- ベストアンサー
日本語の形容詞+ですは正しい日本語か?
- 「形容詞+です」は日本語として正しい表現なのか、疑問があります。
- 英語の影響で「彼女は美しいです」という表現が広まったが、本来は不要です。
- 「いないです」や「ないです」といった表現も「正しい」日本語とは言えません。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
デス・マス体の歴史に関しては諸説あるので省略します。 英語教育の影響は初めて聞きました。なんとも言えません。 〈「形容詞(の終止形)+です」は正しいか〉と訊かれたら、当方は「厳密には正しくない」と答えるしかありません。しかし、ほかに書きようがないので、半世紀以上も前(1952年)に文化庁が許容しています。 この影響で、もうかなり前から辞書類や文法書も許容しているので「間違い」とは言えないでしょう。 「~ないです」「~したいです」の類いも同様です。 詳しく書くととんでもないことになります。 下記からリンクをたどってください。 57定番の質問──「形容詞終止形」+「です」 うれしいです うれしかったです http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n294195 以下は一部の抜粋(重言)。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 「うれしいです」「悔しいです」などの〈「形容詞終止形」+「です」〉に関して、当方は「厳密には誤用」と考えている(「うれしかったです」「悔しかった です」なども同様)。ただ、「その根拠を示せ」と言われると、ちと困ってしまう。↑の【板外編7】の本多読本の記述でお茶を濁しているが、最近の資料は示 しようがない。最近の文法書や辞書は〈「形容詞終止形」+「です」〉を許容しているからだ。 なぜそんなことになったのかは、「文化庁の陰謀」じゃなくて「方針」のせいとしか言いようがない。 ■Wikipediaから http://ja.wikipedia.org/wiki/日本語の乱れ ================================引用開始 形容詞・動詞+です 丁 寧な断定の助動詞「です」が形容詞や動詞に接続することが誤った用法とされることがある。このうち「おもしろいです」のように形容詞に接続したものについ ては、1952年の国語審議会『これからの敬語』により「合法化」された。動詞に接続したものについては『これからの敬語』でも合法化されず、「です」の 接続はおかしいという感覚をもつ者が多い[4]が、井上史雄は、将来的には動詞も含めて全てに「です」が付くようになるだろうと予測している。 4. 井上史雄『敬語はこわくない 最新用例と基礎知識』講談社現代新書、1999年、108頁。 ================================引用終了 昭和27年の『これからの敬語』の記述。 http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/joho/kakuki/01/tosin06/04.html ================引用開始 7 形容詞と「です」 これまで久しく問題となっていた形容詞の結び方――たとえば,「大きいです」「小さいです」などは,平明・簡素な形として認めてよい。 ================引用終了 平成19年の『敬語の指針』P.28の記述。 http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/pdf/keigo_tousin.pdf ================引用開始 4 丁寧語 「で す」「ます」を付ける上で留意を要する点は特にない。(「高いです。」のように 形容詞に「です」を付けることについては抵抗を感じる人もあろうが,既にかなりの 人が許容するようになってきている。特に「高いですね。」「高いですよ。」「高いです か。」などという形で使うことに抵抗を感じる人はほとんどいないであろう。) ================引用終了 1952年の「これからの敬語」が発表された直後から〈学校文法でも「形容詞+です」を正しい形として認めている〉か否かは、当方にはわからない。古い文献にあたればわかるかもしれないが。 本多読本の単行本が発行されたのは1982年。この段階で本多勝一は〈中学生の文法書などに明示されている〉と断定している。いくら断定が好きな著者で も、ウソは書かないはず。少なくとも当時の「中学生の文法書など」では、まだ〈「形容詞終止形」+「です」〉は誤用とされていたのだろう。 その後、文法書や辞書では許容が進み、近年では堂々と正用のように扱われている。中学生向けの文法書はそれでもいいかもしれないが、辞書類は、「本来は……」とか「元々は……」とか注をつけるべきだと思う。 しかし、〈「形容詞終止形」+「です」〉に異和感をもつ人は多い。とくに年配の人や語感の鋭い人は抵抗があるようだ。当方は若い頃から本能的に「誤用」と 感じていた(思えば、若い頃はそこそこ語感が働いた)。10年ほど前からは、「厳密には誤用」と書きつづけてきたので、いまさらこんなものが許せるわけが ない。 だが、もはや「誤用」と主張する気は失せた。最近は無神経な文章か否かを見分ける目安にしている観がある。ヒトサマが使っているのにメクジラを立てる気はないが、自分で使う気は毛頭ない。 このあたりは、非常に乱暴な物言いであることを承知で書くと、「ラ抜き言葉」に対する感覚に近いかもしれない。 ある意味、感覚が若くなっているのかもしれない。(←うれしくないです!) 割に親しい年長者に対する若い女性の発言として「ありませんよ」と「ないですよ」のどちらが自然か、かなり真剣に悩んだりもした。 いっそ完全に許容したほうがラクになれるのかも……と思わなくはない(泣)。 下記のサイトが詳しいかも。 http://www.kyoiku-shuppan.co.jp/view.rbz?nd=1750&ik=1&pnp=101&pnp=113&pnp=566&pnp=1750&cd=17 下記のWeb辞書『大辞林』の記述はすばらしい〝です〟。 以前ひいたときには、こんな記述はなかったような……。 ついでに書いておくと、終助詞の「か」がつく形もアリでしょう。 http://kotobank.jp/word/です?dic=daijisen&oid=12697100 ================引用開始 (3) 形容詞の終止形に付く「楽しいです」「おもしろいです」は現在かなり広がっているが,多少ぎこちなさも感じられる。一方,それに終助詞を伴う「楽しいですね」「おもしろいですよ」などは普通に用いられる〕 ================引用終了
