだという人も居ます。

yuniko99
質問者

お礼

エントロピー 知ってますよ^^熱力学の第二法則≒エントロピー増大の法則(絶対則?) エントロピーは乱雑さ 社会科学にも転用されるようになります。 秩序のなさとしてのエントロピーは増大し続け、宇宙は最後は熱しすると言われていました 実際にホーキング氏が立てたブラックホールが蒸発するという仮説もその為に考えられた様なものです。 私はそうではない という論を展開しています。35年やってます。 どこでやってるか宣伝したいけど 規約違反になるので出来ません とほほ。 そのエントロピー増大に抗して、引力と循環が新しい創造を実現していく それが生命であり人間なのだと・・・未来は人間から開かれる それによって過去の人々の苦労 犠牲も報われるのです  天は自らを助けるものを助く。 どうもありがとう存じます。

回答No.4

#1の者です。 >進化とは言えないというわけですね いったん自己チューな意識のまま他律的に生かされる アリ型進化に進んだ場合には、その歯車人間にとって、 「認識の深まりは進化とは言えない」のです。 認識の深まりによる自律的社会行動をとるヒト型進化を とった場合には、認識の深まりは進化です。 また、遺伝=世代間伝承は、DNAによる遺伝子(ジーン) だけでなく、社会制度や教育制度、常識やモラルなどの 文化のように、社会的に世代間で伝承されるものも、 社会的遺伝子(ミーム)と名付けられています。

yuniko99
質問者

お礼

>認識の深まりによる自律的社会行動をとるヒト型進化を >とった場合には、認識の深まりは進化です。 そういう場合に限って 進化と言う事もあるということでしょうか 社会的遺伝子(ミーム)という呼び方もあるわけですね 成る程 どうも大変ありがとうございます。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.3

進化は遺伝子の変化が対応している。人間の場合は遺伝子による束縛からどのくらい自由になっているかが問題になる。これは進化とは正反対のことでは。

yuniko99
質問者

お礼

正反対・・・と言う訳ですね。そうは思えませんが どうもありがとうございます。

  • Key_A
  • ベストアンサー率9% (55/603)
回答No.2

>>精神に於ける知識などの獲得 (精神に於ける知識)などの獲得 精神に於ける(知識などの獲得) どっち? 哲学の前に国語辞典を読むことから始めよう。言葉遊びでしかないから。

yuniko99
質問者

お礼

どちらも似たような意味になると思いますが どうもです。

回答No.1

「認識の深まり」でしょう。 無=不確定性無限の、潜在的認識可能性の変移=経験に おいて、五感の相関した経験の蓄積により、新たな先行 感覚(視覚や聴覚のように情報性の高い)に対して、 より生理的な感受を励起させる=そこへ行けば何が起き るかの予測として、空間的広がりは生じる。 人類は、それによって遺伝子の突然変異とそれに対する 自然淘汰という遅々とした進化によらず、個体的経験 (学習)による適応や多様化による迅速な進化を可能に したのだ。 ただし、そうした意識による自覚的適応の一環としての 分業(助け合い)=社会性の発達において、そうした 自己の生の社会的拡張を把握(自律的社会行動)できる だけの認識の深まりを怠り、お金や出世、虚栄心といった “馬車馬の目の前のニンジン”によって他律的に生かされる (お金をもらうためにイヤイヤ働く)方法を選んだのだ。 そうした「歯車人間」にとっては、反射的に操られる方が 効率的であり、余計な認識の深まりはトラブルの原因で あり、「進化」とは言えないだろう。

yuniko99
質問者

お礼

進化とは言えないというわけですね どうもありがとうございます。

関連するQ&A