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自存自衛の戦争【太平洋戦争】

経済制裁もハルノートも、柳条溝以降の日本の中国侵略に対する欧米からの数々の警告を無視しつづけた結果だと思います。つまり封鎖されるべくして経済封鎖され、突きつけられるべくしてハルノートを突きつけられたのに、なぜ自存自衛だったといえるのでしょうか。

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  • Ganymede
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回答No.12

thisaway さんの言わんとするところは正鵠を得ていると、私も思いますよ。 なぜなら、米国と戦争すれば、日本の自存自衛もあり得なかったからです。実際に1941年夏(真珠湾攻撃前)、日本の若手エリートを結集した「総力戦研究所」(内閣直属の機関)は、「日本必敗、(米国と)戦うべからず」という秘密報告書を出しています。日米の国力差を冷静に考えれば、当時の日本人にとっても明らかでした。 つまり、「自存自衛のため」と称して真珠湾攻撃に踏み切ったのは、自己矛盾にほかならないということです。「やってみなければ分からない」と言ってる場合ではありません。 従って、thisaway さんのおっしゃるように、ハルノートを突きつけられる前に、日本は対外政策を転換するべきでした。「歴史に if はない」とは言いますが、「欧米からの数々の警告を無視しつづけ」、事態がハルノート(日本にとって飲めない条件)に至った後では、遅かったのです。 「自衛戦争か、侵略戦争か」がクリティカルな(決定的な)意味を持つ理由は、第二次大戦当時、すでに(自衛戦争以外の)戦争は違法だったからです。 不戦条約(戦争放棄に関する条約。1928年パリで調印、日本も参加)により、戦争は非合法化されました。同条約と国際連盟規約(1919年締結)により、従来の戦争観(戦争は国家の権利、宣戦布告すれば戦争するのは自由)は制限を受けるようになりました(なお、同条約は期限の定めがなく、今日も効力を有しており、約60の国が当事国となっている)。 しかし、その後の歴史を見るまでもなく、この条約の実効性は疑わしいものでした。条約参加国の多くが自衛戦争の権利を留保したし、違反に対する制裁規定もなかったからです。いわば同条約は「ザル法」でしたが、それでも、それ以後戦争をする国は、周到に「自衛戦争」を自称するのが常でした。 つまり、「すべての戦争は当事国にとって自衛戦争」という、詭弁競争の状況になったのです。そういう経緯がありますから、「日中戦争も日米戦争も、日本にとって自衛戦争」と主張するような輩(やから)と、議論しても無駄でしょう。ややこしいことを言えば、侵略戦争の中にも自衛戦争の要素はありますし。 それよりも、次の冷徹な認識が重要です。 「米国と戦争すれば日本必敗。日本の自存自衛は図れない。つまり、米国相手の自衛戦争はあり得なかった。そこまで追い込まれる前に、対外政策を転換しなければならなかった」 ただし、この論理だけでは、日中戦争を自衛戦争と言い募る余地が残ってしまいます。もちろん私は、中国に対する侵略だったと思っていますが、いまだに反省しない連中と論争するまでもなく、「自存自衛を不可能にしていく自衛戦争は、自己矛盾。日中戦争も日米戦争もそうだった」と述べておきます。 【マッカーサーの上院証言について】 マッカーサー証言をコピペ(コピー&ペースト)しても、その意味が分かってない人がいるようです(No.1回答でしょうか)。どんな質問に対する証言だったのか、確認しておこうとは思わないんでしょうか? 長文ですが引用します。 対訳 マッカーサー証言(1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会) http://www.chukai.ne.jp/~masago/macar.html (ヒッケンルーパー上院議員) 5番目の質問です。赤色中国に関する海と空からの封鎖という貴官の提案は、太平洋において米国が日本に勝利を収めた際の戦略と同じではありませんか。 (マッカーサー将軍) そうです。 太平洋では、米国は日本を迂回しました。そして閉じ込めたのです。 日本が抱える八千万人に近い膨大な人口は、四つの島に詰め込まれていたということをご理解いただく必要があります。そのおよそ半分は農業人口であり、残りの半分は工業に従事していました。潜在的に、日本における予備労働力は、量的にも質的にも、私が知る限りどこにも劣らぬ優れたものです。いつの頃からか、彼らは、労働の尊厳と称すべきものを発見しました。つまり、人間は、何もしないでいるときよりも、働いて何かを作っているときの方が幸せだということを発見したのです。 このように膨大な労働能力が存在するということは、彼らには、何か働くための対象が必要なことを意味しました。彼らは、工場を建設し、労働力を抱えていましたが、基本資材を保有していませんでした。日本には、蚕を除いては、国産の資源はほとんど何もありません。彼らには、綿が無く、羊毛が無く、石油製品が無く、スズが無く、ゴムが無く、その他にも多くの資源が欠乏しています。それらすべてのものは、アジア海域に存在していたのです。 これらの供給が断たれた場合には、日本では、一千万人から一千二百万人の失業者が生まれるという恐怖感がありました。 Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security. したがって、彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのです。 (引用終り) 長々とコピペしました。 マッカーサーがこの証言を行った1951年5月は、朝鮮戦争で「中国に原爆を落とせ」と主張し、トルーマンに解任された後のことです。 ヒッケンルーパー上院議員の質問と照らし合わせ、マッカーサーの代弁を勝手にしてみると、次のようになるでしょう。 「中共を封鎖しろ。太平洋戦争前に日本を経済封鎖したように。あの戦略は成功だった。封鎖された日本は、自らの security の必要に迫られ、戦争に打って出た。そこを我々が撃滅したのだ。(中国と日本は資源の有無など状況が異なるにせよ、)中共を封鎖せよ。奴らは(ジリ貧に陥るか、)勝てない戦争に打って出てくるだろう。(日本と同じ罠にはめろ)」 マッカーサーは、一見日本に同情しているようで、実は日本を見下しているんですよ。分かりきった話です。 鬼畜米英が合言葉だった日本人は、敗戦後、掌を返すように占領軍(進駐軍)に擦り寄り、おべっかを使いました。マッカーサー宛に、おびただしい日本語のファンレターが届いたそうです。 そのギブミーチョコレート根性が、いまだに抜けないんでしょうね。「あの元帥様が、自衛戦争と認めてくださった!」と、虫のいい解釈に浸っているわけですか? 麾下の将兵を幾千万と殺されつつ、容赦なき大戦を戦い抜いた闘将マッカーサーが、いくら御役御免になった後でも、「日本が行った戦争は侵略戦争ではなく自衛戦争」と認めるはずがありませんよ。そういう、まともな解釈力が働かないんでしょうか。 付け加えておくと、このマッカーサー証言を「発掘」して世に喧伝したのは、田中正明、渡部昇一、小堀桂一郎という、お決まりの怪紳士の面々です。 http://members.jcom.home.ne.jp/t-masami/zakki-02-7-12/hp-02-08-20.html > この話は昭和47年発行の『日本無罪論』で田中正明先生が > 言ってられたのですが、聞くと、原典と突き合せてないということで、 > 渡部昇一さんと話合って原典を突き止めることになり、ニューヨーク・ > タイムズに記事が出ていることが窺え、そこで現物を学生に > 探してもらうと見付かりました。 > 東京裁判を開くための条例を制定した最高責任者マッカーサー自身が >「侵略戦争でなく自衛戦争だった」と証言です。どんどん使って > 宣伝しようと渡部さんと喜び合ったものです。