その他の回答 (3)
- ゆのじ(@u-jk49)
- ベストアンサー率30% (1233/4073)
「ですます調」を丁寧語と称する一般通念が定着している。それに、形容詞の終止形で会話を区切ってしまうと、目上の人に対しては失礼になる場合が多いという事実がある。 実家の裏山の高さを大学教授に尋ねられた学生は、「高い」とは言い難い。「高いです」と言うのが先生に対する礼儀。 また、be動詞は数学の=記号と同じと考えれば問題ないと思われる。つまり、「A+B=C」を「A足すBはCです」という感じ。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに形容詞の終止形で言葉を終えるのは, ぶっきらぼうというか失礼な感じになりますね。 be動詞の捉え方については,私も同様に考えています。
定説とするに足るものがあるかどうか、よく分からない、微妙な問題だと思われます。辞書を参考にしてみます。 ・大辞林 第三版 です https://kotobank.jp/word/%E3%81%A7%E3%81%99-575878#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 > 動詞および動詞型活用の助動詞には,連体形に助詞「の」の付いたものに接続するが,形容詞および形容詞型活用の助動詞には,その終止形に付く。 この一般的な解説においては、形容詞の終止形に付くことが可能という原則になりますから、「美しいです」は一概には退けられないことになりそうです。しかし、 > [一]「だ」「である」の丁寧語。 という解説からは、「美しいだ」「美しいである」も認めなければいけなくなりそうです。しかし、さすがにこの言い方はあまりないでしょう。「の」を補って、「美しいのだ」「美しいのである」なら問題はなく、「です」も「美しいのです」は、おそらく問題ありません。 しかし、終止形の「です」ではなく未然形「でしょ」+「う」であれば、「美しいでしょう」(「美しいだろう」「美しいのであろう」)は、あまり問題を感じません。辞書をさらに見ていくと、語源的には諸説あることが分かります。「で候」と「でござります」は、どちらも丁寧な断定であっても、尊大か敬語か、ニュアンスがかなり違いますね。 > (2) 「です」の語源については,「でそう(で候)」説,「でござります」説,「であります」説,その他があるが,まだ定説化されたものはない。[一]の「です」は,明治以降,次第に一般に広く用いられるようになった。 「だ」「である」の丁寧な言い換えとしての「です」は明治期以降、徐々に広まったらしいことが分かります。この時期は英語を含む外国語も日本ではよく学ばれるようになりました。仰るような、外国語の翻訳の影響があってもおかしくないでしょう。しかし、 > (3) 形容詞の終止形に付く「楽しいです」「おもしろいです」は現在かなり広がっているが,多少ぎこちなさも感じられる。一方,それに終助詞を伴う「楽しいですね」「おもしろいですよ」などは普通に用いられる〕 とも解説されています。かなり最近になって、言うようになったようですね。逆に言えば、昔は言わなかったと取れます。昔に聞いた話と、最近に聞いた話で差があったとのことですが、上記の解説の「現在かなり広がっている」と対応しているのではないかと思います。 文法的なことには言及せず、多少ぎこちなさを感じるといった、やんわりとネガティブな見解を示しています。同時に、「ね」「よ」と続けば普通に言うともしており、これも一理あります。 先述の「美しい『の』です」、ここで解説されている「美しいです『ね』」「美しいです『よ』」と、たった1字で許容できそうということは、形容詞の終止形に付く「です」が未だに文法的に不安定なことを表しているように思えます。 日本語は厳密の定められた正用法のようなものは存在しませんし、言葉は変化しますので、大勢が普通に使う言い方は次第に正しい用法とされていきます。ご質問のこと以外になりますが、「綺羅星」(きらぼし)や「間髪」(かんぱつ)などを、辞書に記載するようになってきています。もともとは誤用ということは、辞書の解説からだんだん後退したりもしています。「潮時」「煮詰まる」などは意味が変化して来ていて、要注意であったりもします。 「美しいです」についても同様のようで、問題ないと考えて普通に使う人は増える一方のようですから、そのうち普通に正しいとされるようになるのではないかと思います。ビジネス文書などでは、まだまだ要注意ではないかとは思いますが。
お礼
丁寧な回答ありがとうございます。 言葉が変化していくことは理解しているつもりですが, 例えば「ら抜き言葉」などにしても,変化の途中にいると すんなりとは許容したくない気持ちが起こってしまいます。
- marisuka
- ベストアンサー率38% (657/1685)
私自身で調べたものでなくて申し訳ないのですが、こんな回答がありました。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1439339919 この方によれば、「美しいです」は明治後期ごろからのようです。正しい・正しくないは時代によって変わります。その変わった時期が明治だった、ということになりますね。 なるほど遊郭発祥の言葉であれば、なんでもかんでも「○○でありんす」と言いそうです。そのために開発された言葉ですから。お酒でありんす、行くでありんす、きれいでありんす、美しいでありんす。 ただ現代では動詞には「ます」、その他には「です」が定着しています。 (「ます」の元が「参らす」だったと考えれば辻褄が合いますね。) 「ないです」は形容詞+です、「いないです」は助動詞+です。合っています。 「いるです」「あるです」は動詞+です、となり、現代の用法に合っていません。 私も勉強になりました。いいご質問、ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 形容詞の終止形に「です」がつく用法は,結構前からあったのですね。 「です」の成り立ちも含めて勉強になりました。
お礼
丁寧な回答ありがとうございます。 やはり「正しい」のですね。 許容しなければなりませんね。 私は「ら抜き言葉」にも大変抵抗があり, テレビで耳にする度に,「・・「ら」れない」と つい言い直してしまいます。(苦笑)