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なぜ神は、助けてくれないのですか?
現在、各地で起こる内戦・戦争で、流れてはいけない血が流れ、そして貧困などの理由で、病気、餓えなで産まれながらも、死んでしまう子ども達。 なぜ、この様な事が起きていも神と呼ばれる存在は助けてくれないのでしょうか? 人間の行く末を見守っているだけなのでしょうか? 仮に神と呼ばれる存在が居たとするのなら、何様のつもりなのでしょう? という訳で私は、神は、いないと言う結論に出たのですが、皆さんはどう思いますか?
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No.24です。 「因果応報」の法則について語るときいつも自分の無力さを感じます。「神」が血も涙も無い無機的な反応のように感じられてしまうとしたら、それは私の力不足です。 この宇宙に多くの天体があり、みなそれぞれ正確に軌道をまわり、互いに影響し合いながらそれぞれ生かされているとすれば、それは神が愛によって作りたもうた「自然の法則」だと思います。 地球上でありとあらゆる生物が生み出され、生かされています。これも「神の自然の法則」です。 すべてが慈しまれ生かされていることに「神の創造物に対する絶対愛」を感じませんか? 人もその営みの一員です。 「神」は愛により人に「行動の選択の自由」を与えました。人が試行錯誤しながら何が最も大切で尊いのかを学び、良い選択をマスターすることにより、自分と他者と共に幸福を分け合い、高めあうことが出来るようにという配慮からでした。 そのために神が人に与えたのが「原因と結果の法則」又は「因果応報の法則」なのです。 この法則から人は、自分が幸福になるためには、他者に自分がして欲しいことをすることが最も近道である、ということを学ばねばならないのです。 互いに奉仕し合う社会こそ天国だと思います。 キリストも仏陀もそう説いていると思います。 それなのに人は自分の自己中心的な、他者と敵対し征服しその財産を奪うことこそ自己にとって善であるという非常に物質中心主義の考えから、宗教をもその枠に無理やり押し込め、都合のいいように、自己弁護が出来るような勝手な解釈をしてしまったのです。 ここから宗教の対立が生まれました。 宇宙を創った神が人に嫉妬をするはずがないではありませんか! 全能であるはずの神がなぜ自分の気に入らない他の神を作る必要があるのでしょうか。 もし、全能の神をも脅かす別の存在がいるとすれば、その存在を作り出したのは一体誰ですか? もし、別に創造者がいるならば、神は全能ではなくなってしまい、小さな神(大きな神に創造された進化途上の霊的存在)ということになると思います。 人は自分の霊性の低さのために神を理解できず、まるで人間のような姿をした、怒ったり、嫉妬したり、戦ったり(しかも他の神と)する「神」を作り上げてしまったのだと思います。 この世に満ちている不幸と戦争と悲惨さを一体どうすれば減らすことが出来るのでしょうか。 「神」は、はるか昔からその方法を使徒を通じて教えてくれたではありませんか。 人はそのメッセージを正確に理解することはなかなか出来ませんでしたが、尊い言葉は多く伝わっています。 汝、隣人を己を愛するごとく愛せよ。 己の欲することを他者に為せ。 これに尽きると思います。 これ以上の解決策があるでしょうか。 でも人は煩悩によって迷い、苦しむものですから、なかなかそこに到達できません。それに対するノウハウもちゃんと残されています。 もっぱら瞑想によるようですが、仏教にはかなりのことが「アーガマ」にのこされています。 それに耳を貸さないことは「神から賜った行動の自由の権利」によって人が選択したものです。 人は物質的観点からしか判断できないので、死や貧困は不幸であると判断しがちですが、霊的観点から判断するとそうもいえないようです。 「貧困」の経験から飛躍的に霊性を向上できる人もいますし、「巨万の富」によって貧者をないがしろにすることにより結果的に最も大切な「霊の富」を失ってしまう人もいるようです。 生まれつきの障害を自分の人生に設定し、苦しみながらも克服し、世の中の障害者に奉仕するような見事な人生を生き抜く人もいます。 自分が恵まれていると感じる人はその富を不幸な人に分け与えることにより、最も大切な「霊の富」を得ることができます。 物質的富は死後、失ってしまいますが、心の富は永遠にその人を豊かにし、身にまとうことができます。 それこそが霊の財産であり、宝石です。 「他者への奉仕」が「霊の通貨」です。 人は霊的存在であり、いま一時的に物質界の真剣ゲームに参加しているだけです。 やがては元の霊界に本来の姿で戻らなければなりません。 このときに身に付けることが出来るのが自分がひたすら他者に為したことなのです。 ごまかしはききません。 隠すこともできません。 それが霊的世界です。 ですから今こその霊的富を築けるチャンスなのです。 色々偉そうに書いてしまいましたが、この内容は 「神との対話」や「シルバー・バーチの霊訓」などにもっと的確に載っています。 興味のある方は是非読んでみて下さい。
