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神の存在を信じているが崇拝はしていない
仮に神が人間を創ったとする。 その人間は戦争、差別など愚かなことをいつまでたってもやめない。 自分たちは地球のの支配者だと思い、他の生物を平気で殺す。 自分たちのつくったシステムで、貧富の差をつくり弱者をなかす。 他人の痛みなどわからない。人はそういうふうに創られている。 こんな人間をつくりあげた神を崇拝できるのか? 神を崇拝している人は、その理由を教えてほしい。
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いやいや 神は俺だよ? だとしたら 自分自身を崇拝する事に何の躊躇いがあるのです?
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- NemurinekoNya
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1 拝みたいから、拝む。 2 拝んだら何かいいことが起こるかも知れないから、拝む。 3 みんなが拝むから、何となく拝む。 4 小さい頃からの習慣であり、惰性。 等々の理由でよいのでは。 最も宗教的な態度は、1の「拝みたいから、拝む」や「感謝の念が自然と拝むという行為になった」でしょうけれど、 ご利益を求めて神さまを拝んでもいいのでは。 神さまを拝むのに理由は要らないと思いますよ。 キリスト教系のとあるラジオ番組───現在もやっているかどうか知りません。昔あった───のオープニングで、 「暗いと不平を言うよりも、進んで明かりをつけましょう」 という言葉が流れていた。 この言葉のとおり、 あれこれと不平を言うよりも、すすんでみずから行動することの方が大切なんじゃない。 神様がいるかどうかわかりませんが、もし、いるとしたら、 我々は、神さまから、みずから進んで行動をする自由も与えられているんですよ。 そして、 しない自由もです。 何でも神様のせいにするのではなく、悪いと思うところがあるのならば、できる範囲で構いませんから、それを是正するべく行動するべきなのでは。 失礼になるのでしょうが、 この質問は、 警察に捕まった犯罪者が「世の中が悪いから、俺はこうなったんだ。悪いのは俺ではなく、世間の方だ」と叫ぶのと同じなのでは。 これは責任転嫁以外の何物でもありませんよ。
- ノーバン(@nobound)
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一方で 戦争という過去の愚かな行為を繰り返さないように、ヨーロッパ共同体を作る 絶滅しそうな生物を保護する 自分たちの作ったシステムで、豊かさという恩恵を受ける もちろん他人の痛みをわかろうとする人も大勢いる といった、それらを克服する力や、光と陰の、光の部分も人間には与えられてきたと思います。 エボラ出血熱の流行や核戦争など、人類絶滅の危機をぎりぎり抑えられていることもどう捉えるかですね。
哲学的にも科学的にも、もしこの宇宙に全ての 生物進化、意識の進化を司る存在があるのならば、 勿論、そういった「何か」を想定しないと、自然から 生み出されたものの中で「生命」だけが普通の物理法則では 説明が出来なかったから、だけど。 形あるものは壊れ、崩れる。 熱いものは冷え、高きにある水は低きに流れる。 命ばかりはそれに反して上へ、上へと登りゆく。 その、法則なり超越的な意識なりを想像するとき、 それが人の姿を持っていたり、人の思考や感情を 持っていると考えるのは、余りにおとぎ話に過ぎる。 だから、世界を戦火に巻き込み、殺戮の歴史を 積み重ねている人類の、戦争の主な理由の一つでも ある宗教が説く「神」を同列に考えてはいけないと 思います。 バチカンが地動説を認めたのは20世紀なんですから・・・ アポロはスタジオで撮影された映画に過ぎないと、 今でも固く信じている人々がいるように、大半の人類は 科学者でもなければ哲学者でもありません。 