• 締切済み

日本語について

「私は学校で先生に日本語を教えられた」「先生が私に日本語を教えた」は表現が不自然ですが、なせでしょうか?もらう、くれるという表現が自然ですか?また「教えられた」という表現が不自然ではなく使えるのはどのような場合でしょうか?できるだけ詳しく教えてください。よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.5

「これはペンです。」や「私は少年です。」と同類のあほらしさを感じさせる文ですな。いったいどんなコンテクストで発話されるもんやら、ちょっと見当がつかない。ペンを知らない人はまずいませんもんね。少年って、そりゃ見りゃわかるって。 学校で何かを教わるとしたら、先生に教わるに決まってますな。「私は学校で日本語を教えられた。」だったら、例えば韓国が日本だったころのことを語るとすればアリでしょう。 やはり「私は学校で日本語を教わった。」のほうがベターでしょうが、それはたぶん、「教えられた」だと「誰に」すなわち「先生に」という無駄な要素をわざわざ取り込んでから省略してるように感ぜられるからではないでしょうか。 この「先生」がたとえば特定の「山田太郎先生」のことならもとより問題にはならんですよね。ただし敬語を使いたくなるということはある。 なにより特定の個人を指す「先生」なら「先生が私に日本語を教え、私はお返しに炊事洗濯のいろはを伝授した。」なんてふうに容易にコンテクストを想定することができます。 「教えられた」というのが自然に使われるのは、「誰が誰に」ということが明示される場合じゃないか、と思いました。

  • luune21
  • ベストアンサー率45% (747/1633)
回答No.4

動詞の主体が「先生」だからだと思いますよ。敬語表現がないので不自然だと感じるのではないでしょうか。 「教えられた」が明らかに受身のため尊敬の「られる」を感じることができす、「もらった」をつけたくなるのだと思います。 「私は息子からパソコンを教えられた」は問題ないと思いますよ。ただし、この表現は翻訳調(be+過去分詞+byというあれ)です。岩波国語辞典によれば、もともとの日本語の「れる・られる」にはなかった表現とあります。分解してみると、こういうことも不自然と思われる原因かもしれませんね。 「先生が私に日本語を教えた」は変です。「教える」という語は、やはり「自分」が誰かに修得できるように導いたり、「自分」の知っていることを誰かに告げたりするものですね。 「先生が私に日本語を教えてくれた」は好意動作・恩恵付与動作として使えると思います。ただし、新明解国語辞典にこの用法は載っていません。あまり使わない方がいいのかもしれません。 「教えてもらう」は問題ありませんね。利益を「受ける」表現です。 また、「教えてもらう」=「教わる」です。 「私は先生に日本語を教わった」が一番簡潔で美しいかな。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.3

文法的なことはよくわかりませんが、 1、 「私は学校で先生に日本語を教えられた」は、私が「教えられた事を嫌がっている」ニュアンスになってしまうため、不自然に感じられるように思います。(当てずっぽうですが・・) 他の例で言えば、 「有名な歌手に歌を歌ってもらった」と言う代わりに「有名な歌手に歌を歌われた」と言うように。 2、 「先生が私に日本語を教えた」は、常に不自然という事ではないように思います。 ただ、自然に使える状況が少ないために、不自然に感じられるだけのような気がします。 かなり稀でしょうが、こういう言い方が正しい状況として次のような会話を想定できると思います。 「君には確かフランス語を勉強するように言ったと思うが、いつのまにか日本語だけ上手になっている。誰が君に日本語を教えたんだね?」 「先生が私に日本語を教えた」 推理小説かスパイ小説に出てきそうな設定で恐縮ですが、用法の誤りではないのではないか、という事を言いたいわけです。

回答No.2

「私は学校で先生に日本語を教えられた」という表現は、英語の能動態,受動態を直訳するような、かた苦しい語感があるので不自然なのです。しかし、意味は正しく伝わります。 (1)Teacher taught me Japanese language in school. (2)I was taught Japanese language in school by teacher. (1)でも(2)でもなく、「私は学校で先生に日本語を教わった」「私は学校で先生から日本語を学んだ」のほうが、何の飾りもなくて自然です。 「教えられた」という表現を不自然ではなく使えるケースとしては、「老いて子に教えられ」という諺がありますが、これは大人として知っていなければならないことを若年者に教わったという意味です。 「この事件を通して、いろいろ教えられることがありました」という表現は、「この事件を通して、いろいろ学びました」と同じです。 "教えられる"は受身であり、"教わる"や"学ぶ"は能動です。 話をもとにもどして、「私は学校で先生に日本語を教えられた」という受身の表現は、なんとなく強制的に日本語という芸を仕込まれるような感じを受けます。教育というものは、教えるよりも、教わるほうの態度が大切なのですね。

  • 918BG
  • ベストアンサー率48% (476/984)
回答No.1

おっしゃるとおり、もらう、くれるという表現の方が自然です。 例) 私は学校で先生に日本語を教えてもらった。 例) 先生が私に日本語を教えてくれた。 「教えられた」という表現が不自然ではなく使えるのは、他人から教えてもらった場合ではなく、自分で気がついたり、自分で理解したような場合です。 例) 失敗を経験したことで、私は自分の技術がまだまだ未熟であることを教えられた。 先生など、人間から教わった場合には「教えてくれた」「教えてもらった」という表現を使います。 人間以外の、出来事とか物とかから教わった(自分で気がついた)場合には「教えられた」という表現を使います。

ikuchan
質問者

お礼

早速のお返事ありがとうございます。ところでこの文は使役文になるのでしょうか?日本語文法的な面からなぜ不自然なのかよく理解できないのですが…。せっかく説明していただいているのに理解できなくて申し訳ないです…。

関連するQ&A