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ナントの勅令はなぜナントで?
先日、フランスはナントに旅行に行ってきました。そこで友人と二人で話していたのですが、なぜわざわざこんなところで勅令を発布しなくちゃならなかったんだ、だってお城と教会以外ほとんど何もないじゃないか、という話題になり(失礼)、気になってその後アンリ4世のことをいろいろ調べたのですが、分かりませんでした。どうして彼はナントで勅令を出したのですか。ナントのブルターニュ大公と何か関係があったのでしょうか。それとも当時のナントは戦略上、何か重要な土地であったのでしょうか。
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ナント市はロワール河口にあるヴァンデ地方の 最重要都市で、新教徒(ユグノー)が多い町です。 これはユグノーの多くが貿易や商業に関わる 職業だったためで、都市部に集中して住んでいました。 しかし西部フランスの周りの田園地帯では逆にカトリック人口が多く、 ちょうど離れ小島のように敵に囲まれた格好になっていて 新旧両派の戦いが激しかった場所なのです。 そういう象徴的な場所なので、信仰の自由を認め 新旧両派に平等の権利を認める勅令を発したわけです。 ブルターニュ公とは関係ありません。 ブルターニュ大公家は断絶していますし。
お礼
なるほど! 明快なお答えありがとうございました。 ユグノーはカルヴァン派でしたね。カトリックから妬まれるわけですね。 大変参考になりました。