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薩摩と関東の人たちは元々武骨なのか

薩摩(今の鹿児島)と関東の住民らが昔から特に戦いに能だったという言葉が 何くらいの数百年前でも、朝鮮(今の韓国)と中国の記録にもある、と知っています 日本のある方がおっしゃったことも、 農業と対中、対朝への商業が発達された関西、北の九州の場合、戦いについては、比べれば下手な段階だったが、良質の農土が狭くて山間部が広だった関東、薩摩の場合、たびたび武力で自分に要した食糧とか他の資源とか取り上げた、という物語を聞くことがあります そんな主張に対する、どのくらい信じれることですか

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  • pyon1956
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回答No.1

これは時代によりかなり妥当性がかわる主張ですね。 たとえば天武朝以前。白村江の戦争において、少なくとも筑紫の君(北九州代表)や上毛野の君(関東代表)が戦っていますね。(まあ、やぶれたわけですが) 平安時代になると蝦夷に対する関西勢力からの討伐が行われたり(征夷大将軍のはじまり)。この場合勝ったのは関西の勢力です。 平安中期以降は関西の支配勢力は都市貴族になり、明らかに弱体化しますが、それ以前はむしろ(政治力も含めてですが)強かったといえるでしょう。 いつも戦闘している、また貧しかったら強いかというと個別にはともかく集団としては必ずしも強くないので、結局このあたりが主流にはなれない要素でもあります。 とりわけ関東とひとからげにいってもね。じゃ奥州はどう、とか考えると「日本のある方」のおっしゃるのもあまり説得力はありません。後付けの理由のように思います。 薩摩の場合むしろそういう一種の「民族性」みたいなのをことさらに奨励して、対外的にそういうものだと見せていたところもあるように思います。もっともきっちり身に付いちゃってますが。 結局地域支配者の動向が、尚武の方向であったかどうか、によるのだと思います。

ressise
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  • ipa222
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回答No.3

薩摩は非常に強かったですね。 渡来系の天皇一族が北九州から関西に移住したのも、熊襲が強かったからと言う説もあります。 関東も強いです。殺人能力に長けているという感じです。特に平氏系より源氏系が特に強かったようですね。八幡太郎や源九郎のように、常識にとらわれず、血も涙も無く殺戮すると言う意味では歴史的な成果はあります。 関東は奈良時代に高句麗系渡来人が大量に移住したと言う説もありますから、遺伝子的に強いのかもしれません。 戦争に強いとか弱いというのは、数百年の農耕や武力衝突の頻度に寄って決まるようなものではないと思います。 もっと先天的な能力によるものでしょうね。

ressise
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  • ss79
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回答No.2

日本では寒冷地の兵は強く暖国の兵は弱いという事が言われます。 これは寒冷地の気候風土は過酷で忍耐力、持久力を鍛えられる為と言い伝えられています。 また粗食に耐えられることも強みでした。 従って奥羽地方や越後の兵は一般に強いといえます。 しかしさらに統治者の方針や、周辺との争いが絶えない地方、農作物や土地の生産力が低い地方などは生活を維持する為武力を必要とし、それが尚武の気風を育てるという事も無視できません。 薩摩や甲府信濃、関東などがこれに当たります。 近代、都会の兵は弱いといわれた事がありますが忍耐力や持久力は乏しいとしても、教育程度が高く、知識を要する兵器の操作などに有利であり決して弱兵と言われる事はなくなりました。 戦いは体力だけで戦うものではなく後世になるほど戦術、戦略を必要とするようになったのです。

ressise
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