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第二次世界大戦中の兵器
第二次世界大戦中の兵器の中で以下の兵器について答えてください。 戦闘機:戦闘機は夜、飛行できたのですか?飛行できたとすればどんなふうに真っ暗な空を飛んでいたのでしょうか?(GPSもレーダーもないのに) 加速力はどのぐらい?今の戦闘機みたいに9Gなんてのはないとしても、最大何Gぐらいかかっていたのでしょうか? 地上との連携はどうしたのでしょうか?(敵戦闘機、艦隊の警報や、陸上の兵隊との合同作戦のため) 目的地までは、経験や勘で飛んでいたのでしょうか?それとも地図を見ながら? 潜水艦:真っ暗な海で、どのようにして敵の船を発見したのですか?レーダーのようなものがあったのでしょうか? ローレライ(架空の話ですが)のように、単独で行動するものもあったのですか? 潜水艦は、対なにようの兵器だったのでしょうか? 潜水艦の価値はそんなに重視されていない? 地図(水深の深さなどものっている)は持たせてもらったのでしょうか? その他:敵国の情報はどのようにして手に入れたのでしょうか?無線を傍受してその暗号を解く?それともスパイがいて、その人がなんらかの手段を通じて自国に情報を知らせる? 零戦はアメリカの会社の特許を無断で使用し、敗戦後、1円はらって和解した。日本に落とされた原爆は八木アンテナを搭載していた。というような話をどこかで聞きましたが、他国の技術はライセンス料を払わないで、勝手に使用していたのですか? 第二次世界大戦と余り関係のない話になりますが、江戸時代から明治時代に変わった時、技術を他国から手に入れるのは、相当ぼったくられたのですか? 質問が広範囲に及んですいません。回答よろしくお願いします。
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大体皆さんの回答につきますが補足します。 第2次大戦の末期には航空機搭載用のレーダーは実用期になっていました。 但しアンテナは大型で単発機には積めず双発機にしか搭載出来ませんでした。 さらに操縦士以外の操作員が目標の位置を見つめて操縦士を誘導しなければならなかったからです。 操縦士が目標を視認できたらあとは昼間と同様です。 その他探照灯で敵機を照らし出し攻撃する方法もありました。 夜間飛行には地上の2点から電波を送りその交差点を爆撃目標としてその誘導電波に導かれて目標に向かう方法もありました。 プロペラ機は理論上800km以上の時速には達しません。 大戦末期のジェット機、ロケット機はかなりの時速がだせましたからG単位の加速度は経験した筈です。 特にドイツのロケット機は垂直に発進する方式でしたからそのGはかなりのものであったと思います。 航空機と地上との連絡は無線電話がありましたが、日本軍の通信機器は不良で無線通信しか利用出来なかったようです。 当時の潜水艦は当初目標を視認するしかありませんでした。 レーダーの装備はかなり末期からです。 しかしアメリカではかなり早かったのです。 当時の水上船舶はかなり黒煙を出したので見張り員が発見し易かったのですが夜間の攻撃の場合は浮上して攻撃するのが常でした。 これは潜水艦は小型で浮上しても発見し難かったからです。 潜水艦は浮上していれば20ノット位出せますが潜航すると5~6ノットになるのでおおくは待ち伏せ攻撃となります。 この為高速の軍艦を攻撃するにはかなり確率が低い宿命があります。 しかし低速の商船、輸送船には好適な武器です。 従って海上封鎖には非常に有効な兵器ですが、日本軍は軍艦以外の攻撃は禁止ないし避けるように命令していたようです。 これは軍艦以外を攻撃するとその位置が暴露してしまう事を避けるためでした。 アメリカ軍は敵は発見次第撃沈するよう命令していたので日本の海上輸送は壊滅しました。 日米の用兵の考え方の差でした。 ドイツの潜水艦戦術は敵を発見するとその規模、進路、速度を報告する定めで攻撃はしません。 司令部はその報告に基づき、敵船団の想定位置を付近に配置されている潜水艦に知らせて集結を命じます。 敵船団の周囲に集まった潜水艦群は夜間に浮上片端から攻撃を加えるのです。 従って無線通信は必須でした。 対抗するイギリスは暗号解読はお家芸でしたからドイツは暗号に工夫をこらし、ついに解読不能なシステム、エニグマを完成させたのは有名です。 戦争になると敵国の財産は没収ないし凍結しますから特許も無視されます。 戦争に勝てばなんとでも出来ますから。 明治維新の際諸外国の中古武器などを買わされた日本はかなりボラレタのも事実ですが、日本の支払いは金貨でしたから、当時金貨と銀貨の交換比率が清国では日本の数倍に高かったので清国に持っていくと数倍の銀貨を手に入れられました。 これを日本に持ち帰り金貨に交換すると数倍の金貨が手にはいったのです。 この金銀貨の交換比率のマジックで彼らは極めて短時日に巨万の富を築けたのです。