生活を背負った、視野の狭い、ついでに了見も狭い、 小さな家族や友人達が暮らすご町内が「世界」だと 頑なに考えて生きています。 人間は、知ってることしか理解できないし、 理解できるものしか、見えませんし、聞こえません。 それ以外のことを考えようにも、その考える材料について 知りもしなければ知ろうという気持ちにもなりません。 世界はまだまだ文盲率も高く、中世のような暗黒社会が 未だに根付いている地域も少なくありません。 ヨーロッパの国々でさえ、古い因習や地域的な価値観に がっちりと縛られて運営されています。 科学的でもなく、哲学的でもない、多くの信者が集う 宗教は、つまり、その神そのものですが、「自分達の救済」、 その一点に思念を集中して祀られ、祈りをささげられて いる。 そのこと自体は、とても平和的なことで、殺戮など 起きる理由もありません。 でも、 「無知」は「排他」でもあります。 その「神」に集う人々が数百人位までなら、取り立てて 諍いも起きないでしょう。 でも、数千人、になると自分の独自解釈を表明するものが 現れ、他の信者と対立するようになります。 神とは、他人を問答無用で支配できる甘美な力なのですから。 そして、数万人単位になってくると、独自会社をするものが 沢山の「自分の信者」を従えて、自分の力を拡大しようと 行動し始めます。 単に声の大きい変わり者、というだけなら戦争は起きません。 でも、その変わり者を偉い人だと祭り上げ、自分に目をかけて もらおう、特別扱いしてもらおう、或は、その知名度を利用して 自分も力をつけよう、財力と権力を手に入れよう、とするように 自然になります。 当然、勢力を拡大し、自分がトップになって組織を支配しようと 争いを起こすと、金と信者が必要になり、他の地域、国にそれらを 求めるようになります。 そこには、違う文化、異なる歴史、異なる宗教観がある。 どうしたって戦争が起きます。 神が、血に飢えたおぞましい怪物をつくったのではなくて、 人間が知能を持ち群れを作り、天敵であった肉食獣の恐怖から 解き放たれた時から、生物としての進化は「強者が弱者を支配する」という 人が人である所以に沿って推し進められて来ました。 戦争の名目にされる神は、全て人の拡大解釈です。 予言者であったり神の子であったり、人の姿をしていたり 人の言葉で善悪を語ったりと、極めて人間的な思考をすると 説きます。 殺して食うために産まされ育てられ、子供のうちに残虐に 殺され、その遺伝子まで人の口に合う味になるように 改造される・・・ 家畜の姿をした神など、「戦争をしない宗教」にしかいません。 (例えば、インドのガネーシャだって、蔵の顔をした人型の神です) どんな神でも崇拝する者にとっては、考えても答えの出ない 生きることの苦痛を救済してもらうために、思考を停止して ひたすら祈り、神の教えとされているものに盲目的に従うことを 「信仰」とします。 自分で教義をいじりまわし、半ば力づくで様々な宗教の分派を 生み出してきた歴史の中で、神を名乗る不遜をせずに、自らを 神として振る舞ってきた様々な宗教的権力者・武力を持つ者達。 神が血塗られた歴史を作り出しているのではなく、神の代理人を 名乗る者達が、実質の神として民を支配し、専横の限りを尽くし、 この世を自分と自分が認めた一つまみの人間の為の理想郷にする ために、神の代理を名乗って悪の限りを成す。 つまり、敬虔な信者は盲目的に教祖に従い思考を停止する。 思考する者は、神の代理を詐称し、神そのものになろうとする。 ニーチェおじさんではないけど、「神はいない」とでも いいたくなります。 その理屈ていえば、誰かが言っていましたが、神の名を掲げて テロや戦争を起こす者達は、実は信仰をもっていないのだ、と。 それが真理なのかも知れません。 実は神を持っていない者ほど、神を騙って悪魔となる。 無知や思考停止を責めることはできません。 我々もアフリカや中東の貧村に生まれていれば、 イスラム系外国人として欧米で差別され、排斥運動の 標的にされ、人権を踏み躙られるような目に長年 合わされていれば、自分に世界的な栄光を与え、 生きる理由と死ぬ理由を与えて「誇り」を与えて くれると思えば、イスラム国やアルカイダに参加 しようと考えるようになったとしても不思議は ありません。 