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外国語をやってよかったこと
こんばんわ。 現在、英語以外の外国語を習得しようと思っているのですが、どれをやろうか見当が付きません。 そこで、(英語でも構わないのですが)外国語を学んでいることで、よかったことは、どんなことがありますか? ひろくご感想を聞きたいと思い、お尋ねいたします。 狭い思い込みで凝り固まった状態で、将来を左右するであろう選択をしたくない、言語の世界に対する偏見を取り除きたいという思いから、広く、経験者の方々の、いきいきとしたご意見をお待ちしています。修得のレベルは問いません。よろしくお願いします。言語を学ぶと言うことは、きっと、驚きに満ちているのだと期待しております。
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スペイン旅行したい(なるべく自分の自由に)と、スペイン語の響きに惹かれて、スペイン語教室に通いました。 ボサノバ(音楽)にも興味あったので、ブラジル-ポルトガル語でも良かったんですけど(笑)。 十数年前は日本では今ほどポルトガル語が盛んでなかったし、都会に住んでもいないので、スペイン語のほうがまだしも習いやすかったという事情もありました。 良かったことは、 ●もちろん、旅行で役立っていること。 大雑把ながら、スペイン語しかない旅行情報も読めます。 現地の人と簡単な話をできる。下手ですけどどうにかこうにか。 ●スペインだけでなく中南米にも興味が広がったこと。 まだ行ったことはないんですが、、。 ●文法を勉強する意味が分かったこと。 高校時代、英文法に興味を持てませんでした。 文法なんて、と。 スペイン語勉強をしてみて、ああ文法ってこういう風に利用するものだったのかと解った。 ●日本語をあらためて考えるようになった。 ●英語学習の役に立った。 ラテン語由来の単語が多いらしい。スペイン語で知っている単語から想像して意味が解ったり、覚えやすい場合がある。 ●外国語を学ぶことに対する敷居が低くなった。 ●敷居が低くなって気軽に考えられる反面、英語を含め、外国語を習得することの難しさ、習得レベルにもいろいろあることが分かった。 勉強したことのない人ほど簡単に「英語ペラペラ」「ネイティブ並み」などと言うということも(苦笑)。 ネイティブ並みってすごく遠い道のりです。 自分の場合は英語もスペイン語もそこまで到達するのは一生ムリだと思う(今より上は目指しますけど)。
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私は英語とドイツ語を少々出来ますが、仕事で使っていたのは英語だけ、大学で専攻は独文でした。定年後、そのドイツ語で現地に友人を何人も得ることが出来き、一昨年現地へ遊びに行きましたが、その際、友人の友人たちから招待され、低地ドイツ語(現地の地方語)での俳句の会合に出席させて頂きました。その際、前もって別の知り合い(在米ドイツ人)から日本の古典俳句のドイツ語、低地ドイツ語訳を日本語と一緒に詠んで参りました。このような経験は、ドイツ語をちゃんと学び、 その後長くドイツ語/ドイツ文化に興味を持ち続けたお陰と思っております。結構日本の文化について質問されますので怠り無く勉強しないと恥をかく恐れがあります。何れにしても、視野が広がり少しは良かった かなぁ と 思っております。
お礼
みなさんで俳句のセッションをしている光景が、目に浮かぶようです(^^。 外国人の方が、日本人の方よりも、日本の伝統文化をよく知っている、知ろうとしていることもありえそうですね。日本人には、日本文化が肌にしみてしまっているから、取り立ててそれを大事にしようとはしない。元気な間は、節度を知らない、ようなことに近いのでしょうか(^^; また、日本人は旅行好きです。その逆も言えるのかもしれません。私が以前行った海辺の村では、とてもきれいな所なのに、そこの若者は村よりもシティに行きたいといっていました。人って不思議ですね。いいところに居ても、他の所を見てみたい。好奇心でしょうか。 好奇心に言葉が伴えば、きっとすばらしいと思います。 ありがとうございました(^^。
補足
皆様、たくさんの心あるご回答くださり、私は大変励まされました。 言語に感じる魅力も、本当に幅の在るものだと分かりました。まだまだ、自分は言語を知っておらず、質問して本当に良かったと思っております。 感謝。
こんにちは! いろいろな外国語を勉強してきました。 本腰で取り組んだのは英語、中国語で、これは仕事上、たいへん役に立ちました。でも、外国語の習得には膨大な時間やエネルギーが必要です。日本語とは言語系統が全く異なる英語や中国語を習得するために、費やした時間や犠牲にしたものを考えると、そんなに頑張る必要が果たしてあったのか、疑問に思うことがあります。 一方、少しかじった程度の外国語はフランス語、ドイツ語、イタリア語、アラビア語、韓国語で、NHKのラジオやTVの語学講座で聴きました。大体3ヶ月程度です。外国語を勉強すると、それらの国の人々や文化に対して興味や親近感を抱くことになるので、世界がぐっと広がります。とりわけ、旅行に行った時など、道を尋ねることができ、とても便利です。 一言語に集中するのもひとつの方法なら、浅く広く多言語に関わるのもひとつの方法だと思います。どちらにしても、面白い結果が得られるのは間違いないです。