thisaway
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  • reny
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回答No.5

日本が朝鮮半島や旧満州地域に植民した政策は、第二次世界大戦後に中国がチベットやその他少数民族居住地に漢民族を植民させて支配していく過程や、旧ソ連がバルト三国(ロシア革命後に独立していた国家です)を占領しロシア移民を大量に送り込んだ例と変わりありません。 これら全て「自衛のため」の行動です。占領された国には迷惑な話ですが、自衛という概念は拡大していけば、仮想敵国を殲滅するまで行き止まりがないものです。 日本だけ問題になって、中国やソ連が国際的に見逃されているのは、その他の国にとって、中国やソ連に干渉することは、政治的リスクに較べて大した経済的メリットがなかったからに過ぎません。 第二次世界大戦に関して言えば、日本にとって「自存自衛」だったことは間違いはありません(明治維新そのものが、欧米の脅威から身を守るために体質を変えた自衛的内戦で、それ以降もずっとこの路線です)。 実際に、欧米の警告は別に人道的なものではなく、彼らの経済的メリットが減ることからの行動でしかなかったわけですし、自虐的になる必要はないでしょう(第二次世界大戦後にベトナムにあらためて進駐したフランスや南ベトナムにてこ入れしていたアメリカを見たら、彼らの行動が自国の利益に忠実で、人道的見地から行動していないことに気が付くと思います)。 負けたことは恥ずべきことだと思い、それについての反省は必要だとは思いますが、戦争や国際的な緊張関係を「善悪」のプロパガンダで分けることは危険ですよ。まず100%経済的利害対立が本当の理由なのですから。

thisaway
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回答No.4

戦争は最悪(後)の外交手段と言われますが、殆どの戦争が自衛を名目に始められています(直近の米国のイラン攻撃も「大量破壊兵器の脅威からの自衛」が名目でした)。日本の場合も、最後の局面だけを見て判断すれば、ハルノートの受け入れは「既得権益の放棄により、大変な経済損失と政体の不安定化を招く」ものだったと言えるでしょう。しかしその「既得権益」自体が日清戦争以来に、他国を侵食し割譲させて来たものであった訳です。もっともある時点までの権利は国際的に認められていたのですが、国際連合脱退以降において、その後の利権を不当とされた事で、今回のイランの様な目に会い、明治当初の領土さえ一部侵食された訳です。当時の日本は事実上軍事独裁政権であり、フセイン政権・金政権と同様に国体(支配者)の維持が第一目標で、そのために既得権を譲れないから自衛だと言う「三分の利」的理屈を述べて、誤った戦争に突入したと言う事が大方の見方であり、一部の断片的意見をもって誤りを正当化して見ても意味がないのではないでしょうか。