日本は世界的に珍しく、沢山の宗教が大した喧嘩も せずに共存し、習わしもイベントもごった煮状態です。 平和だからこその様相ですが、その日本も70年前までは 天皇に準じて死ぬことが奨励され、上の人間は我が身の 保身ばかり、他国の兵士に家族がいることも、戦争 それ自体について究極の悪だという認識もなく、 町のオジサンオバサンも人殺しが善とされる狂気の時代を 突っ走りながら、異を唱えることもなかったのです。 あなたも私も、あの時代に生まれていたら、間違いなく その一人になっていたでしょう。 どうすれば戦争を完全放棄出来るのか。 どうすれば酷い人権蹂躙、非人道的な虐殺やレイプを 止めさせられるのか。 世界中が何千年、何万年も取り組んで来た人類最大の難問。 日本は世界でも頂上にある超先進国家の一つですが、 この国で追及されている戦争放棄の方法は、経済であり 教育であり、民主的な政治や法律であり、科学であり、 医療であり、文化であり・・・ つまり、一つや二つのことではなくて、社会に関する 全てのレベルを上げることで、思考停止して唯一の神、 教義に救いを求めて支配されなくても良いように、 何もかもを変えて来たと言えます。 日本では、だから神というのは空のはるか高みに合って、 また、人にもものにも全てに宿る、人を支配しないもの、 人の都合などとは無関係に、自然を司り動かしていくもの。 だから、祈りはしても、恵比寿様を冒とくしたと10歳の少女に 爆弾を巻き付けて自爆させるなどということはし得ない。 日本の神様は、余りに人の行いが酷いと、呆れてどこかに いってしまうからです。 不思議なのは、一神教であるという意味ならイスラム教も キリスト教も同様ですが、彼らが日本で八百万の神々や神社を 批判し滅ぼそうとした話など、聞いたことがない点です。 ちゃんと皆が飢えずにそこそこ将来を夢見て幸せに暮らせる 世の中を築き上げていくことで、縋る神を必要としない社会を 作り上げてきたとも言えます。 その視点で見ると、政教分離が出来ていない国家の危うさ、 恐ろしさは日本人の理解を超えます。 でも、あくまで可能性に過ぎませんが、先進国でその恩恵に 浴し、帰国して国の文明度を上げることに貢献する人々が、 長い長い時間をかけて多くの国を日本のようにしていける 筈です。 ただ、向上してきた国力を自分たちの為にだけ独占しようと する権力構造というものは、その国の中で変えることは 途方もない利害のぶつかり合いの中で進行します。 権力者は自分たちの力を否定する民を絶対に許しはしません。 自分達は神だ。たかが人間ごときが思い上がって神を批判 するなど、あってはならない不敬であり、死に値する。 終身刑でさえ、恩寵だ、などとうそぶく権力者が大半です。 社会を変えようと活動するうちに、自分も政治家になったり 権力を持つようになると、いつの間にか民を振り返らなく なることもよくあることです。 私はねえ、だから日本人が世界の宗教弾圧や戦争を考える時、 同じように「神」とはなんだ、神は存在するのか不在なのか、と 宗教国と同様のステージで悩むことはナンセンスに近いと 思うんです。 宗教について研究することは興味深いことだし、価値のある 事だと思う。 でも、戦争をやめられない人類の未熟について神や信仰を中心に 考えることは、アルコール中毒患者が、アル中にならない酒は どこにあるかと悩むのに等しい、「思考停止の後戻り」だと 思うんです。 どんな酒でもアル中が飲めば際限なく、死ぬまで飲みます。 でも、良い呑み方が出来る人なら、様々な酒の味わいを賞味し、 豊かな文化として吸収することが出来ます。 酒が悪いのではない。 神が悪いのではない。 我々人類は、アル中も戦争も貧困も暴力も、全て実は同じ 土俵の同じ問題に取り組んでいる、そう思いませんか? 日本人は、日本人として思考出来る社会と教育を持っています。 我々にできること、すべきことを考えるのは宗教的な教義の 是非を問うことではないと思いませんか?