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- mitsuruw
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私の父は5人乗り位の飛行機(名前は分かりません)の機長をしていました。 昼間に飛び立つと砲撃を受けてしまうので、出撃は殆ど夜だったそうです。その頃はレーダーは有ったでしょうから出来ないことはなかったと思います。 後は星を見ながらのコンパスを使った経験だったと思います。 10機飛び立つと帰ってくるのは2機ぐらいしか帰ってこなかったそうです。 当時は海軍と陸軍に飛行部隊はあったのですが、飛行技術は圧倒的に海軍が上だったそうです。 陸軍は計器飛行も思うように出来なかったみたいです。 因みに当時は日本軍にはありませんでしたが米軍にはGPSは有りました。 まだGPSとは言わずロランと呼んでいて、地図などに表記されるものではありませんでした。 もちろん人工衛星などはありませんから、離れた2箇所の島にポイントを作り、そこから出た電波をキャッチして、緯度経度を計算していました。 潜水艦の場合はレーダーよりソナーを使っていたものと思います。 今で言う魚群探知機です。 音波を出して反射によって判断しています。 又音波探知機も映画で良く出てきますね。 情報は無線傍受が一番の情報源でしょうね。 真珠湾攻撃では完全に米軍に傍受されていたそうです。 そのために、無線の暗号化というものが必要になってきました。 技術的には良く分からないのですが、水晶を持っていてそれを無線機に入れて送信すると、暗号化が出来たそうです。 もちろん受ける側にも必要です。 特許は今でも後進国などでは無法化のように、当時はかなり無法化だったようです。 日本から偽物がかなり出ていたみたいです。 又、日本自体がかなり無頓着で、特許をとらずに放置して置いて、米国などにとられてしまったケースはかなりあるようです。
- 6dou_rinne
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第二次世界大戦中、すでにレーダーはありました。 特にドイツやイギリス・アメリカではレーダーを使って敵を探知していました。しかしまだ戦闘機に積めるほどのものではなく方向とかは天測に頼っていました。そのため月も星もない夜間の飛行は無理でした。 地上との連携は無線に頼るくらいで、航空機からの攻撃は砲兵と同じで敵に向かって射撃し、それが終わったあとに戦車や歩兵が進撃しました。敵味方が入り乱れているところを攻撃するのは無理でした。 潜水艦については単独行動が原則で、集団行動したのはドイツのUボートが商船攻撃のために行動したくらいです。戦争中ドイツから日本、日本からドイツへ往復した潜水艦もあります。(もちろん単艦で。) 潜水艦は基本的には非武装、または軽武装の商船を攻撃して補給路の破壊(通商破壊作戦)に使用するもので、敵の軍艦を攻撃したり潜水艦同士が戦闘することは副次的な任務にすぎませんでしたが、日本海軍の場合は通商破壊作戦ではなく、敵の軍艦攻撃にばかり使用したためほとんど成果はあげられませんでした。 もちろん潜水艦は手に入るのであれば必要な海図はもっていました。 敵の情報は、敵の通信を解読したり、あるいは中立国の武官を通じてスパイしたりいろいろでした。ゾルゲ事件というのをご存知かどうかは知りませんが、ドイツの通信社の特派員がスパイしてソ連に情報を流していたという例もあります。 また、戦時中は敵性資産の差し押さえとかをしますので特許なども無断で使用することは当然でした。 最後に、明治維新のときに技術を手に入れるのはそれなりの対価は払いましたが、一国だけからしか買えないとか言うものではなかったのでむちゃくちゃにぼったくられたというほどでもありませんでした。
お礼
ドイツはレーダーをもっていたのに日本はレーダーがないということは例え同盟を結んでいてもそう簡単に技術は提供しないってゆうことなんでしょうね。 欧米の国々が日本は軍事的脅威にならないもしくは経済的にも発展しないと考えていたのですね。 それだったら日露戦争でまさかロシアに勝つとはおもわなかったのでしょうね。(日本の運がよかったこともありますが。)
