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「の」「という」

文章を構成する際、接続に「の」、「という」を多用する傾向があります。 この件について何らかの心理的作用及び傾向は立証(或いは推測)されておりますでしょうか? また、文学的観点から見て「程度の低さ」というものを露呈していることになりますか? 何かご存知であればどうかご教授ください。 また、具体例などは作成の際に意識して挙げてしまうので割愛させていただきます。

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  • hakobulu
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回答No.2

「の」の多用という意味はよくわかりませんが(「の」はごく標準的な助詞と思うので)、とりあえず私は両方よく使っていると思います。 「心理的作用」とする学問的根拠はありませんが、「という」について、個人的な感想を少し述べてみます。 私が「という」という言葉を使う時、まさに今使用したように、【くどい説明】という要素が現われているかもしれません。 同時に【念押し】ですね、多分。 【私が「という」を使う時】という文でも不自然ではないでしょうから、そのように推測しました。 さらに、 {【私が「という」を使う時】でも不自然ではないでしょうから} と言う事も可能です。 【くどい説明】→強迫神経症的・あるいは粘液体質、【念押し】→臆病、という解釈もできるでしょう。 しかし、 【くどい説明】→堅実で正確を期す几帳面な性格、【念押し】→慎重派、もありそうです。 ご教授できるような内容にならずに申し訳ありません。 ただ、「くどい説明」を必要とするような文が、論理学的観点ではなく文学的観点から見て値打ちのある文とは言えないような気はいたします。

okad_a
質問者

お礼

9割方、希望していたような回答を頂きました。こちらこそ抽象的な質問で本当にすみません。ありがとうございます。 「の」の多用というのはつまり、何も考えないでいると「私の兄の持っているあのペンは私のものです」という感じです。 落ち着いて考えてみると自分は「くどい」と気付いたので、やはり「という」には「くどい」作用があるのかもしれないですね(憶測ですが)。強迫神経症的で臆病で堅実で慎重派、全て一致している気がします。 あまりお礼にもなっておりませんが、ラストの2行には感銘を受けました。 素晴らしい贈り物、ありがとうございます★

その他の回答 (1)

  • dulatour
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回答No.1

「の」「という」という表現は、事例が示されていないので、どのようなことかよくわかりませんが・・・ おそらく、複文節を「の」や「という」でつないでいることを言っているのではないかと、想像した上で、私見を述べさせていただくと 「の」「という」複文節は、いわゆる翻訳調で、日本語(和風な)の言語感覚を持っている人には、やや理屈っぽい印象を与えると思います。 何の臨床的なデータはありませんが、

okad_a
質問者

お礼

ありがとうございます。 そういえば中学校レベルの安っぽい英訳、不自然な日本語に斜め向きの影響を受けたような気がしますので、多少名残りが残ったのかもしれません。 補足ですが 「この犬はポチという」よりも「この、携帯電話というものは~」という使い方が多いかもしれません。