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説教されたい心理とは?
自分は説教されるのが好きなようです。大学の指導教員がどうやら説教好きらしく、と言うか自分好みの説教が上手いので、プラスマイナスゼロみたいな感じでピッタリくるんです。「君はまだ若いから」とか「間違いを恐れちゃダメだよ」とか「もっと自分の力を信じて」系のこそばゆい台詞が快感でぞぞぞ~っと鳥肌が立つんです。 自分でも異常と思いますが、この先生に説教されたいがために、少し反発してみたり(成績に響かぬ程度で)、心配されようと消息を絶ってみたり(愛想尽かされない程度に)・・。 医療系ドラマや小説で、医者が死の床についている難病青年患者に向かって(青年というのがポイント)、人生の意味だとか死の意味だとかについて話す場面なども、憧れます・・。自分は末っ子で昔から甘え好きだったのですが、そのせいもあるのでしょうか? ちなみに人に説教したいとは全く思いません。年下よりも年上が好きです。昔から説教をされたいと思うのは学校の先生などで、実親や親戚、近所の大人、習い事の先生には興味がありませんでした。正直、マゾ気があるのかとも思います。今のところ社会生活に影響はありませんが、このまま年を重ねていったらどうなってしまうのか、やや不安です。中年になって自分が若人に説教する立場なのに、誰かに説教されたいと願っていたら・・。愛想も尽かされると思います。客観的に見ても、自分が立派な大人として成長していけるのか不明です。この心理は一体何なのでしょうか??甘え?
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ご自分でかなりの所まで分析されているようですから、 特に心配する必要もないと思いますが(遅かれ早かれ解決すると思うので)、 感じたことを少し述べてみます。 自我の芽生えは普通3、4歳頃に始まり、思春期ぐらいから確立されていくようです。 その確立を怖れ、いつまでも「自我芽生えの湖」で泳いでいたいという願望でしょうか。 その一方で、自我の確立が自分にとって重要であることも知っている。 (あるいは感じている) 湖の淵に手を掛けて、自力で這い上がる気にはなれないが、 誰か引っ張り上げてくれないかな・・・。 先生だったら教育者なんだし、それなりの見識もあるだろう。 ちゃんとした場所に引っ張り上げてくれるかもしれない。 溺れてる振りをすれば助けに来てくれるんじゃないだろうか。 といったような心理が働いているのでは?と、感じました。 自我を確立する為には、 この湖の岸辺を自力で這い上がらなければならないような仕組みになっているので、 先生が何度ロープを投げてくれてもうまくいかない、という事だと思います。 先生が諦めかけると、もう一度ロープを投げてもらう為に、 わざと沈んで驚かせてみたりするのでしょう。 反抗期はありましたか? お父さんは優しすぎませんか? 自分で手を掛けるべき適当な箇所が見つからず、 岸辺に沿ってぐるぐる回っているような印象も受けます。 岸辺の草にしがみついて、自力で這い上がりましょう。 あなたが乗り越えるべき壁としての岸辺を探し当て、 それを今、目の前にしている事は確かなことのように感じられます。
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- kaitaradou
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誰でも自分とは何かがわからないことは不快です。若いときは自分の能力が足りないからわからないのだと思ったりします。人生の先輩はわかっているのだと思おうとします。自分より年下の人と接すると実は自分とは何かがわからないのは能力のせいではなく、原理的なことなのかと思います。人生の意味づけができないことは、原理的なことであることを、人生の先輩がどのようにかわしているかを見ることは安心感につながるのではないでしょうか。歳をとるとお説教がしたくなるかもしれませんし、そのときは年下の人が存在していることをありがたいと思うかもしれません。
お礼
どうもありがとうございます。確かに年輩の人が「自分も昔は・・」と言うのを聞くと安心しますね。納得のいくご意見です。
- maria1956
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他者依存と、アイディティの確立が出来ていないようですね。 >「君はまだ若いから」とか「間違いを恐れちゃダメだよ」とか「もっと自分の力を信じて」系のこそばゆい台詞が快感でぞぞぞ~っと鳥肌が立つんです。 これらの言葉は、お説教でもなんでもなく、ただの励ましです。 社会というのはそのような甘いものではありません。 出来なければ、ケチョンケチョンにけなす上司や、いじめに走る同僚や・・・ いま、社会問題になっているのが、パワーハラスメント、モラルハラスメントです。(国際的にも) 学生で、きっと両親の期待通りのいい学校、いい大学と順調にきて、両親に取ったら貴方をお説教する理由はなにもない。だって彼らの筋書きのレールの上を走っているだけだから。 学生という社会の中から隔絶された温床で甘えて他者に励ましてもらっている言葉と、社会に出てからのお説教は、貴方が考えている言葉とは180度違います。 その心構えがないと、精神的に参ってしまう可能性大です。 社会というものは、貴方に好意的な人間ばかりでなく時には、偏屈や、意地悪や、そのような人格的にボーダーラインの人も内在しているということもしっかり認識して欲しいと思います
お礼
どうもありがとうございます。本当に、自分は恐らく厳しい社会に出ることに対しびびっているのだと思います。決して親の敷いたレールを歩いてきたつもりはありませんが、心の底では親に喜んでもらおうと、進路選択をしてきたというのは事実かもしれません。きっと自分のような人間は、グダグダと言ってないで一度社会の荒波にもまれてくるのが一番なんでしょうね・・。
