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虐殺を行った民間人は処罰されたのでしょうか(再度の質問)
第2次世界大戦中のユダヤ人について、本を読んでいるところです。軍人ではなく、銃を持った民間人が、無抵抗かつ銃を持たないユダヤ人を殺したという描写が出てきます。戦後、処刑という重い処罰を受けたのは、軍人の中でも少ない。また、戦後、「戦争状態の中で、何が正義か」といった事も論争されたとあります。お聞きしたい事は以下の事です。 1.裁判にかけられた民間人はいるでしょうか。 2.戦後の市民の葛藤を描いた本は無いでしょうか 出来るだけ目に留まるよう、早い時間に投稿しましたが、補足や返事が出来るのは夕方になります。ご存知の方、ぜひ教えて下さい。よろしくお願いします。
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今資料を持ち合わせてないのできちんとお答えできなくて残念ですが,ざっと思いつく範囲では次のとおりです. 戦後ニュルンベルグで行われた裁判の中には,文民の裁判官(いわゆるジャスティス事件"Justice Case")や民間企業の経営者(いわゆるI.G.ファーベン事件"I.G. Farben Case")などが被告人となったものがあります.(なお,ニュルンベルグ裁判と呼ばれる裁判には国際軍事法廷"International Military Tribunal"によるものと,占領当局令第10号"Control Council Law No. 10"に基づいて設立された様々な法廷によるものと区別する必要があります.ここに挙げた例はすべて後者にあたります.)また,イギリス占領軍管区内ではナチス政府が実施した精神薄弱児の強制的安楽死政策に関与したかどで医者が裁判にかけられています.ほかにも,ドイツによって占領されていたフランスなどでは地方の役人やビジネスマンが戦争犯罪に問われました. 旧ユーゴ国際刑事裁判所では,軍人だけでなく中央レベル・地方レベルの政治家,警察・内務省関係者,公的地位を全く持たない私人などが大勢起訴されています.ルワンダ国際刑事裁判所でも同様です.ルワンダ関連では,これに放送局員や,市長,工場のマネジャー,地元の名士,カトリック教会聖職者などが加わります.
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- kaplan
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戦争の規制は国際法の分野としては最も古いものの一つです. 今日国際人道法として知られる様々なルールは,軍事的必要性("necessities of war"または"military necessity",つまり戦争に勝つために必要なこと)と人道的配慮("humanitarian considerations"または"considerations of humanity")の二つが秤にかけられた結果到達した現実的な妥協の産物であるとされています. 具体的には,中世から武器の使用や戦闘手段などの交戦行為,海戦規則,戦争捕虜の処遇,戦利品の扱い,占領軍と被占領地住民の関係,交戦国と中立国の関係に関するきまりが長い年月をかけて発展・体系化されてきました. この中にはもちろん無抵抗の民間人(あるいは文民,"civilian persons")の保護を扱ったものも含まれます.ただ他のルールに比べてその発展は遅く,しかも色々な例外(たとえば,戦意高揚のために敵方の女性を捕らえてレイプすることを奨励しても違法でないなど)が認められる時期が長く続きました.また,近代までは軍隊が町や村から離れた広い戦場に集結して戦うのが主でしたから,無関係の民間人が戦闘に巻き込まれたり攻撃の的になるような事態は想定されにくく,包括的な法的保護の対象にはならなかったのです(一般市民が本格的に戦闘に巻き込まれて犠牲になるようになったのは第一次世界大戦以降).1907年にハーグ陸戦規則という国際的な取り決めが採択されましたが,ここでも文民の取り扱いに関してはどちらかというと身体よりも財産の保護に重点が置かれるぐらいでした.実は戦争中の文民保護に関するきまりが体系的に明文化されたのは第二次世界大戦後(すなわち1949年採択のジュネーブ第四条約)のことです.それ以前は慣習法と呼ばれるあいまいなルールしかありませんでした. 文民殺害が戦争犯罪("war crime"),つまり国際法上の処罰対象として最初に認められたのは第一次世界大戦終結後の頃です.ニュルンベルグ国際軍事法廷(IMT)規程にも文民殺害が戦争犯罪として規定されています.