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神風特攻隊

某掲示板で「神風特攻隊は日本の恥だ。自爆バカ。」と書かれていていました。神風特攻隊とは誇れるものではないのですか?僕は今まで日本国の為に犠牲になり、そのように戦ってくれた事を誇りに思っていましたがそれは、間違いなんですか?

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  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.12

(1) 特攻という戦法は、本来は、レイテ沖海戦の際に「何としても敵空母を叩かねばならない。非常の戦法として体当たりを」ということで発動されたものです。この背景として「米軍との戦力差が開き、通常攻撃(爆撃、雷撃)での生還率がほとんどない状況。どうせ帰れないのなら、いっそ体当たりしよう」という悲惨な戦況がありました。 (2) 第一航空艦隊司令長官として、レイテ沖海戦時に最初の特攻を命じた大西瀧治郎中将は、終戦の詔勅が包装された翌日に自決しています。特攻隊の犠牲者に詫びる遺書を残しています。 http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/sinpu-oonisi.htm (3) 残念ながら、レイテ沖海戦の後に特攻が通常の戦法になり、志願ではなく命令によって特攻隊が編成され、特攻が行われるようになりました。下記のようなことも残念ながら事実です。 * 残り少ないベテランパイロットが、教官配置から動員され、旧型の飛行機に乗って特攻。この人たちは、最新鋭機に乗れば敵艦を攻撃して生還可能な人たちでしたが、旧型機ではどうしようもありません。 * 練習機や旧型機に、ようやく単独飛行ができる程度の未熟練パイロットを乗せて特攻に出した。途中で針路を見失って燃料切れになるか、途中で敵戦闘機の好餌になるだけだったでしょう。 * 陸軍で特攻を主導した富永恭次中将は、フィリピンのルソン島に米軍が上陸すると、部下を置いて飛行機で台湾に逃亡しました。前記の大西中将と比べると、その卑劣さが際立ちます。他にも、戦果を期待できない特攻を命じ、戦後に生きながらえた指揮官は万死に値すると言えましょう。 (4) 「僕は今まで日本国の為に犠牲になり、そのように戦ってくれた事を誇りに思っていましたがそれは、間違いなんですか?」 間違いではありません。質問者様の考え方で正しいと思います。

その他の回答 (20)

  • mailhiro
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回答No.10

別の回答で、他の回答者の方が紹介されていたリンクですが、結構感動してしまったので、参考までに貼り付けておきます。

参考URL:
http://nandakorea.sakura.ne.jp/media/sinjituwadokoni.swf
noname#91219
noname#91219
回答No.9

 今の自爆テロとは違います。ただしその中でも騙された者は除きます。それは主導者の責任です。主導者が実行犯の何らかの弱みに漬け込んでやらせたのですから。 しかし神風特攻隊の方たちの弱みはつまり、幼いころからの軍事教育のために国を守るという思想かもしれません。だから行った人を責めるわけには行かないと思います。勿論行かずに自殺を図った人も多くいるくらいですから。実際に自爆をした人を責める考え方はどうかと思います。その書き込みをされた方は、自分がそんなことを言える立場であると錯誤しているのでしょう。

回答No.8

神風特攻は敵母艦への自爆攻撃を目的としていたんですが、命中率があまり高くなく、打ち落とされることも多かったそうです。 書き込みをした人がどういう面からそのような書き込みをしたかわかりませんが戦術的に絶大的な効果を誇った、というわけではないです。 自国を守ろうとした兵士の考えや思いはともかく、兵士を使い捨てにする作戦はどうかと思います。

  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.7

神風特攻隊は恥ではありません。 ただしそれを命じた人はその責任をとるべきであると思います。 これほど非効率な戦闘手段はなかったし、人命軽視の極です。 決して誇れるものではないと思うのですが当時の空気ではやむにやまれぬものがありました。 その犠牲には謹んで哀悼の祈りを捧げるのみです。

  • yonehori
  • ベストアンサー率12% (1/8)
回答No.6

私も、神風特攻隊は誇れるものだと思います。 私の大叔父は神風特攻隊として突撃し、戦死しました。 大叔父はどんな想いで死んでいったのか考えると、心が痛みます。 でもまず、戦争がないことが一番だと考えます。 人の命は大切にしたいものです。

  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.5

特攻で死んだ人は国のためにと死んでいった人ですからそれを貶めることは間違いです。 もちろん自分から志願したり、志願せざるをえなかったりと人それぞれの事情はあったでしょうが、そのこと自体は間違っていません。 ただ、それを考え出したり命令した人はこれらの実際に攻撃に参加した人とは違い非難されてもしかたありません。 多数の攻撃機を出しながら実際に敵に損害を与えたのはさほど多くありません。それはほとんど経験もない搭乗員に性能の低い飛行機に多量の爆弾を積み込んで行動の自由もきかないままに攻撃に出したことに原因があります。 これも戦略も戦争の見通しもなく戦争を始めたことが原因で政府の指導部や軍上層部の責任であり、特攻した人にはなんらの責任もありませんし、バカ呼ばわりされるものでもありません。

回答No.4

少なくともこの戦法を考えた人間が大馬鹿野郎であることは間違いありません。 乗っていた人間はその馬鹿野郎の犠牲者です。 特攻隊は建前上は志願制だったそうですが当時の状況から考えて拒否できる雰囲気ではなかったのでしょう。

  • wsws
  • ベストアンサー率9% (256/2568)
回答No.3

死ぬ作戦なんて愚考です。愚かしい行為です。 死なない人は非国民ですかね。 死ぬことを強制されたのです。洗脳です。 家族を良くしてやる、とだまされて死んで日本の恥かもしれません。

回答No.2

僕も神風特攻隊は誇れるものだと思います。 自分の国・自分の家族を守るために自分の命を犠牲にしてくれた彼らを馬鹿にするのは絶対にいけない事だとおもいます。

  • Kon1701
  • ベストアンサー率24% (1445/5856)
回答No.1

特攻隊の隊員、これは言われるとおり、国を守る(あるいは母国の人を守る)純粋な気持ちで参加した人が少なくないと思います。命を掛けて何かを守る。これは簡単なことではありません。ある意味、すばらしい行動とも言えます。 しかし、特攻という、人命の損出を確実とする作戦を立て、実行すること。これは作戦としては不適当だと考えます。生還の可能性の低い、困難な作戦とは意味が違います。困難であれ、生還が可能であるなら、その可能性を高めるためにさまざまな検討、訓練などを行うことが出来ます。特攻という命の犠牲を確実にする作戦は、軍事上のものであったとしても、作戦として失格である、と考えます。 某掲示板での主張はわかりませんが、作戦として考えるなら、私は決して誇れるものではないと考えます。

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