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戦争時代の‘兵になる’ってことはどんなことだったんでしょうか?
私は今、中学校の授業で戦争について調べています。 個人でテーマをたてて調べるのですが、私の調べたい事についての資料があまり無いんです。 私のテーマは、「彼はどうして日本兵になれなかったのか」というものです。ちょっと聞こえが悪いかもしれませんが、私の頭ではせいいっぱいです。具体的に言う なら、兵になれなっかた人とは周りからどんな目で見られたか というかんじの事 です。戦争が始まったころと終戦まぎわでは状況が違うと思うので、できればいつ ごろのことかもしりたいです。 31日に発表しなければならないので、よろしくお願いします!
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私は30代後半なので実体験はありませんが、子供の頃から大人の話を聞くのが好きだったので、その中で感じたことや、歴史を勉強した中で(歴史も好きです)知った知識をもとに書きたいと思います。 11723さんのテーマは、赤紙(召集令状)による徴兵をうけて検査に不合格した人を指していると思います。 まず、テーマに該当する日本兵についてです。 海軍は船舶に関する技術か必要なため、主に志願兵でしめられていました。戦争末期には海運関係の人が徴兵されていましたが、海軍で戦力になるためには教育に時間がかかるため、そういう人はそんなに多くないはずです。 海軍航空隊についても同様の理由で、志願兵がメインでした。 注)戦前の日本には空軍はありませんでした。ゼロ戦で有名な航空戦力は海軍航空隊といって海軍の一部隊でした。ちなみに陸軍も航空隊を持っていましたが、海軍ほどではありません。 だから11723さんのテーマに該当するのは、陸軍の懲兵になると思います。 ただ、陸軍の徴兵検査を落ちる人はそうそういません。陸軍の徴兵で受かった人は主に歩兵になるため、大した技術がいりません。つまり五体満足なら誰でも受かるのです。 逆に受からない人はと言うと、身体障害者、結核やらい病などの重大な病気を患っている人などです(今では結核やらい病は大した病気ではないですが、当時は人に移る危険な病気として敬遠されていました)。 当時は、身体障害者やそのような病気持ちの人は相当な差別を受けていました。だから、非国民という見方で見られていたというより、社会の邪魔者みたいな差別をされていたと思います。 ちなみに、私の父親は特攻隊に志願して検査を受けましたが、色盲検査で弱色だと分かり検査を落ちました。でも、非国民だと差別されたとは聞きませんでした。 当時は「日本兵になれなかった人」に対する風当たりより、「日本兵になろうとしなかった人」への風当たりのがきつく、非国民として酷い扱いを受けたようです。 聞いた話ですが、母一人子一人の家の、その息子に赤紙が来たそうです。母親は息子を兵隊に出したくなかったので、行方不明と言うことで家の中にかくまっていました。警官(憲兵だったかもしれません)が家に現れ、息子を出せと迫りますが、母親はいないと拒絶します。その時、警官が拳銃を抜いてその家にある樽を撃ち、そのまま立ち去ってしまったそうです。何かで息子が樽の中に隠れているのに気づいたのでしょう、息子は樽の中で死んでいたそうです。
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- DrStrangelove
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ANo.#2を答えたDrStrangeloveです。回答の中に、どうも差別用語らしいのが混じっていたので訂正します。 「色盲検査」は現在は「色覚検査」と言うみたいです。 色盲の読みは「しきもう」と「いろめくら」の2通りがあり、差別用語は「いろめくら」だけだと思っていましたが、「しきもう」も差別用語のようです。 あと「弱色」と書きましたが「色弱」が正解です。これは差別用語ではありません。 中学校の授業で発表するとありましたので、念のために訂正させていただきます。
お礼
わざわざありがとうございます。 発表する日もじわじわと近づいてきたので、そのまま発表するところでした。 ありがとうございます。
こんにちは。 私も30代ですが、思い出したことを1つ・・・ もう亡くなられましたが、SF作家として活躍された星新一さんが、エッセイで(本の題名は忘れてしまいましたが・・・)、自らの徴兵体験を書いていました。 その本によると、彼は、当時としては珍しく(?)意図的に“徴兵逃れ”をやってのけたということです。 やり方としては、「わざと目を悪くする」・・・特に、鉄砲を打つ時、狙いを定めるのに使う右目の視力を悪くするよう努力した。 「大学で、軍にも役立つと思われる研究に携わる」・・・確か、彼は東大の農学部出身だったと思いますが、「食料増産はお国のために役立つ」ということで、軍からにらまれることもなかったとのことです。 ご参考になりますでしょうか?
お礼
ありがとうございます!!! 私の中学には“図書の先生”がいるので、その本のことを、ちょっと聞いてみます。それに、自分でも探してみたいと思います。(インターネットという手もあるじゃないですか!) 本当にありがとうございました。
この手の質問は、当時実際に生きておられた方に回答してもらうのが一番だとは思いますが、あえて私の知っている範囲で回答させていただきます。 ちなみに私は30代です。 兵隊さんになれなかった人は、大きく次の方たちです。 その1 老人、子供、女性 その2 公務員(ただし徴兵・召集された方を除く) その3 徴兵検査不適格者 その4 民間人でも国策遂行上、重要な職務に就いていた方 その5 学生(ただし、戦争末期には学徒動員あり) その6 その他徴兵されなかった方 以上(更に細かく言えばきりがありません) 当時の兵隊さんにもいろいろな方がいらっしゃいます。 その1 職業軍人 その2 徴兵 その3 志願兵 以上(更に細かく言えばきりがありません) さて、ご質問の「周りからどんな目で見られたか」ですが、たぶん11723さんがおっしゃっているのは徴兵検査で不適格になられた方のことを言っているんだと思いますので、それについて回答します。 世間(社会)一般では「非国民」という扱いです。ただ、当時の人たちも人の子ですから、兵隊になれなかった方に対して同情・無関心さては嫉妬・バッシングといった気持ちや行動に出ました。それこそ千差万別です。 そこで世間一般論の「非国民」扱いですが、当時の日本はそれこそ世界(ご自分で勉強なさってください)を相手に戦争をしていました。 それこそ戦争一色だったのです。たった50数年前のことですが現在では想像できませんよね!私も偉そうに言えたものではありませんが・・・ そんな訳ですので、非国民扱いを受けた人たちの中にはひどい扱いを受けた方も大勢いらっしゃいます。 とかく当時の戦争に関する問題は、お話しを聞いた方の主観に偏りがちになりますので、それこそ多くの方から話しを聞いて、ご自身で正しい判断そして知識を身に付けてください。
お礼
ありがとうございました。本当に助かりました。 「この手の質問は当時実際に生きておられた方に聞くのが一番なのでは?」という鋭いご指摘については確かにそうなのですが、聞いてるときに相手のつらい顔を見たりするとどうしても私が逃げ出してしまうのです。 本当にありがとうございました。
お礼
とても参考になる、お話のご提供ありがとうございました。 やはり、人によって知ってる事は少しずつ違うと思うので、違う意見がもらえて嬉しいです。 本当に感謝いたします。ありがとうございました。