ただ大量殺人(虐殺あるいは皆殺し,"extermination")はIMT規程で初めて人道に対する罪("crime against humanity")として犯罪化されました.そもそも人道に対する罪という概念は,ナチスドイツが自国民あるいはドイツ国籍を剥奪し無国籍とした者に対して犯した残虐行為を戦争犯罪という概念がカバーできなかったためにいわば”発明”されたものです.(少なくともニュルンベルグ裁判の時点では人道に対する罪は事後法だったとする批判は今でもあります.) 法自体がこんな状態でしたから,その浸透がどの程度虐殺を予防できたかは正直なところ分かりません.(どちらかといえば根本的な倫理観や人間性の問題であったように感じられます.)ただ,戦後,戦争犠牲者の保護と国際人道法発展を主な任務とする赤十字国際委員会が兵士・将官にとどまらず役人や一般市民を対象とした人道法普及活動に力を入れるようになったということは注目に値します.この背景には確かにworrywartさんがおっしゃったように法の浸透が違反減少につながるという信念/期待があります. たとえ法律を知っていたとしても,戦争という極限状態にも耐えられる順法精神を育むことは容易ではありません.旧ユーゴ国際刑事裁判所に始まり,常設国際刑事裁判所(1998年規程採択,2002発効)へと制度化が進んできた人道法違反の刑事責任追及が大事なのはこのためです.
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回答本当にありがとうございます。知らない事ばかりでした。歴史を研究されている方は本当に凄いなと思います。まず、ジュネーブ第4条約について、調べてみたいと思います。戦争中とはいえ、やってはいけない事の内容がどのようなものか知りたくなりました。国際刑事裁判所についても、調べたいと思います。なんとか、戦争を起こさない知恵を、少しでも良いから得たいと思います。ありがとうございます!
- hawks21
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民間人≠軍人ということでしたら、広田弘毅元首相は文官でありながら、A級戦犯として処刑された唯一の例です。
お礼
回答ありがとうございます(お礼だけですみません…)。
- norikunny
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以前NHK特集でポーランドにおけるポーランド市民によるユダヤ人虐殺について放送していました。 ある村が戦時中ポーランドが一旦ソ連に支配された後ドイツに占領された時、ソ連軍に協力したかどで村人が村のユダヤ人を一箇所に集め虐殺し、その少ない生き残りユダヤ人の証言をもとにNHKがその村を取材、当時を知る人々の証言を放送していました。 虐殺に加わったと思われる老人の証言から、彼を含む村人により実際に虐殺が行われた感じを受けましたが、当然人道的に非難される行為のため、老人は遠回しにしか事件について語りませんでした。 また、当時は反ユダヤのドイツ占領下であり、駐留していたドイツ軍も村人の行為を見て見ぬふりをしていました。 これらの事から考えると、閉鎖された地域で連帯意識の強い村人が行った犯罪行為を立証できる強力な証拠や証言が得られないし、虐殺に加わった個人を特定して裁判にかけるのは不可能だと思いました。 ですから戦後裁判にかけられた民間人はいないのではないかと推測します。
お礼
教えて下さって本当にありがとうございます。NHK特集があったんですね…。忘れてはいけない、と言うユダヤ人の言葉が頭から離れません。 裁判にかければ良いというものではない。裁かれて例え処刑されたとしても、亡くなった人々はもどらない。そういうことも、アンネ・フランクをかくまった人の本の中に出てきました。ただ、一民間人のくせに、戦争を口実に、軽はずみな取り返しのつかない行動をとった事をどう言い訳したのだろうか、どう反省したのか、とても知りたいです。アドバイスありがとうございました。
お礼
回答本当にありがとうございます。やはり、民間人も裁判にかけられていたのですね。教えていただいた事は、全てが初めて聞く言葉ばかりです。 正しいかどうか分からないのですが、国際法で戦争のルールみたいなものが作られているんですよね…?これが浸透していれば、虐殺はおこらなかったのかなと、思う事もあります。 ルワンダでは、たった1日で、信じられない数の人々が殺されてしまったとだけ、知りました。これから、その件についても、ネットで調べてみたいと思います。 回答本当にありがとうございます。又、もうそろそろ締め切った方が良いのかもしれませんが、もう少しだけ、回答の受け付けをさせて下さい。