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熟年主婦集団の心理とその対処法について教えてください(長文)
私は30代後半の独身女性です。ヨガサークルに通っていて健康的で気に入っています。でもそこのメンバー(60-70代主婦)に最近嫌みな対応を受け正直困っています。心の悲鳴をあげています。完全に価値観が違うのでこじれない様、熟年主婦の心理をつく対処方法や上手なあしらい方法を学術用語を交えつつアドバイスしてください。 最近ブームで会員が増えて、開始間際に後列に詰め合わせて入っていたのが混雑で入れなくなり、遠慮で空いている最前列に入るところを、最後に着いた人が前列を断固拒否して部屋の外でヨガし、私が気を使ってその人に「どうぞ」と前列へ促した事に怒って辞めると言い出し 古株メンバーから私に風当たりが来ているのです。 古株数人は前列を嫌がって無理に仲良しメンバーの隣や後列に強引に入りこみます。ばかばかしく思います。そのおばさんの気持ちが解らないし同情しているおばさん連中の気持ちも解らないので不快です。どの列だって同じだろう、と思ってます。何らかの恥をかいたと思っている?のかもしれません。 私の世代は女だけが回りに気を使うべきではないと思っているのに対して、おばさん達は気がきかないとか、古株は特別だとかの年功序列とか、私が解らない細かさがあるんだと思います。縄張り意識の主張とか、嫁姑問題にあるようなモノに近い様にも思います。 ちなみに、若い人は数人ですが私より古い若者メンバーは結構無愛想です。ゆえに、開き直らないとドツボが待っている様に思います。足元を見ている感じもし、増長しそうで怖いです。冷静になって欲しいです。多くの人は前列でもヨガをしています。 理解できないから逆なでしちゃう危険も感じる。 人間関係スレでは、熟年主婦集団には一貫性がなく理解の為の手間が掛かり過ぎるという結論に達しました。心理学的、比較文化的見解を求めます。よろしくお願いします。
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- kouyama
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あなたはヨガ教室に何をしにいってるのですか? 友達探し?オバさん観察?違うでしょう。 入門する頃のあなたはヨガでリラックス、生活に潤いを持ちたかったのと違いますか?だったらそのままの志で誰に構う事無く、堂々と楽しみに行けばよいのです。 バカなオバさん連中に何と思われ様が関係ありません。 あなたにはあなたの生活、リズム、欲望があります。 同じ月謝を払っているのです。あなただけが苦しんでいては不公平ではありませんか。無論、スペースにムリヤリ割り込む行為等はしてはいけませんが無意味に空いた前列なのであればゲットすればいいじゃありませんか。オバさん達の前列を嫌がる理由は「前列にいれるほどうまくないから・・・」とか誰もテメーなんざ見ちゃいねえよ!的な妄想からきているものです。私も過去、エアロビクスで同じような経験をしました。ヘタでも前列でいい。そのほーが先生に近くてより上達するではありませんか?
NO3です。先ほどの回答は超高度な(??)哲学的見解でしたので、ご希望の観測・統計による心理の見解でもう一度整理整頓してみます。 ●熟年主婦集団の心理とは?● その1、自我(エゴ) ――――――――― 周囲の共認によって(自分に)欠乏している評価を補うために働く心理。他者否定と自己正当化の塊で、己に都合の良い幻想に収束する。従って、共認機能の派生物であるが、みんなの共認を破壊する敵対物でもあり、言わば、共認機能が生み出した鬼っ子である。 その2、同類闘争 ―――――――― サル・人類に特徴的な、同類同士の闘い。不全を突破する為に、サルは本能に替る共認機能という全く新しい機能を形成していった。なお、サル・人類は、同類闘争の圧力を最大の圧力源=活力源にしている。 その3、序列原理 ―――――――― 闘争には(殺すまで闘ったのでは、種が絶滅してしまうので)敗者が勝者に従う敗従本能が付帯しており、その結果、序列が出来上がる。この序列によって秩序化され統合されるが、収束不全社会では、力の原理で社会の身分制度や順位制(年季?)、世渡りの巧さ等…をこの序列原理に基づかせている。 その4、共認機能 ―――――――― 課題や役割や規範や方針を共認・共有することによって、統合されている共認機能は、自我不全(心身の飢えや怯えや苦痛などに恒常的に苛まれること)から解脱する為に形成された機能で、相手の不全(になる期待)と自分の不全(欲求不満?)を同一視する共感回路を原点としている。