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科学=邪教?

宗教の側から見て「科学」=「邪教」である、という話しを聞いたことがあります。理由は欲望を際限なく増幅させ、満ち足りるということができないから…だったと思います。 私はその言葉を否定はできないと思うのですが、別に科学を否定する気もありません。皆さんはどう思いますか?ご意見を聞かせてください。 また、「科学」=「邪教」という言葉を論じているのは「~教」の立場だ!というのをわかればそれもお願いします。 できれば宗教に対する偏見のない方の回答をお待ちしております。

みんなの回答

noname#142902
noname#142902
回答No.17

そもそも科学の元になる学問がなぜ発生したか御存知ですか?  人間の最初の学問、それは『神学』です。ギリシャ神話、北欧神話辺りが有名です。あれは今からすれば笑い話です。(神様が怒っているから雷が鳴るなどですね)しかし当時の人々は真面目に考察していました。火を使うのは神様に教えてもらったからだ、というのも当時では本気で信じていました。それで嵐がやってくると人間を生贄にしたりもしました。現在からすれば漫才にも出来そうですが、当時の人々は真剣に神学を研究していました。  最初にその神学から離れて純粋哲学をした人々は『イオニア哲学』です。ソクラテスの『無知の知』やプラトンの『イデア論』やデモクリトスの『原子論』あたりは聞いたことありませんか? ただ、そのイオニアという都市は宗教の縛りがあまり無い地域だったはずです。逆に神学に嫌気が差した人々が神様から離れた考え方をしたのかもしれませんね。  純粋な学問である『哲学』は残念ながら一般には広まりませんでした。当時は神学や教皇などが絶大な権力と支持を誇っていたからです。原子について知っているよりも神様に愚痴をこぼしたりする方が当時の人々にとっては大事なことだったのでしょう。原子を知っていてもトリビア(なつかしいですね)にしかなりませんが、神様に愚痴をこぼせば精神的に和らぎます。そのために中世では神学がまだまだ流行っていました。オックスフォード大学のウィクリフあたりでは(1200年ごろです)まだ神学が科学を上回っていました。  それが徐々に科学が神学を上回っていきます。そうして現代では科学万能、まさしく科学教とも言える時代がやって来ました。  科学はそもそもなぜ発展したのでしょうか? 便利だから発展したのでしょうか? 便利さを求めて科学は始まったのでしょうか?  ……実は違います。科学は神学の一部分でした。聖書に書いてあります。人間が地を支配するように、と。そうです。神様に従って地を支配するために生み出した手段。それが科学です。科学を通して人間が立派になって地球に楽園を作る。それを夢見た学者も相当数いるはずです。特に医学は人助けの気持ちの強い学問と思います。  また、科学は神様がどうやってこの地球を作ったのか、神様は地球にどのような願いや意志を込めたか。それを知るための『手段』でもありました。と、いうよりも主な目的はこの『好奇心』です。  神様は万能と考えられていました。万能の神様について知りたい。死後の世界について知りたい。しかし神学で神様や天国や地獄について論じても一向に答えが出ません。当たり前ですね。それらは目に見えないものですから。  そこで神様の作った地球や他の動植物について調べれば、神様や天国や生きている理由までも知ることが出来るのではないか……。それが本当の科学の始まりの理由です。  ですので本当は科学は神様の能力を知る、という一種の大掛かりな『遊び』といえました。  ところが科学によって火薬、鉄砲、活版印刷術などが発達するにしたがって科学は本来の目的である神学を離れて一人歩きしだしました。神様に祈るよりも科学の方が即効性があります。神様は目に見えませんが、科学はすぐに結果が出ます。確実です。そうなれば神学から科学が離れるのも当たり前ともいえます。  そうして現代の科学は原子爆弾投下、地球環境の破壊、などの悪行を尽くしています。逆に善行も数え切れないほどしていますが……。 ですので科学は元々は神学の一部分であり 科学≠邪教 科学=神学の手段 です。ただ、現代では科学が悪用されているだけです。バカとハサミは使いようです。科学というハサミも上手に使えば病人を救ったり食糧を供給したり洞窟を探検したり出来ます。間違えて使えば地球を破壊し、砂漠を増やし、病気が異常に流行したりするだけです。欲望も同じです。適度に欲望を満足させれば人生が楽しくなりますが、欲望が増えすぎると人生が苦しくなります。 私も書いていて考えが整理されていきました。誠に有難うございました。

