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イエスについて

イエスの病気直しは何を目的として行っているのですか? また、その目的が書かれている章があれば教えてください。 お願いします。

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noname#21283
noname#21283
回答No.4

0417> ある日のこと、イエスが教えておられると、ガリラヤのユダヤの方々の村から、またエルサレムからきたパリサイ人や律法学者たちが、そこにすわっていた。主の力が働いて、イエスは人々をいやされた。 0418> その時、ある人々が、ひとりの中風をわずらっている人を床にのせたまま連れてきて、家の中に運び入れ、イエスの前に置こうとした。 0419> ところが、群衆のためにどうしても運び入れる方法がなかったので、屋根にのぼり、瓦をはいで、病人を床ごと群衆のまん中につりおろして、イエスの前においた。 0420> イエスは彼らの信仰を見て、「人よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。 0421> すると律法学者とパリサイ人たちとは、「神を汚すことを言うこの人は、いったい、何者だ。神おひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるのか」と言って論じはじめた。 0422> イエスは彼らの論議を見ぬいて、「あなたがたは心の中で何を論じているのか。 0423> あなたの罪はゆるされたと言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらがたやすいか。 0424> しかし、人の子が地上で罪をゆるす権威を持っていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに対して言い、中風の者にむかって、「あなたに命じる。起きよ、床を取り上げて家に帰れ」と言われた。 0425> すると病人は即座にみんなの前で起きあがり、寝ていた床を取りあげて、神をあがめながら家に帰って行った。  このルカ4章では、罪の許しと病気が癒されることのどちらが簡単なのか?という問いが発せられている。神はいない、という人にとって、「罪の許し?なんだ、それ!?」という感じだろうが、神の存在を知り、どのくらい厳しい基準(人間から見て)があるのかを知っているものからすると、罪が許されるというのは、途方も無く大きいことだ。だから、罪を許す権威がある=神ご自身、であり、ただの人がおこなうべきものではない。  このとき、その当時の人々にとって、より難しいことは  人の病気を癒す < 罪を許す (互いのことを許す、のではなく、神の権威がなければ行うことは出来ないレベル) ということが前提としてあったため、病気を癒すことで、少なくともこの人が神の預言者らしい(病気を癒すのだって、神様のレベルでないとできない! 預言者というのは、神のことばを人々に伝えたり、神の力で奇跡を行う人のコト)ということを立証するのが目的であった。 0912> イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。 0913> 『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。 0935> イエスは、全ての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。 0936> また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。 1414> イエスは船から上がって、大ぜいの群衆をごらんになり、彼らを深くあわれんで、そのうちの病人たちをおいやしになった。 こちらはマタイからだが、憐れんだから、ということもわかる。 0931> わたしたちはこのことを知っています。神は罪人の言うことはお聞きいれになりませんが、神を敬い、そのみこころを行う人の言うことは聞きいれて下さいます。 0932> 生れつき盲人であった者の目をあけた人があるということは、世界が始まって以来、聞いたことがありません。 0933> もしあのかたが神からきた人でなかったら、何一つできなかったはずです」。 と、生まれつき目が見えなかった人がイエスについて証言している。その前に、イエスは、御自分が来られたのは神のわざを行うため、と言われている。つまり、神が地上に来られたならば、どうなされるか、そのことを実際に行うのが目的であった。  では、神はどうしてそういうことを行うのか。「愛さない者は、神を知らない。神は愛である。」と第一ヨハネにあるが、結局人を愛しているから、ということになるんだと思われる。愛については、↓のURLへどうぞ。

参考URL:
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/c/0f4e446bc6935b5e94a364ee69c34d6d
kishiri
質問者

お礼

本当にありがとうございました。とても助かりました。

その他の回答 (3)

  • saebou
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回答No.3

 宗教学者の大貫隆によると、イエスの奇跡というのは文字通りのものではなく、イエスに出会って人々が心理的に解放されていくという体験を象徴的にわかりやすく語ったものなのではないかということです。  古代ユダヤ教においては、病気や障害はその人の罪業の報いであるという考えが一般的で、ハンセン病患者など重い病気に苦しむ人々は差別の対象になっていました。しかしながらイエスの癒しの奇跡は基本的に「悪零退散」であり、病気は外から悪霊が憑いてくることにより起こるのであって、病人自体は罪のない被害者であるという考えに基づいています。しかもイエスは差別を受けている病人や娼婦などとも非常に気楽につきあって、汚れているとして放逐したりすることはありませんでした。病人達がこのようなことを主張していたイエスと出会って初めて人間らしい扱いを受け、心理的に解放されたということが「奇跡物語」の形で広まったのではないかという話です。

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000221329/qid=1121050647/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/250-1348144-1861056
kishiri
質問者

お礼

おかげで分かりました。ありがとうございました。

  • ucok
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回答No.2

“目的”といえば、これはもう「苦しんでいる人を治してあげる」ということなんじゃないかと思うのですが。 ただ、あの時代、病人は差別されていた背景や、イエスがことあるごとに「信ずる者は報われる」と言っていたことなどに、“意義”があるんじゃないかとは思いますが。

回答No.1

特に目的とかあるわけじゃなくて、神の「みわざ」がイエス・キリストを通して霊験となって現れるだけのことでしょ?