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会津磐梯山の爆発前の高さについて
福島県の会津磐梯山は明治に大爆発し、現在の山容・標高になっています。山体のかなりの部分が爆発により飛散し、被害は甚大なものでした。 ところで、民謡にもうたわれた大爆発前の磐梯山の高さはどれほどのものだったのでしょうか?いろいろ、書物なども見ましたが、具体的な数字を見たことがありません。推計でもかまいませんので、ご存知の方ご教示ください。
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今と同じ,1819mです。 1888年の噴火に伴う山体崩壊は,磐梯山の主峰の北側にあった「小磐梯山」の山頂付近と北側斜面が大崩壊を起こしたものですが,磐梯山の主峰そのものは無傷でした。 地形図を見ていただくと, http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?id=56403005&slidex=0&slidey=800 崩壊地形は,磐梯山の山頂の北にある弘法清水小屋のさらにもう少し北側,標高にして1600m付近から始まっていることが分かります。 次に,こちらの図をご覧下さい。 「噴火による地形形成過程」 http://www.bousaihaku.com/cgi-bin/hp/index2.cgi?ac1=B520&ac2=&ac3=2873&Page=hpd2_view#b 左側の3枚の図は,山の北側から見た鳥瞰図,右側は西側から見た断面図ですが,「大磐梯」と書かれた主峰は,噴火前も噴火後も変わらずそこにあったことが分かります。 ちなみに,No.1の人が書いているリンク先を見ると,「それまで3000mほどあった富士山型の山から、現在の3峰になった」とありますが,その前の文章を読めば分かるように,これは明治の噴火ではなく,もっと昔の話です。
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- hiroko771
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回答No.1
質問者
お礼
ありがとうございます。
お礼
丁寧な解説ありがとうございます。