  • ab92
  • ベストアンサー率0% (0/5)
回答No.16

>>欲望を際限なく増幅させ これはむしろ大国の資本主義と軍事勢力が一番の原因でしょう。 資本主義の下では、利潤が優先されるわけです。 ↓これは極端な例です。 ある製薬会社があります。 そこでは金儲けのために、 新種のウイルスと、そのワクチンを作り出します。 そのウイルスをわざと秘密裏に地球に散布します。 当然、世界中の人は病気になります。 そこを狙ってワクチンを売り出し、 市場を独占、大儲けしてその企業は大喜び・・・。 こんな話は現実にあるわけです。それが資本主義です。 儲けようと思えば、悪知恵を働かす。 その商売にもってこいなのが科学技術ってなわけです。 ブルジョア階級がサイエンス分野の開発事業に投資し、 ウォール街を中心としたマネーゲームをやってるわけです。 科学技術そのものが邪というのは少し変です。 科学技術は金儲けの道具になってしまっているだけです。 資本主義、つまり金儲けの社会、これが問題なわけです。 そこには神も仏も倫理も道徳もさらには法律も無視され、 ただカネと企業競争に勝つための暴走しかないのです。 欲望を肥大化させているのはマネー、つまり資本主義経済です。 このまま行けば、 抑止や満足の歯止めが効かなくなってボカン!!です。

  • genta23
  • ベストアンサー率54% (6/11)
回答No.15

法輪功が科学=邪教と見ているというのは、誤りです。 確かに法輪功は、科学は完全なものではなく、気功などの分野についてはの科学的解明が進んでいないことは言っています。 しかし、科学=邪教とまでは言っていません。 中国政府は法輪功にカルトのレッテルを貼るため、あの手この手のイメージ操作を行っています。 法輪功を痛烈に批判するサイトを見れば分かると思いますが、そのほとんどが、中国大使館や中国政府支配下のマスコミによるものだと思います。 実際には、法輪功愛好者の科学者らが、法輪功に対する科学的考察などもやっており、それをサイト上で公開していたりもします(中国語ですけど) もし中国語が読めるなら、このサイトはちょっとお勧めです。 リアルの科学者たちがこんなこと考えてるなんて、 ロマンがあって面白いと思いました。

参考URL:
http://zhengjian.org/zj/index.html
  • tuort_sig
  • ベストアンサー率19% (17/87)
回答No.14

今の時代「科学」の恩恵に浸って生活していない人がいるでしょうか? 科学の発展なしに現代の”人間らしい生活”は送れません。 火をつけるときに、手に肉刺をつくりながら木と木をこすりあわせて火を点けている人がいますか?コンロをひねると一瞬で火は点きます。十分で且つ安定した火力が得られます。「火」ひとつとってみても、科学の恩恵なのです。「科学」=「邪教」とする人は、山へ行き、腰に葉っぱを巻いて槍を片手にイノシシを追いかけているのでしょうか?おそらく、科学の恩恵に浸って暮らしていることでしょう。自分が科学に生かされていることを承知の上で「科学」=「邪教」とし、邪教の恵みによって自分が支えられていると認識できているのならば、科学者は何も反論はしないと思います。 私は、宗教を否定はしませんが、宗教が科学を否定してかかるのは横柄なことであると思います。イノシシの肉を求めて野山を駆けずり回って生計を立てている人たちの宗教ならば文句はありませんが。