- 有木 巨智麿(@kothimaro)
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私が神を信じる理由をお答えします。 この宇宙は、物質のみで構成されている訳ではありません。もし、私たち人間が物質のみから出来ているとしたら、ロボットと同じ存在であるはずです。科学が発達し精巧なロボットが出来ると、そのロボットは世間話をし、またやかんに触れれば熱いと言うでしょう。しかし、ロボットはそう言っているだけで実は何も感じてはいないのです。 これに比べて、人間はやかんに触れれば、実際に熱いと言う感じが生じます。そして、その熱いと言う感じは、物質ではありません。幾ら顕微鏡で脳の中を覗いて見ても、熱いと言う感じを見る事は出来ません。確かに、物質が熱いに対応した動きをしていることでしょう。しかし、それは熱いと言う感じそのものではありません。 脳と言う物質の熱いに対応した動きが刺激となり、私が熱いと感じているのです。熱いと言う感じは物質ではありません。従って、それを感じている私は物質ではないのです。私は、無限の感受性である精神です。 心は、物質と精神のコラボレーションです。物質がなければ、何の刺激も受けないので精神は何も感じません。また、物質のみでは何も感じることが出来ません。 では、一秒前に私の脳が刺激を送っていた精神は、今の私である精神でしょうか。その保証は何処にもありません。精神に記憶が蓄えられるのであれば、一秒前に私の脳が刺激を送っていた精神と、今の私の精神とは同じか違うかが分かるでしょう。しかし、記憶は脳と言う物質に構造として蓄えられます。 脳と言う物質が移動する度に、異なる精神に刺激を送っているかも知れません。一秒前に他の精神が感じた記憶を脳と言う物質に蓄え、今の私の精神に記憶と言う刺激を送っているだけでしょう。そうなると、この宇宙には、精神が満ちていることになります。若し、精神のない空間があるのであれば、人がその空間に移った時、何も感じなくなります。しかし、その様なことは起こりません。 精神は宇宙に一つあり、全宇宙に満ちています。人は移動する度に、その精神の異なる部分に刺激を送ります。ですから、私は私と言う特定の存在ではないのです。他人も私も同じです。ですから、汝の敵を愛することが出来るのです。 物質の全体を宇宙と呼びます。精神の全体を何と呼んだら良いでしょうか。私達は皆、至高な精神の一部分なのです。 また、精神は物質を動かすことが出来るのです。物理学では、物質を動かす力は、重力・電磁力・強い力・弱い力の4つの力であるとします。しかし、実際には、私と言う精神は手と言う物質を動かすことが出来ます。 そして、この社会は、精神の意思により動いています。この様に、社会の動きを物質のみで説明することは出来ないのです。 そして、この宇宙の始まりを物質のみで説明することは出来ません。物質の因果関係は、原因が結果を生じ、その結果がまた原因となり結果を生じると言う形となります。宇宙の始まりは、原因なくして結果が生じなければなりません。つまり、無から有が生じなければならないのです。 しかし、物質は無からは生じません。これに比べて、感じは生じたり消えたりします。精神は原因から自由です。従って、宇宙の始まりにおいて、最初に動いたのは自由な精神でしかあり得ません。宇宙を創造した精神を何と呼ぶべきでしょうか。 私は、その至高な精神がどの様にこの宇宙を作ったのかを探求しています。もし、物質の因果関係のみでは説明出来ないことが残されたら、それは神の存在を証明したことになります。こう言う意味で、物理学と神学とは、排斥し合うものではありません。 詳細は http://www42.tok2.com/home/catbird/syuukyouhahikagakutekika.html を参照下さい。
- michael-m
- ベストアンサー率50% (2724/5433)
まぁ、ヤクザも警察も神棚を祀っていますからね。護られているから無くならない・・とも言える。 でも、悪い事をするから神を崇敬していないというのはどうなんでしょうね、それって人間は神の奴隷であるべきと言ってるようなもんですよね。奴隷や操り人形なら地獄も要らない。操り人形は自主的に悪い事が出来ないんだから地獄に行くわけがない。 だったら信仰など要らないでしょ。信仰と言うのはあくまでも自主的な思想であり、行動なんだから。 自主性を持った人間を創った。その人間が何を思い、どう行動するのか。 人間は自分の意思で信仰を持つから価値があるんですよ。 それはつまり、どうしたら自分たちを平和に導くかと言うことでもある。考えを持たずに生きるなら動物と同じだ。格差や暴力をなくす事に努力しないのは、格差や暴力を生み出しているものとなんら変わりはないと言うことです。 とはいえ、神の摂理は実に深いもの。46億年の歴史を知ることでさえそんな生易しいことではないと思いますよ。