お礼
そんなにがんばる必要があったのか。 がんばり方に気をつけろ、というご忠告と思って、頂きました(^^; 面白い結果が得られるのは間違いない。 確信を述べていただき、ありがとうございました。 外国語の文字を見ているだけでも、面白いですよね。 結果だけではなく、過程も十分に味わいたいと思えました。
- gohannannisiyo
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韓国語と中国語を学びました。現地でも暮らしました。自分の選択に満足しています。 日本独自の文化だと思っていたものが韓国や中国にもあったり、逆にアジアならどの国にもあると思っていたことが日本独自のであったり、それぞれの国がそれぞれの国に与えた思いもしなかった影響に気付いたり、本には全く書いてないようなことを沢山知りました。自分が歴史の流れの中にいることが実感できました。非常にエキサイティングでした。
お礼
率直に驚きが述べられており、読んでいて気持ち良いものを感じます。 ご回答、ありがとうございます。 歴史の流れの中にいることが実感できる。 それって、とても必要だけれど、実際に得る機会はなかなかなさそうです。地球温暖化が、情報革命が、と、現代のグローバルな変化を聞いては見ても、過去との対比がない限りは、それを実感として把握するのは難しいかもしれません。 現地には、その過去が連綿と続いているわけだから、そのことで、歴史を身で知る事ができるのかもしれませんね(^^ 様々なものを知れる。 これはとても大きなことだと思いました。
- ku_umi
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私は大学で第二外国語としてスペイン語履修しました。 元々、観光系志望で、途上国よりもヨーロッパなどの先進国が好きだったけど、スペイン語の先生がペルー人であった影響もあり、中南米に興味持つようになったのが大きいですね。 それに私は、第二外国語にはまってしまって、結局最後までスペイン語履修しましたが、大学生活何頑張った??っていうので胸張ってスペイン語って答えられるし、これからもスペイン語続けて生きたいって思うくらい語学の楽しさを得ましたね。 あと仏語を履修してみたとき、文法がスペイン語やってたおかげで理解しやすかったです。 第二外国語は自分の可能性、将来の選択の幅を広げるものだと思います。私の場合、スペイン語で、就職したらスペイン語使って、もっと中南米旅行を推進したい野望とか(笑)ですが、どの語学をとっても可能性は広げられる、いや広げるものだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます(^^ 頂いたご回答の最後の部分に、異言語を習得すれば、可能性は広がる。広がった可能性の中で、どの選択肢をヒットするのかという自由が得られる。 そのような前進しようという意思を汲み取りました。 人生の推進力にもなるという、元気のあるご回答、ありがとうございました。
外国語はコミュニケーションのツール(道具)だという言い方をしますが、外国語ができてよかったと思うのは、外国人とコミュニケーションでき、その結果として仕事や遊びを一緒にでき、自分の生活も世界観も広がったことです。 英語(他外国語)がしゃべれてどうなるの?と開き直る人がいますが、それはしゃべれていないからで、日本語も現在はTVの普及なので全国標準日本語が通じますが、ほんの100年前はそれもむずかしかった地方もあり、やはりコミュニケーションが生活や仕事に重要な意味があることを理解すれば、外国語ができるということも、あなたの活動を助けるツールとなりえます。
お礼
活動範囲が広がる。 とても大きな魅力ですよね。 コミュニケーションにおいては、言語を過信することも注意せねばならないと思います。 おっしゃるように、活動を助けるかなり重要なものであり、パートナーのようだけれど、しかし、活動を主導するものではない、そのような考え方が、異言語にたいする姿勢としては、丁度よさそうですね(^^。 ご回答ありがとうございました。
私は逆から考えたいと思いますが、外国語をやっていなかったら 今よりもずっと視野が狭かったと思います。ネットでまとまった英文と出会う度に逃げていたら得られる情報も限られていたでしょう。 日本語以外で新しい発見をした時、ちょっぴり得した気分になります。 あと、何語でもいいんですが、外国語を学ぶことは脳の刺激になるので私はずうっと続けるつもりです。
お礼
ネットのサービスにも、英文が解釈できなければ利用できないと言うものもたくさんありますよね(^^。私も、逐一読もうとする事もあるのですが、語彙の少なさを、何時も思い知らされます。ある一定の語彙の量を確保すれば、表現の幅も、理解の幅も、ぐっと広がるだろうなと思います。単語と文法は、切っても切り離せない関係で、両者があって、伝達されるイメージが形成されると考えるからです。 英会話をする機会がない時は、そのような風に、英語のバランスを考えて、英語に接しています。 外国語が脳の刺激になると言うことですが、英語を使うと、頭の中も少し、別の雰囲気が漂いますよね。あやふやながらも、一生懸命考えますし。言葉の奥に潜む気持ちを一層大事にできるのも、異なる言語ゆえかもしれません。 ご回答ありがとうございました。