- merlionXX
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脱字がありました。 誤 日本:対戦艦(隊決戦用補助兵器) 正 日本:対戦艦(艦隊決戦用補助兵器) (「戦艦」が変換できずに往生しました。死語なのでしょうか)
- merlionXX
- ベストアンサー率48% (1930/4007)
> 戦闘機:戦闘機は夜、飛行できたのですか? 可能です。 第二次大戦中、既にレーダーが実用化されましたが、それ以前でもコンパス(磁石)と地図と天測で飛行できました。 > 加速力はどのぐらい?今の戦闘機みたいに9Gなんてのはないとしても、最大何Gぐらいかかっていたのでしょうか? 存じません。 > 地上との連携はどうしたのでしょうか?(敵戦闘機、艦隊の警報や、陸上の兵隊との合同作戦のため) 無線電信くらいありましたよ~! > 目的地までは、経験や勘で飛んでいたのでしょうか?それとも地図を見ながら? もちろん、コンパスと地図を見ました。 > 潜水艦:真っ暗な海で、どのようにして敵の船を発見したのですか?レーダーのようなものがあったのでしょうか? 当時もソナーがありました。 > 潜水艦は、対なにようの兵器だったのでしょうか? 国により運用思想が違ったようです。 アメリカ、ドイツ等:対輸送船(通商破壊が目的) 日本:対戦艦(隊決戦用補助兵器) > 地図(水深の深さなどものっている)は持たせてもらったのでしょうか? 海図くらいはもちちろんあったでしょう。ただし、どこまで水深を把握していたかはわかりません。 > その他:敵国の情報はどのようにして手に入れたのでしょうか?無線を傍受してその暗号を解く?それともスパイがいて、その人がなんらかの手段を通じて自国に情報を知らせる? 両方でしょう。 > 零戦はアメリカの会社の特許を無断で使用し、敗戦後、1円はらって和解した。日本に落とされた原爆は八木アンテナを搭載していた。というような話をどこかで聞きましたが、他国の技術はライセンス料を払わないで、勝手に使用していたのですか? 戦争中に敵国にライセンス料なんてはらうわけないでしょ? > 第二次世界大戦と余り関係のない話になりますが、江戸時代から明治時代に変わった時、技術を他国から手に入れるのは、相当ぼったくられたのですか? お雇い外国人がめちゃめちゃな高給で召抱えられてます。まあぼったくられたのでしょう。
- papasann02
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質問が多いので、一部分だけ回答しますね。 まず戦闘機での艦隊攻撃は、近くまで空母で行ってそこから戦闘機を飛ばすパターンが多かったようです。 レーダーも精巧ではなかったので、爆弾も、機銃も目視に頼るところが多く、艦隊攻撃は昼間が多かったようです。 戦艦武蔵は、敵の戦闘機の奇襲攻撃が8回ほどあったそうです。(攻撃はすべて日中です。) 敵の発見は戦艦にしろ、戦闘機にしろ目視に頼る部分が多く、大和等の戦艦の監視員の視力は、5.0や7.0といった驚異的な視力(訓練させて、その視力にするそうです。)を持っていました。 アメリカ等の爆撃は夜が多かったようですが、目視によるところが多く町の光を頼るところが多かったようです。 こちらからも見えにくい、夜を選んだこともありますが。 夜の飛行ですが、地図を読んで月や星、コンパス、飛行時間等で、現在位置を確認していたようです。 潜水艦はソナーというものがついていて、簡単に言うとソナーから音波を出して、海底や敵艦に当たって帰ってきた音波の時間や、返り方で海底の土地の形や敵艦の数や位置を把握したそうです。 また、敵艦のスクリュー音や、フィッシュ(魚雷)のスクリュー音で攻撃を探知できるそうです。
お礼
視力が5とかって信じられませんね。そう思えば大空のサムライの坂井さんも昼間に空を見上げてじーっとみつめて星をさがし視力をあげたそうですね。
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お礼
ドイツに人間が乗るロケットがあったんですか?ロケットに、爆弾積んでミサイルとして利用したみたいなのは聴いたことあるのですが。垂直に飛ぶんですか?垂直に飛んだら宇宙いっちゃいませんか?たしかにロケットの技術はドイツにあってソ連とアメリカが奪い合いをしたそうですが。