んー、でも?「教えて欲しい」といってみても、ほんと に知りたい・理解出来る状態にある、という人に私は出 会った事がないので、実は興味がある人・理解出来る人 は、まずいないのだろうと? 神が何かは、間接的自己確認するしかないかと、、
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
「彼ら」に言わせれば、信心が足りないから戦争がおきる、 という事になるし、その「信心が足りない」には他の神を 信じている事も含まれるから、宗教による限り戦争は必至だ。 天上界でも戦争があるし、思った通りにならない人類を 大洪水で一掃した神もある。 「神ングOUT」やね。
- kirameki_oo7
- ベストアンサー率0% (0/1)
神が素晴らしい存在であっても、 人間達が神に近づくことをやめているから悪いことをしているのでは? 神の責任にしているのはおかしい? 神は、人類が善に徹することを望んでいるのでは? 自分と同じように他人を愛している人々が多くなれば解決するのでは?
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
"こんな人間をつくりあげた神を崇拝できるのか?" ↑ だからね、神様は人間が嫌いなんですよ。 だから、人間がどうあがいても、不幸になるように 創ったのです。 どんな幸福な人でも、必ず死にますから。 しかし、それでも崇拝する、てのが信者の 怖いところです。 ”神を崇拝している人は、その理由を教えてほしい。” ↑ 全知全能の神がいるのに、現実の世界は矛盾だら けです。 それを上手く説明するのが神学というわけです。 その神学でも説明できないことが出てきます。 その場合は次のように説明することになっています。 神は偉大過ぎるので、ちっぽけな人間には 神の御心など理解できないのだ。 絶滅危惧種を保護するために、捕らえ殺して 調査することがある。 しかし、当の危惧種にはそんなことは理解できまい。
神は人間の親だからこそ 何もしないのです 子供の 自由意思と責任に拠り 地球を良くする事も出来るし汚くする事も出来る 人類始祖のアダムとエバが もし 善悪知る木の実を食べて無かったら 今頃は相当な天国世界が この世に存在してたのだが あなたも知っての通り 善悪知る木の実を食べて堕落の道から人類歴史は始まりました そして それを元に戻す方法として 神は アブラハムの家庭 や ノアの家庭 モーゼ等を使命し 準々に 堕落から復帰させる準備を整えました そして イエスをキリストとして送り込み 最後の復帰に取りかかったが キリストを待ちわびてた人達には 受け入れられず 最終目的を果たせないまま 十字架に つけられたのです それで 神は 次のキリストを送り込む為の準備として 見えない心を 戦いという見えるものに変え 人間の良心を呼び覚ましたのです・・・ 勿論 人間の自由意思が先行するので 戦わずとも解かる様には なってたが 自由意思だからこそ 戦争になったのです 第一次世界大戦 第二次世界大戦を経て キリストの再臨の準備が整い 再臨のキリストは 送り込まれました そして 完全なる復帰方法を この世に残しました 後は 人間 一人一人の 自由意思と責任に拠り 知って実践するか しないかだけなのです しかし 完遂させる事が目的なので 一応 誰も何もしなくても 復帰の道になる様には整っています 今年から 東京オリンピックまでには その道が 広がるか 又は 自由意思で人間が それを行わない(知りたくない)と 思ってても 次世代からの人達に拠り ドンドンと 善悪知る木の実を食べる前の男と女になって行きます ノストラダムスの人類滅亡説 や マヤ暦の終わりとは 今までの悪の歴史が終わり 新しい歴史の始まりを予言したものだったのです
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