回答No.13

地球環境の問題で、よく 『科学は人間の生活を豊かにするはずのものなのに、何故・・・・』 という文章をよく見かけます。 誰が豊かにするなどと言ったのでしょう?科学者は自分たちの欲求(知的欲求や金銭的欲求)を満たすためにのみ研究を行うのが一般的です(もちろんそうでない人もいますが少ないです)。 科学者とエンジニアの違いです。科学者が考えた理論でエンジニアが人間の役に立つ物を生み出す。 この考えなしの開発は欲求によってのみ突き動かされているため、『欲望を際限なく増幅させ、満ち足りるということができないから』という言葉も当たらずとも遠からずと言えなくもないと思います。 『科学』=『邪教』というのはかなりの宗教にあると思われます。例えば、キリスト教が世界を支配していた時代(この言葉遣いに不快感を感じたとすれば申し訳ありません)にアリストテレスの教えを学校のような場所で教えたと言われていますが、その時に聖書に合わない物事は無理やりに捻じ曲げて教えたと言われています。 キリスト教はアリストテレスが考えた物理法則や疑問点などを、『神の力は万能である』などとしてこじつけた。 これ以後も世界の科学は教会によって押さえられ、ガリレオの格言やTOマップなど、あの時代のために世界の科学状況は200年以上遅れたとさえ言われています。 さらに、ルートの中にマイナスの数字が入ると、その時代で考えられていた数字では表せない事が発見されたときなど、教会に『数字は美しい物だ。そのような事は考えるな』(言葉はイメージです)などという事で却下されたりなどもしています。 何が言いたいかというと、宗教は自分達に都合の悪い事柄は基本的にはもみ消されると言うことです。 これの都合の良い解釈のために『科学』=『邪教』とする事で、物事を考えてはいけない事だと考えさせたという理論があると言うことです。 人間が必要以上の力を得ることは混乱を招く元だと言うことは正しいと言わざるを得ません。しかし、私に言わせてみれば、それはすでにもう遅い。科学を邪教とし、放棄する事は私達の生活では、ほぼ不可能となっています。たとえあなたがそれを実現できたとしても、世界全体には何の影響も与えません。 邪教。つまり学んではならぬ物。つまり関わってはならぬ物。 すでに私達の生活の一部となってしまっているものにたいしてこのような意見を言うのはどうかと思いますが、知るべきではないが、知っていなければ生活できない物。 海の真ん中では泳ぎを知らなければおぼれてしまうように。すでに私達には必要不可欠なものであり、一言に欲望と割り切れないものだと考えます。

  • tokytime
  • ベストアンサー率37% (43/114)
回答No.12

私は科学は勿論のこと、宗教にも特には詳しくは有りませんが、ちょっと参加させてもらいます。 宗教に関してざっと見回してみれば、細かいところはさておき、みんな同じようなことを勧め、同じようなことを禁じているように見えます。 人を殺めるのは勿論のこと、自分がして欲しくない事は人にもしてはいけない、とどれも言っています。 争いも、盗みも、姦淫も、傲慢も、驕慢も全ていけないと、どれも言っています。 常に心と世の中の平和を求め、他者を愛し、恵まれない者に奉仕する事に感謝し、・・・・・・・・・・ 世界の三大宗教は皆同じような事を勧め、同じような事を禁じています。 それなのに、仏教国でも、キリスト教国でも、イスラム教国でも、争いや、戦争や、略奪や、惨殺や、差別や、不正が耐えません。世界中に邪教がはびこっているのでしょうか。・・・・・ 何のためにそんなに争うのでしょうか。・・・ 何が欲しくてそんな事をしてしまうのでしょうか。・・・・ 科学がそんな事をさせるのでしょうか。・・・・・ 科学の目的は? 生活を便利にしたり、病気を治したり、生産の効率を上げたり、情報を拡大したり、・・・・・・ とてもそんな事が邪(よこしま)な宗教とは思えない。・・ では、邪なものはどこに潜んでいるのでしょうか。 それは人々の心の中なのではないでしょうか。 宗教とは関係なく、どんな宗教を信じていようと、 どんなイデオロギーを信じていようと、どんな民族、国家の出身であろうと、男女にも勿論、関係無く、心の中によこしま(邪)な物がある限り、人は強欲になり、残忍になり、情け容赦無くなるんだと思います。 その「よこしま(邪)」な物とは一体なんでしょうか? 皆さんも予想がつくと思いますが、それこそ、今現在、この地球で一番流行っている宗教であり、主義であり、人々が何よりも固く信じて疑わないもの、つまり 「拝金主義」であり、「権威主義」であり、「物質主義」です。 ここから 「他人より少しでも物質的に豊かでありたい」 「他人より少しでも社会的に高位でありたい」 [他人より尊敬されたい」・・・・・・・・ と続き、それを実現させるために、ありとあらゆる悪事が発生するんだと思います。 もし、宗教が科学をよこしまな宗教だと断定するなら、てんで分かっちゃいないと思います。 宗教によって人の心の闇を駆逐する事が出来ないので、 科学のせいにしてしまってるんじゃないでしょうか。・・ この世の闇は全て人の心から発生し、宗教、イデオロギー、国家、民族、に関係なく、アリトアラユル手段を用い(その中に科学が含まれている)、己の欲望を達成させようと突き進むんじゃないでしょうか。 ですから、どんな宗教を信じるか、では無く、 「自分がどんな事に喜びと生きがいを感じるか」 が大切なのではないでしょうか。 自分で選ぶんです。 何が自分を真に幸せにしてくれるか。 形の無い心の焦燥感や苦しみを和らげてくれるのは、やはり、形の無いもの(物質ではないもの)ではないでしょうか。 やっぱり、自己責任ですね。他者のせいには出来ません。だって、自分の事を決められるのは自分だけなのですから。・・・