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- saccoarigatou
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魂が永遠に輪廻転生を続けるものだと仮定します。 それならば、人はどうして生きたり死んだりするのか?という疑問が出てきます。 私なりの結論では、人は経験し学ぶために生まれてくると思うのです。飢えで死ぬことも、戦争で小さな幼い子供を失うことも(悲惨すぎますが)、大きな目で見れば経験という大切な勉強の為じゃないかと。 人がもし、神に向かっているとすれば、多くの経験をすることが、その旅にとって必要な物なのかもしれないと・・。飢えで死んでしまう子供達は、魂が輪廻転生することを思えば、また違う人生を味わうことが出来ますので、飢えて死んだ人生を、活かして次の人生を生きることが出来ると思うのです。 大切なのは、そこから学ぶこと、可哀想、悲しいだけでなく、そこから学ぶことを神は望んでいるのではないでしょうか。 魂は何度も生まれ変わると言うことを信じれば、という仮定においての話です。
- Reiher
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何故神は助けてくれないかというのは簡単で、あなたがそう望んだからです。 もう少し正確に言えばあなたが存在しないものを神と名付け、それに不満をぶつけているに過ぎないのです。初めから存在しないものを神と呼んでいるのですからその結論も当然ですね。 まあ、そう思いたくなるようなニュースが多いのは事実なんですが。 現在、世界において確実に「神」と呼べるのは「自然法則」そのものでしょう。世界を創造したのは自然法則ですから充分資格があります。 ただし、あなたが言っているような「人間の価値観」は神には通用しません。 それに神が助けたとするならば(この神にはその様な意識はないと思われますが)それは自然法則の形を当然取るでしょうし、多くは「何も起きなかった」という形になるでしょう。どちらにせよ人はそれに気付かずに不満を並べるでしょうね。 どうやら人の世の中は人が何とかする以外ないようで。 まあ、何を神と定めるかは人の自由です。ですが超能力者の凄いバージョンってのは違うでしょうね。 ちなみに自然法則そのものを神と提唱したのはスピノザです。アインシュタインなど多くの科学者の間で支持されたようですね。
- ayemex011s
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悲劇を観賞して楽しんでいるのかもしれませんね
- majesticbaby
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神が存在したとしていたとしても、わざわざ戦争を止めたり子どもを救ったりはしないと思います。 なぜなら神がすべてを創ったのならば、弱肉強食という生物界の厳しい掟を創ったのもまた神であるからです。 こうしている間にも数え切れない生き物たちが強者の糧になっていることでしょう。 そのような中で神が人間だけに救いの手を差し伸べる理由は見当たりません。
- ststeps
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なぜ神が人間のためだけに何かをしてくれると思うのですか? 神が動物・植物のために人間を間引きしているのではありませんか?
- yukkiyx
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神なんていません! いたらぶん殴ってます。 よく奇跡が起きたり運がよかったら神様ありがとう見たいな気持ちになるけどそれは神様がしたことではなく自分自身のした結果や運命なんです。 例えば重い病気になってしまい、治らないかもしれません。と言われたけど生きたい!と思いがんばった。 そしたら病気が治った。これは神様がしてくれたことでもなんでもありません。自分が頑張った結果なんです。 と自分は思ってます。
- suzuka852
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そのような結論を出されたあなたの判断は自由です。 では、あなたがそう結論したことによって、あなたが憂慮していることの何が解決するんでしょうか? 神という概念は、そんな安直なものではないような気もしますが。