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蜀山人こと大田南畝って
天明狂歌ブームの中心人物だった、大田南畝。 彼って現代でいうと、誰のような存在なんでしょう? また、当時なんでそんなに狂歌が流行ったのでしょうか?
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当時は幕藩体制が行き詰まり、庶民や財政難の旗本たちに、閉塞感や不満が鬱積(うっせき)していて、反体制の狂歌がはやりました。 その中心の一人が大田南畝で、周りに商人や旗本の二男、三男が集まっていたと云われています。 大田南畝に関する評論は沢山あり、評価は高低さまざまです。 儒学に造詣が深い文人旗本ですが、狂歌は結構下卑たのもあり、格調の高いのもあると云う具合です。 評価の低いのは好色だったとの話もあり、また幕府の取り締まりがきつくなると、さっと筆を引いた事にもあるようです。 しかし狂歌の隆盛と、のちの維新に影響を与えた事は否定出来ず、大物とは云えないがつかみ所のない人物で、現代に当てはめるのは難しいようです。
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- anikipart2
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回答No.1
私的には今で言うとみうらじゅん、かな? 何故流行ったか?んー、結局時代的に世の中戦がなくなって久しく、町人文化が台頭してきた。ってのがベースにあると思います ごめんなさい、詳しくは知りません。5分検索しただけで回答してみましたw
質問者
お礼
お礼遅くなって失礼しました。 参考になりました。ありがとうございます。
お礼
御礼遅くなり失礼しました。 大変参考になりました。ありがとうございます、