- ikaihsot
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欧州生活15年目で英・独・伊を習得しています。利点といえば、その言葉を話す国の人たちの国民性が、外国語を通してよりもはっきりと見えること、かもしれません。ドイツとイタリアで生活してきましたが、どちらの国でも英語しか話せなかった時よりも良くも悪くも奥を覗くことができるようになりました。 言葉というのは伝達手段なので、その国ごとに必要頻度が高いカテゴリーから発達していきます。例えば冬が異常に長いドイツでは、「春」という言葉がほんの数十年前まで存在しなかったといいますが、それを聞いた時は目からウロコがおちた思いでした。 また、あることについて調べたい時、日本の検索機能を使用して日本語で調べるのと、イタリアの検索機能を使ってイタリア語で調べるのと(また同じくドイツのそれ)では結果に小さくない差が生まれますが、これも国民性・考え方・生活習慣から生まれる差ですので大変興味深いです。特に治療や子育てなどの差は顕著になりますので、その考えがうまれた理由を調べていくのも私の楽しみの一つになっています。 ちなみに、今欧州で非常に注目されているのはやはり中国語ですね。ビジネス上で中国語が出来る方はこれからひっぱりだこになるものと思われます。私はこれからフランス語を始めたいと思っているのですが…、いつになることやら 笑。 お互いがんばりましょうね。
お礼
示唆のあるご回答を頂、まことにありがとうございます(^^。 張るという言葉が、ドイツには数十年前には無かった。。面白いですね。 以前、ドイツ人と日本人のハーフの友達と話していたときのことです(彼は七つの頃までは日本で、それ以降、大人になるまではドイツで育っております。)その友達に、ドイツの春について尋ねると、彼は、秋の事を尋ねられたのだと思い、私が気づくまで、ドイツの秋について暫く話していた、と言うことがありました。ドイツでは、春の印象が、日本のそれとは随分違うことに由来するのかもしれませんね。 ある言語内で、どのような属性の言葉が特に発達しているのか、皆一様ではないということに、新鮮さを感じました。大きな歴史の流れの中で分化してきた言語ですが、私達が何を大切にして暮らしてきたのか、言語を振り返れば分かるのかもしれないと、思いました。 注目は中国語と言うことでございますが、世界中に飛び出した華僑のように、今度は、世界中から中国へと人が飛び込んでゆく様が想像されます。古い大地、古い歴史、新しくひらかれようとしている中国に、どのような世界が生まれるのか、期待しています。 ご回答ありがとうございました。 >お互いがんばりましょうね。 はい(^^。
こんばんは。私はいまドイツで語学留学中です。外国人ばかりのドイツ語基本コースに参加しているのですが、はじめはみんなドイツ語がほとんど分からない状態だったので英語で会話することが多かったです。やっぱり英語は共通言語として浸透しているのを実感しました。 私は個人的にドイツ語圏の国々に興味があるのでドイツ語を学んでいますが、スペイン人とイタリア人はお互いの言葉で80%は理解できるとも言っていたりしてうらやましい限りです。スペイン語圏の人口は多いですし、文法も簡単らしいのでいかがですか??(●´∀`●)
お礼
可愛らしい文字絵ですね(^^。 ご回答ありがとうございます。 知り合ったお互いにとっての外国語で話すると言うのは面白そうですね。旅行に行った時にも、お互い、英単語を並べただけのような会話が、妙に親近感を持たせたりもしますよね。 お勧めいただいけたものはスペイン語ですね。 スペイン語は多くの国の方が母国語として扱っているとも聞きます。 ありがとうございました。
お礼
ご経験からたくさんの事柄を紹介していただき、ありがとうございます(^^。 ネイティブ並に。 外国語に接するとき、誰もが憧れた事が、一度はあるのではないでしょうか。 私も、頻繁に思うものです。 しかし、ある言語において、ネイティブ並みのユーザーであることはそれほど重要なことではないのかもしれない、との思いもあります。 それは、日本語(母国語)ですら上手く言えないことが、外国語を通してだとよりスムーズに表現することができる、ということがあるとき、それぞれ言語には、適した事柄があり、どの言語も、人の伝達手段として、オールマイティな役割を果たすわけではないと、感じられるからです。 そう考えると、ある言語において、そのネイティブユーザーが、その言語の、最も優秀なユーザーであるのか、疑問が湧いてきます。 たくさん、うまく、滑らかに、使えるに越したことはないのかもしれませんが、逆に言えば、流暢であればネイティブ並か?ということも問えそうです。 おっしゃるように、異言語は思ったよりも身近だけれど、思っているほどイージーではないのかもしれません。 ただ、言葉が好きである、そのようなことが、大きな意味でのネイティブに繋がるような気がします。 ありがとうございました。