※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:何故ミロのビーナスに色を付けないの?)
ミロのビーナスに色は付けられなかったのか?
このQ&Aのポイント
ミロのビーナスやギリシャの彫刻には色が付いていたと聞いたことがあります。
日本の古寺などは古びた状態をあまり更新していないように思われます。
現代人の美意識とは異なる色使いには共感できないのでしょうか?
ミロのビーナスやギリシャの彫刻には色が付いていたと聞いたことがあります。
また、日本の古寺などで、朱が古びた状態をあまり更新していないように思います。
基本的にはその時代人の美意識は馬鹿にすべきものであり、共感するには当たらないというのが、現代人の判断なのでしょうか。
京都中が、奈良中が鮮やかな朱色に塗り込められた状態を見てみたいと思っています。(京都中が平安神宮のようになっていた時代があった訳でしょう)
勿論、全盛期の経済状態でしか、そうでは無かったでしょうが。
ミロのビーナスも、目の玉の入ったピンクの布を纏った彫刻を好んだギリシャの美意識を共感したいなと考えているのですが、考古学者や美術館の人たちは、そうは思わないのでしょうか。経費の関係ですか??
補足
恐竜の皮膚の色さえも類推できるようですので、蓋然性の高いところで、彼らがどのように鑑賞していたか見たいものですね。 芥川でしたか、現代人が扇面の緑を激賞したが、それが緑青だったなんて箴言がありましたが、白のビーナスを素敵だと言っている高校生がいるので緑をほめた人に見えて気の毒になりました。