ミュンヘン会談→
1938年に開かれた会議で、参加国はドイツ、イタリア、イギリス、フランス。内容は「チェコスロバキア問題」についてでした。
当時のドイツ(ヒトラー政権)は、領土拡張を目指しており、その一環として、チェコに自国民(ドイツ系住民)が多数住んでいるズデーテン地方の割譲を要求しました。
当然チェコはこれを拒否しますが、そのことでドイツと戦争にもなれば大変です。なぜなら、チェコと援助条約(何かあったら互いに助け合いましょう、みたいな条約)を結んでいるソ連とフランスも巻き込んでのヨーロッパ大戦になってしまう可能性があったからです。
それを恐れた英仏などの国は、イタリアの仲介でこの問題を話し合うために会議を開きました。それがこのミュンヘン会談です。
結果は、結局戦争回避を望む英仏の思惑と、ドイツの領土拡大の思惑が一致、チェコの国家主権の保全を名目にズデーテン地方の割譲をドイツに認める協定が締結されました。
この会議にはチェコの出席は許されず、期待していたフランスにも裏切られた形になり、その落胆は計り知れなかったはずです。
結局その後チェコは「ドイツもやってるなら俺も」と言うことでポーランドなどの隣国からも領土を奪われ、最終的にはドイツに併合されてしまいました。
この会議は、イギリス、フランスのナチスドイツに対する宥和政策がもっとも表された事件であると評されています。