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アメリカ、日本、ドイツの統計からみた科学
アメリカの科学の教科書は、日本、ドイツを遥かに越えて学ぶべきことトピックをカバーしていることが統計上わかりました。しかし、日本、ドイツの生徒の科学の成績はアメリカの生徒より圧倒的に上位です。どうしてでしょうか? わたしの推定は、文化の違いですか?日本人はマメだとか。費やす時間が違う?いやぁ、どれもさまになりません。アドバイス等願います。 カテゴリーからずれてるかもしれませんね。しかし、ご意見ある方お願いします。
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そうですねぇ。国レベル、地方レベル、個人レベルのそれぞれにおいて、学校と教育に対する意識の違いが一番大きいのではないでしょうか。 まずは個人レベルですが、日本では少し前まで教育・学業はすべてにおいて優先されるべきものであるというコンセンサスがあったと思います。子供は学校と家でおとなしく勉強してればそれでOKみたいな感覚と言ったらいいでしょうか。米国では、個人主義が徹底してるために学業・スポーツ・芸術の活動・さらにはそれ以外の無責任なフリースピリッツな行動も全部同レベルで許されます。日本のようにまず学業があってそれ以外をするのではなく、学業はほったらかしにして他のことに完全に専念してても良いって感覚です。さらには特定の人種の中には文化的に学問の重要性をまったく理解していない人たちが居て、子供を学校に送り出す必要を感じていない人たちが驚くほど多いというのもあります。そのような家庭環境だと、必然的に学問に対する熱意は低下し、良い結果は得られません。 さらに米国の教育の興味深いところは、教育は州・カウンティ・市・町、もしくはもっと狭い単位で予算および教育方針を立てられるということです。日本のように文部省が集中して教育内容を決めるシステムは存在しません。もちろん、州は一種の教育スタンダードを決めてそれに逸脱しないように指導する権利を持っていますが具体的にそれをどう実行するかはあくまで地元、極端な話、学校単位でもかなり大きな裁量権があります。また各学校は教科書に書かれていることをすべて教える必要はないのです。州が指定する最低限を満たせば、その地域が必要と考えてるスタンダードを教えきれば良いとされています。 そして、地域住民は学校に対して絶大なる影響力を与えることができます。これは、学校は地域住民の税金で運営されるため、裕福な地帯では公立学校でも良い教育を提供することができるし、貧乏地帯は荒れがちな学校になります。公立学校におけるその差はあきれるほど歴然としています。 さらに公立学校の問題は、おおむね教師の質が低いことが挙げられます。その問題の本質は、教師は日本のように県(州)単位で雇われているわけではなく、多くは学校単位の契約社員なことでしょうね。基本的に、教師は給料が安いし、誰でもなれます。生活は決して安定していません。なにより学期単位で教師の採用されているところが多いし、優秀な人は学期途中でより高い給料の仕事を見つけて辞めていき、ごく一部のやる気のある教師と無能な教師だけが残っていくという悪循環に陥ってるところがほとんどです。以上の理由から、米国の公立学校・教師の質は驚くほど低いのが現状です。そんな状況ではいくら教科書がしっかりしていても教えきれる教師は少ないでしょうね。 では、国は何をしてるかというと、州やその下の地方がスタンダートして採用できる教育方法の研究についてお金を出している、と見るべきでしょう。多様な価値観を持ってる国ですから、地域によっては公立とはいえ教育に非常に力を入れているところもあります。それらをカバーするために幅の広い研究をする必要があるでしょう。その研究結果に従って教科書は作られていくのですが、教科書自体は民間企業が勝手に作っているものであって、国とは直接は関係しません(厳密はそうとも言い切れませんが省きます)。教科書会社はまぁ、商売なのでなるべくどこの学校でも使えるように幅広いトピックを入れることになります。だからと言ってすべての学校がそれを教えているわけでも、教えられる能力があるわけでも無いのは既に述べたとおりです。 ざっと以上の理由から全体的なレベルとしてみると、教育そのものを国策として考え、国民が教育に対する理解がある国の方が全体的に見たらレベルは高くなっていくってことのように思います。ただ、このように壊滅的な公共教育の米国なのですが、ノーベル賞を取れる学者をたくさん排出できるのかについては、また違う理由が考えられます。それについてはいろいろ考えることはありますが、少なくとも教科書の違いからではないと思います。まぁ、専門家ではないのでこのくらいで。
お礼
細かいご説明ありがとうございました。そして、遅くなって申し訳ありません。