thisaway
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回答No.3

私よりも詳しい方々があとでいろいろと詳しく説明してくださると思うのですが、「戦争」というのは必ずしも“善対悪”の構図で始まるものではなく、むしろ経済的な衝突など各国それぞれの思惑(主としてその国の経済を支えている財界と政界の人々との間でのカラミ)があって始まってしまうものが多いです。この戦争に関していうならアメリカなどの立場は「勝者の側」に位置する訳ですから、その主観が世界的に通用しているのはある意味“当たり前の話”です。この件に限らず常に歴史というものを深くみれば明らかで“一般的な「歴史」”というのはその多くが「勝者側の論理・価値観・都合」でその後に“後付け”で出来上がったものが多いのです。 「欧米からの数々の警告を無視しつづけた結果」という視点で見れば確かに約70年前の日本の存在は、それまで世界を永らくリードしてきた欧米諸国からみれば“悪”です。…だけど、「日本」としてまた「日本人」としてみたら自らの生活の価値を高めたいと思い、またそれを規範して行動するのは人間として当然のことです。またそのように考えるのは日本人のみならず世界であれば基本的にどこの国々の人々だって同じです。 故にそのような観点から逆の意味で故意に“戦争を起こしたい国・企業・人々”だって存在している訳です。戦争が起きれば経済は潤うし、またそこで勝利できれば「利権」が転がり込んできます。最近の例で言うと、今回のブッシュ大統領によるイラク戦争だってアメリカは戦後モノの見事に「石油利権」を手に入れていますよね。 日本は明治以後、急成長を果たして「列強」の仲間入りをし、次第に東アジア(特に「中国」に対して)で影響力を発揮するようになりました。現在でも中国はマーケット(市場)として非常に魅力的な地域です。それは昔も今も変わりありません。当時の日本はそれらを勢いあまって半ば「独占」しようとしたのです。しかしそのような状況は旧来から影響力を持っている欧米諸国、またそれらに属する財界・企業の人々からすれば“非常に面白くない”ものでした。故に新興勢力である日本に圧力を掛けて、自ら(西洋諸国)が都合の良いようにしていこうと画策した訳です。また、できることなら「戦争」という手段が当時としては“儲ける為には一番手っ取り早い方法”でもあった為、日本が“暴発しやすいように”手を買え品を変え様々な部分で「封鎖」していった次第です。 別に過去の戦争を私は「賛美」しているつもりではありませんが、見方を変えれば事実そのようになる訳で日本としても致し方なかった部分は大いにあります。 例証としてアメリカなどによる「ワシントン会議」「四カ国条約」「九カ国条約」などを挙げておきます。当時、アメリカは第1次大戦に参戦し、旧来の英・仏を凌ぐ大国になっていました(それだけ戦争による特需は大きいのです)。しかしながら戦争が既に終わってしまい、経済界は既に“尻すぼみ”になりかけていました(その数年後には「大恐慌」が発生します)。それ故にアメリカの政府・経済界としては“次の戦争”を徐々に意識し始めました。そこで選ばれたのが「日本」だったのです。圧迫を加えることは勿論ですが、同時に海軍力の削減などを求めることによって徐々に“弱体化”を推し進めていく訳です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E4%BC%9A%E8%AD%B0_%281922%E5%B9%B4%29

thisaway
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  • ipa222
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回答No.2

アメリカが戦争を仕掛けないと読んで、上海や仏領インドシナに兵を出したと思います。 決してアメリカと戦争して、勝って、ワシントンに日章旗をあげようという気はなかったと思います。

thisaway
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  • merlionXX
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回答No.1

昭和26年5月3日の「米国上院軍事外交合同委員会」におけるD・マッカーサーの証言。 「日本は8千万に近い膨大な人口をかかえ…(中略)…その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。…(中略)…これほど巨大な労働能力を持っているということは、彼らには何か、働くための材料が必要だということを意味します。 …(中略)…日本は、絹産業以外には、固有の産物はほとんど何もないのです。彼らには綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない。そのほか実に多くの原料が欠如している。そして、それら一切の物が、アジアの海域には存在していたのです。 もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、1千万から1千2百万の失業者が発生するであろうことを、彼らは恐れていました。 したがって、彼らが戦争に飛び込んで行った動機は、大部分が、安全保障の必要にせまられてのことだったのです」 日本と戦い、GHQ総司令官として日本を占領マッカーサー自信が、こういう本音を証言しています。 あの東京裁判でさえも、インドのパール判事が、「ハルノートと同じ内容をつきつけられて、イエスという国家はない。ハルノートをつきつけられたら、モナコのような小国の国民でも、剣をとって宣戦布告するだろう」と語った話もまた有名です。 多分われわれの先輩たちは、戦争を避けることはできなかったのだと思います。

thisaway
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