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「の」「という」
文章を構成する際、接続に「の」、「という」を多用する傾向があります。 この件について何らかの心理的作用及び傾向は立証(或いは推測)されておりますでしょうか? また、文学的観点から見て「程度の低さ」というものを露呈していることになりますか? 何かご存知であればどうかご教授ください。 また、具体例などは作成の際に意識して挙げてしまうので割愛させていただきます。
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文章を構成する際、接続に「の」、「という」を多用する傾向があります。 この件について何らかの心理的作用及び傾向は立証(或いは推測)されておりますでしょうか? また、文学的観点から見て「程度の低さ」というものを露呈していることになりますか? 何かご存知であればどうかご教授ください。 また、具体例などは作成の際に意識して挙げてしまうので割愛させていただきます。
お礼
9割方、希望していたような回答を頂きました。こちらこそ抽象的な質問で本当にすみません。ありがとうございます。 「の」の多用というのはつまり、何も考えないでいると「私の兄の持っているあのペンは私のものです」という感じです。 落ち着いて考えてみると自分は「くどい」と気付いたので、やはり「という」には「くどい」作用があるのかもしれないですね(憶測ですが)。強迫神経症的で臆病で堅実で慎重派、全て一致している気がします。 あまりお礼にもなっておりませんが、ラストの2行には感銘を受けました。 素晴らしい贈り物、ありがとうございます★