相手と自我不全を同化することによって充足(安心感等)を得るという不合理で消極的な恒常心理機能。 だが、実際閉鎖的な社会では「人情」とも「遠慮・慎み」と美化し歓迎されてきた。 思考よりも経験を糧にするしかない(頑固?)熟年に至っては、想像力も緊張感も抜け落ちたり(笑)無防備なままでいるので「期待していない」という評価共認が無意識に自己暗示も構築させており、評価が行動の模索の羅針盤となっている。 ところが寛容・自由な社会で育まれた社会は(行動の模索)を「注目共認」が有利で合理化されている。 「自我の共認で安心する世代」と、「自己(自然な感情)を解放・注目されることで安心を得る世代」の闘争となりますかね? それで専門家ではない無責任で勝手な適当な私見の【対処法】はですね ◎解脱◎(大げさな…) ――――――――――― 何であれ不全感が刺激されると、その不全感を和らげるために解脱回路(涙や笑いや快楽など)に収束する。その中心はスキンシップを原型とする親和充足と性充足。その他に別の娯楽で発散するというものがある。 他者が与えた不当や汚名によって自信を無くす必要など天地に誓ってなく!その「嫌味」に引き起こされた感情で行動を決めるのではなく、むしろ自分をしっかり見つめ直す機会を与えてくれたことに感謝さえして嫌味スルーして自分らしく自由に明るくしてること。 こうして、こんな、こんな健康で外見の美しさだけが取り柄の(←放っときましょう)私の話も聞いてくれた人も居るなんて(←独り言だろ!)…これもsirokuma88さんのお陰です!。他の回答者さんの意見も読んで交流のきっかけ与えてくれ(←勝手な思いこみだー)有意義で楽しい時間を過ごせました。あぁ、何て言って良いのか(嬉泣)本当ありがとうございます(←蹴り上げて良し!)。 うっれちいな~♪ヨガったわん♪(←関西に普及した心理学用語では“しょうもないこといい”という)。 まっ、特別危害を与えられていなければ、善も悪もない感じがしますよ~。
私は専門家ではありませんが、年配の方は自分の『居場所』に強い執着心を持ち、なお且つ、その場所に安心感を抱いていると思います。 例えば、共同温泉に行ったとき 私は好きな場所に座りましたが年配の方は いつも自分が座る場所に私がいたので 私がお風呂から出るのを30分以上も待っていました。他にも座るスペースがあったのですが・・・ バスに乗ったとき、お年寄りは前列に座りたがります。後ろの席も空いているのにな、と思いましたが 要するにバスから降りるときに前列のほうが歩かなくてすむのだと気づきました。 こういう事から年配の方は60年以上生きてきて何かしらの知恵を身につけているんです。他人から見れば 何でそんな事にこだわるのだろう・・・と 思っても本人にしてみれば自分の居場所を確保しようと精一杯に頑張ってるんです。それが我がままに見えているのかもしれませんね。 こちらが良かれと思って席を譲っても 年配の方は自分の居場所しか信用できず、私をその場所から離そうとしていると悪く思ってしまうんでしょうね。
人に嫌味なことをされたということは、実は貴方も嫌味なことをしていた訳で、それで差し引きゼロになり、全て解決しています。 悩まず明るくしていたら自然に打ち解けてくると思います。 なぜなら明るい人というのは人気があるからです。 不自然に明るくてもいいです(いいのか?)。 人のご機嫌より自分のご機嫌を大切に♪
- toboty
- ベストアンサー率36% (97/266)
しごく簡単です。 >熟年主婦の心理 最前列...自分の体型を人から見られるのがいや 後列...人の体型を見て、「私の方がまだましだ」と自己満足にふけることができる
学術用語とか年功序列とか縄張り意識とか嫁姑問題とか、 なんでワザワザ話をややこしくするのかな、という気がします。 質問者さんからすれば「気を使って空いている最前列に誘導した」つもりかもしれませんが、 最前列って、人によっては結構気恥ずかしく感じるものですよ。 #実はワタシもその一人(笑)。 >上手なあしらい方法 他の人のことは気にしないで、質問者さんが最前列に位置することですかね。
補足
エアロビクスの場合は最前列が優先席になる場合もある様で、何が優位になるかは集団の気まぐれに寄るのかと思います。その意味で、熟年主婦集団の理解には時間と手間を要し、かつ確実なパターンが存在するとも言えないのではないか?という結論に至っています。しかし、単にわがままと言うのではなく、何らかの心理学的見解があるように思います。 高齢者心理学の分野で、何らかの心理パターンの見解があるのではないかと期待しています。 もしかしたら介護福祉関係の方からのアドバイスも参考になるかもしれません。 学術用語を交えていただけると、後で検索する事が出来るので、より確実に理解できると思いました。 よろしくお願いします。