- 阿加井 凛悟(@neutral)
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No.1です。 ↓の方がとても腑に落ちる回答をなさっているので今さら私が書くことなんてあまりないのですが。 No.3の方の回答にまったくもって賛成です。 自我確立の途中・・であるなら、外部の人間に「君ならできるよ」系の説教をされることによって、やっと自分の価値を実感できる・・というのもうなずけます。 本当はそんなことしてもらわなくても、あなたの存在には充分価値があることを自分で知っているほうが生きやすいと思うのですが。 そのためには、やはり、ある程度ありのままの自分を発信する勇気を持ち、受け入れられることが必要なのでは・・と思います。 で、そのためには自分の欲求や感情(自分の心の声・自分がどうしたいのか)に耳を傾け、それをちゃんと認識して理解して、それを表現する勇気を持つことが必要なのでは・・と思います。 「コミュニケーション」は、自力で生きていく上で最も必要な行為だと思います。 途中で「見捨てられるような不安」に出くわしたりするかもしれませんが・・ちゃんと自力で立っていられるようになると思いますよ。
お礼
2度もご回答くださりどうもありがとうございます。「自分で自分の存在価値を認識しろ」というのは確かに、よく言われます。自分は、大学時代の前半、ホームシックだの成績不振だの事故だのが重なり、ストレスのせいかすっかり自信をなくしてしまったんです。誰にも相談せず、本当に自分が何者なのかわからなくなり始めた頃にこの癒し系教授に出会ったので、かなり救われました。でもその時にはすでに、自己評価の低さが考え方の癖になってしまっていたかもしれません。自己防衛のためみたいな・・。どうしてこんな風になってしまったんでしょ。以前は夢もたくさんあったのに、今となってはすっかりやる気をなくし、何をしていいのかわからない、何も出来ない、何もしたくない、という感じです。回答者様の仰るとおり、自分の心の声をじっくり聴いてみたいと思います。
- winngu11
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こんにちは。 お話を聞いてますと、年配者の教えを聞きたい傾向なんですね。説教・・・というのとはまた違うように思います。思いやりのある励ましじゃないですか? 説教にはいろいろないやな言葉もありますよ。 「あんたは本当に何をしてもだめだね」 とか 「本当にサイアクだな」とか・・・ 要は慰めてほしい、励ましてほしい、ではないですか? 程度にもよりますが失踪したりするのはどうかと思います。そんなことを繰り返せば説教もされなくなってしまうように思います。 ですが実際は、まだ質問者さんはお若いようですし、これから世間の荒波に揉まれて、時にはどん底に突き落とされて、人に説教したくなる立場になると思いますよ。説教してもらいたければ、口が達者で口うるさい嫁さんをもらってみるのも手ですよ。 くれぐれも、人を心配させすぎないようご注意ください。
お礼
どうもありがとうございます。そうなんです、小言系の説教と言うよりかは、「君なら出来るよ」系の思いやりある言葉を必要としてるみたいです。自分自身は他人に対して思いやりも持てないような冷血人間なんですが、こうやって人に要求してばかりなんです、はあ。人生指南とかも結構好きでして・・。このままで、まともな自立した人間になれるのか不安です。
- 阿加井 凛悟(@neutral)
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確かに説教する人に対して「依存」傾向があるようにも思いますが・・。 説教する人が「地面」で、あなたはその上に「立っている」感じでしょうか。 「愛されたい」 「満たされたい」 「かまってもらいたい」 「安心していたい」 という欲求があるのではないかな。 それは、とても健康な欲求なので抑圧すべきではないのですが・・。 持ってはいけない・・と思って抑圧していませんか? あるいは、その欲求を発信して自分を満たす的確な方法をに知らない・・とか。 あるいは、自己評価が低くて、自分の欲求を発信するなんて図々しいことはできない・・と思ってませんか? 自分の欲求や感情をちゃんと認識して理解して、それを的確に発信して自分で自分を満たすことが出来るようになって行けば解決すると思いますよ。
お礼
どうもありがとうございます。確かによく言われます、「依存しすぎるな」と・・。「愛されたい」という欲求もあると思います。ただ、親からの愛情は惜しみなく受けてきたはずなのに、なぜ学校の先生系にかまってほしいのか不明です。あまり信頼できる友人や恋人がいないからでしょか?と言うか、いても信頼してないから?でも健康な欲求と言っていただけて少し安心しました。。
お礼
どうもありがとうございます。なるほど、自我の確立ですか。今すごく恐れているのが、大学という最後の温室を離れて社会に出て行くことなんです。それじゃいけないとわかっていても、いつまでも誰かに甘えていたいと言うか・・。 反抗期はありましたが、確かにうちの両親は世間の親に比べて甘い方だと思います。特に末っ子の自分には。やりたいことが見つかるまでは実家に戻っていてもいいよ、みたいな。無理にやりたくないことをして精神が参るよりは、ゆっくり時間をかけたほうがいい、と思いっているようです。しかも子供の可能性をものすごく信じている親なんです。でも、いつまでもそうやって甘えてたら社会の現実から取り残されるのは自分だ、という認識はあるんですが・・。 指導教授にだっていつまでも甘えられるわけじゃなし。確かに自分は先生に甘えることが目的で、その言葉の内容自体は重要じゃない、というパターンさえあるんです。でも結局は「大人になる」ということを自分で意識しないと意味がないってことですよね、このまま大人になりきれない大人にならないためには。