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心臓の音

 昨晩、心臓の音を聞きました。  ベッドの中で。  考えを巡らしていたんです。  そして、少し、重たい考えが居た時に、 「俺が起きている間にも、眠っている間にも心臓は、動いているよな。」  そう思って、それを確かめようと、もぞもぞと、胸に手を添わせました。  心臓の動いているのを感じ、心臓の音を聞きながら、その傍で、眠ろうとしていました。そして、こう思ったのです。 「これも、いつかは止まる。」  直感的に、そのことを知っている。そう思ったときに、    この世において、これ以上大切なことがあるだろうか?   そう問うたのです。 よろしければご回答者様方、そっと胸に手を当てて、お考えをお聞かせくだされば幸いです。どーぞよろしく。

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  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.1

【この世において、これ以上大切なことがあるだろうか?】の「これ」というのが、 『「これも、いつかは止まる。」ということを知っていること』であれば、私もそう思います。 「我思うゆえに我あり」とはいえ、そう思う脳を生かしているのが心臓から送られる血液であって、止まれば我も無いことになるわけでしょう。 その動きにも限界があると認識することは、「我」のみならず「彼」の存在の有限性にも思いを致しやすくなり、本質(何が本質かということはまた別にして)をこそ求めていくしかないのだ、という認識を新たにするきっかけたり得るように感じます。 ただ、「これ」が「心臓が動いている」ことを指しているのであれば、そうは思いません。 身体の中で何かひとつ残せるとしたら、脳の一部であり、心を司ると言われている(この間テレビで見ただけですが)前頭葉の方を取りたいという気がします。 恐らくどんな技術を以ってしても創造不可能な「私(という意識)」の発生源であるらしいので。 忘れていたはずの膨大な反省すべき事どもが浮びあがってきそうで恐ろしく、いくら「>そっと」であっても「>胸に手を当てて」みることはできませんでした。

noname#50219
質問者

お礼

「二度、生まれる。」 名のある言葉です。    ああ、この方とは、茶でも飲みながら話がしたいなぁ。  自分の立場もわきまえず、このサイトでは、そのように思うことがあります。(僕が酒でも呑めればそれもよかったのですが)    ご指摘の、「これ」という指示語の内容ですが、あえて伏せたまま、質問させていただきました。(伏せていることを、暗に承知していただけたからこそ、はじめのお二方には、回答をいただけたのだと思っております。) 問いが答えとなるように、あえて指示語の内容を伏せておきました。 解のみが、道を示すのではないのだから。  湯気が立つ   渓流のそばで   大きな魚が 二尾  水面に揺らいでおるので  私も魚であることに   一片の疑いもなく    水際にぴしゃぴしゃと撥ねる  光のしぶきも   私だということに  迷いもなく    会話は  湯気が立ち上るようで  それが消え去るように  沈黙する    私は お茶の時間のようなもの  滝の轟き  魚の沈黙  雲の風体   空の瞬き    固い岩棚に座し  柔らかな碧に寝転んでいたら  うっかり渓流に  落っこちてしまい  驚いた魚はどこへやら  光の粒が飛び散り  無常にも  お茶の時間は  終わってしまう     Yeah Yeah  ぶくぶくと  幾つもの  月が  生まれて  水中を  上ってゆく  そしてバッ  と 水面で破裂するのだろう それを見ることはできないけれど   心臓の鼓動と、水中で吐く息は、似ているようです。 水の代わりに、空気が入ってきているようなもので、私たちは、ね、意外とずっと、呼吸困難だったりして。 どんなお礼、、(^^; どうもありがとうございました。 

その他の回答 (1)

noname#15641
noname#15641
回答No.2

こんにちは。 私自身は心臓停止を自覚的に経験することはできません。 心臓停止は意識活動の消滅をもたらすからです。 私らは自らの死すべきことを知っていますが、その死そのものを経験することはできません。 またその到来日を確実に知り得ることも不可能です。 故に私らは死に向かって無際限に生きつ続けざるを得ないのだとも言えます。

noname#50219
質問者

お礼

こんばんは。 エレアのゼノンを、頂いたご回答から感じます。 凛と響いている感じが。 どうもありがとうございました。  

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