例えば、コペルニクス的転回と自分をなぞらえた、カントという人は、「ものに認識がしたがう」と言う観点を「認識にものが従う」と言う観点に変えたことで有名です。主語と目的語が反転しているところが、転回にあたる部分です。当たり前と感じるような根本的な考え方を変えて、ものの考え方をひっくり返して考えるのです。
普通われわれはものを知ろうとするとき、例えば、人が人を理解しようとする時、われわれは何度も勘違いをします。「この人はぱっと見怖そうだから、きっと中身も怖いんだろうな」何度も付き合っていくうちに誤解が取れていく場合もあるでしょう。
これだけを見るとまずものがあって、それをわかろうとする、と言う順番があることがわかります。
ところがここで、「わかろうとすることのほうがえらい」と考えて見ましょう。すると、次のような考えが浮かびます。
われわれは第一印象を持たなければ、その人に感心すら持たなかったのではないでしょうか。第一印象がないということは、私たちはその人がどんな人なのかにすら全く興味を持っていないと言うことなので、その人が本当はどういう人なのかも考えることができないことになります。
そうすると、第一印象という考え方があって、初めて人間を知ることができたことになります。先にわかろうとする心があるから人間が自分の周りに現れることになります。こう考えると、「わかろうとすることのほうが、わかろうとする対象(もの)よりもえらい」ことになります。
と言うように、考え方をまるっきり逆の方向にすると、新しいものの見方ができることがわかります。
転回と言うのは、科学などで説明を付ける前の、「心構え」のようなものなので、科学が発達した今でもかなり重要視されて使われています。考えが行き詰った時には、ぜひ「逆に考える」と言う方法もあるよ。と言うことを覚えていてほしいと思います。
補足
どうもありがとうございます(^^ 論理の転回という言葉をうろ覚えしており、検索を欠けると、天動説と地動説についての件がヒットしました。はじめにそれを見たのは、キリスト教がギリシアに渡って、どのようにいじられ、解釈されていったのかを解説しているサイトで、見かけたような記憶があります。キリストの神性と、人性をどう汲み取るかで、随分な議論があったようです。 学術用語としては成立していないということですね。ありがとうございました。 コペルニクス的転回の説明を、ありがたく頂戴いたしますm(_)m