  • blin
  • ベストアンサー率21% (6/28)
回答No.11

自分はクリスチャンなのですが 聖書こそが真理であり、科学は真理を証明するためのものと考えています。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1528123 の質問に回答しましたが またどれほど現在の進化論が虚構なのかについては下記のサイトに載っていますが http://www.ne.jp/asahi/seven/angels/index.htm http://www.h5.dion.ne.jp/~biblroom/text/evolut.htm#begin 地殻のこととか地軸のこととか地球が球体であることとかは聖書に数千年前に書かれているのです。これは全て偶然ではなく必然と考えています。

  • aozola
  • ベストアンサー率12% (72/563)
回答No.10

まあ、単純に考えさせてもらうと、人間にはわからないものがありますよね、そのわからないというものを崇めたのが神であり、そしてそれを解析しようとしているものが、科学ではないかと思います、つまり進む道自体は同じだと思うのですが、進み方が逆なのでぶつかり合うのではないかと思います。

noname#155689
noname#155689
回答No.9

こんな話から入りましょうか。 米ギャラップ社が昨年行った調査によると 現代のアメリカにおいて「進化論には科学的根拠がある」 と理解するアメリカ人は僅か35%しかいないのだそうです。 詳細を紹介すると ●ダーウィン進化論には科学的根拠がある⇒35% ●ダーウィン進化論はひとつの理論に過ぎず、科学的根拠に欠ける⇒35% ●進化論についてよく知らないので質問に回答できない⇒29% ●人類はおよそ1万年前に神によって創造された⇒45% http://www.13hz.jp/2004/12/35.html トータルが100%を超えるのでマルチアンサーだと思われますが ともあれ「人類は神によって創造された」と信じる人が 現代のアメリカにおいて最大多数だ!!ってことですね。 人類は神によって創造されたと信じる人たちにとって ダーウィン進化論は邪教であるといっても過言ではないでしょう。 私は >理由は欲望を際限なく増幅させ、満ち足りるということができない というのは、基本的に科学とは関係ないことだと考えます。 なぜなら、科学は単なる手法であって 満ち足りることを目的とするモノではない筈です。 >「科学教」も「科学」=「全能」、他の存在は全否定というような…。 それは、科学を手法としてではなく、信仰として捉えている場合の話ですよね。 さらに「他の存在は全否定する」のは一神教の特徴であって たまたまある一神教の信者が科学を信仰するか、キリスト教を信仰するか イスラム教を信仰するか、ってだけの違いではないでしょうか? >人間が「科学」を用いて「神」になれば その発想は、基本的に旧約聖書の発想です。 旧約聖書がそんなことを説かなければ(人間が知恵を持つことを否定しなければ) 宗教と科学の対立は起こらなかったかも知れませんよ。 (例えば正教・異教を定めない仏教は建前上、他の宗教にも科学にも寛容です)。 >「宗教」は少なからず神(自然)に感謝していると思うのですよね。 だって、キリスト教を例に挙げれば、宗教の中では比較的後発だった彼らが 地中海世界に広く進出していくに際して自分たちの説く唯一絶対の神の存在証明として 自然世界の創造力を引き合いに出したからです(cf.オクタヴィウス)。 それなのに、科学を駆使した超近代的な戦争を 今の時代に繰り広げているのがキリスト教で その相手が元は同じ神を信仰していたイスラム教なのだから 私としては笑ってしまいます。 何だか話のとりとめがなくてスイマセン。 上手くまとめられないんで、興味がおありでしたら「科学哲学」に関する書籍を 数冊読んでみて下さい。 そこで語られていることが、概ね私が伝えたかったことです。

  • 8942
  • ベストアンサー率13% (188/1414)
回答No.8

 邪教といってしまえば邪教かもしれませんね。 でも、世界中の人々が科学理論に基づいた成果の恩恵を受けている。 って事は、皆科学教の信者ですね。多くの人々が科学教ともう一つの宗教と 二股を掛けてるといえないでしょうか?科学が邪教なら、科学意外の宗教の信者で科学の恩恵にあずかる人は科学を邪呼ぶなんておこがましいほど邪な人々ではないでしょうか? それはそれで面白いですね。