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サイコロの出目は六分の一か?

宜しくお願いします。ここに新しく製造された偏りのないサイコロがあるとします。未だ一回も使用していません。私がそれを拾い上げ転がしたとします。其のとき出た目は果たして六分の一の確立で出たものだったのでしょうか?

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  • shkwta
  • ベストアンサー率52% (966/1825)
回答No.22

この問題はいくつかの答が考えられます。たとえば、 (1)『すでに結果がわかっていて、しかも今後二度と行わないことについて確率を考える意味はない』 冷たい答ですが、サイコロを振って2が出たとして、結果が2で確定しているわけですから、何らかの必然で2になったのであり、もはや確率を考える意味はありません。 確率は、多数の試行のうち、ある事象がどれだけの割合で起こるかを示すものです。 (2)『サイコロを振る前から、確率は6分の1でなかった』 サイコロの製造法はわかりませんが、たとえばある機械では必ず1の目を上にしてサイコロが出てくるとします。そして、試行者の指の筋肉のつき具合や、運動神経の働き、手の動かし方のくせなどにより、「1を上に向けて置いたサイコロを振ると4が出やすい」といった傾向があるはずです。したがって、サイコロを振る前から、確率は6分の1ではなかったといえるでしょう。 (3)『サイコロを振る前は、確率は6分の1であった』 確率は情報に関係があります。ある情報を知っているか知っていないかが確率に関係します。たとえば、この製造機械では必ず1の目が上になってサイコロが出てくると知っているかどうか、この人は1を上に向けて置いたサイコロを振ると4を出すことが多いと知っているかどうかが確率に関係します。  確率=特定の事象の頻度÷起こりうるすべての事象の頻度 上の式でわかるように、「起こりうるすべての事象の頻度」は知識により変化します。ある製造機械が必ず1の目を上に向けてサイコロを出すという知識があれば、1以外の目が上になって置かれた可能性を排除できます。  いま、そうした情報が一切与えられていないとすれば、起こりうるすべての事象はもっとも広くとるしかありませんので、確率は6分の1となります。 (4)『実は、どの目が出るかは事前に決まっていた』 試行者の中枢神経系と末梢神経系、筋肉の状態は物理法則に支配されています。私がいまこう考えているというのも、何らかの必然性がそこに働いています。したがって、試行者が手をこう動かしたということも、神経系や周囲の状況までふくめてすべての相互作用の結果であり、何らかの必然であったと考えられます。ただし、どこまで必然であったかとなると、究極にはカオスとか揺らぎとか量子力学的な不確定性原理とかが関係するような気がしますし、それらを知識や情報の問題として捉えるのか、あるいは自然の本質であると捉えるのかとなると複雑な問題であると思います。 (5)『確率を考える時点によって、確率は変わる』 たとえば、サイコロが手を離れた瞬間で考えれば、他の皆様から既に回答があるように、あとはサイコロは力学に従うだけですから、どの目がでるかは既に決まっているといえます。手から離す直前で考えれば、そのときの指の配置や運動方向で、ある程度出る目の予測ができるかもしれません。サイコロを手にもった時点でも、神経の働きなどの必然性を考えると、多少は決まっているのかもしれません。このように、確率を考える時点があとになるほど、確率は1に近づき、時点が前になるほど、確率は別の値(たとえば6分の1)に近づきます。 --------------------------- どの解答が正しいのか、あるいはほかに解答があるのか。興味はつきませんが、質問者様としてはここに寄せられた数十の解答の中から、気に入ったものを選ぶということでもいいし、あるいはもっといろいろな条件を厳密に定義して、数学的な問題に仕上げてもいいし、サイコロを振るロボットみたいなものを考えて試行実験してもよいし、そのあたりは自由に態度を選べばよいのではないかと思います。どっちにしても、質問者様の文だけからは回答に限界があり、より深いところまで追求しなければ問題としての意義がはっきりしないように思います。

noname#15641
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。実は今回が初めての質問だったのですがこれだけたくさんの方からご意見をいただき たいへんありがたいと思っています。これも必然なのでしょうか。

その他の回答 (28)

  • BABA4912
  • ベストアンサー率35% (395/1127)
回答No.18

#1 #13です  #17の方もいうように 質問の意図がわからないんです 一般的には自明のことを質問されているわけですから 回答者がわかるような質問の仕方にするべきだと思います。

noname#15641
質問者

お礼

どうもありがとうございます。

  • postro
  • ベストアンサー率43% (156/357)
回答No.17

たくさんの回答とそれに対するあなたの返事を読みました。 あなたの返事はほとんど疑問形で返されていますが、あなた自身、結局何が納得できて、何が納得できないのかこの辺で明確にするべきだと思いますよ。

noname#15641
質問者

お礼

どうもありがとうございます。

  • salza
  • ベストアンサー率19% (44/223)
回答No.16

#15です。 意図的という言葉も難しすぎたのかな。 「わざと」”振り出す瞬間のサイコロの面の位置”を選んでいるのであれば1/6にならない事があります。 「わざと」でなければ1/6です。

noname#15641
質問者

お礼

どうもご回答いただきありがとうございます。

  • salza
  • ベストアンサー率19% (44/223)
回答No.15

>ただ一回の試行のその結果においてはサイコロのそれぞれの目の出る条件は同じだった。 しかし、振り手を含む誰かが意図的に特定の目を出させる為に、何かをやれば(サイコロを置く向きなど)大小なりとも条件は同じではなかった。 当然の事じゃないですか? 何を悩んでいるのかがわかりません。

noname#15641
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。振り出す瞬間のサイコロの面の位置は無視してよい、と考えてよろしいということでしょうか。

回答No.14

ホント面白いことに興味をお持ちですね。 >振り手の私に作為は無かったとして、ただ一回の試行のその結果においてはサイコロのそれぞれの目の出る条件は同じであった? この「その結果においては」と言う部分が何を意味しているのかつかみ切れないのですが、 例えばある人が「ここにある完全に精巧なサイコロを今から拾ってただ一度だけ無作為に投げたとき、それぞれの面が出る確率はいくつだ?」と言えば、それはそれぞれ1/6だと思います。 でも、そのサイコロを無作為に投げて、手を離れた瞬間に「さぁ、それぞれの面が出る確率はいくつだ?」と言えば、マクロの世界においてはどれかが1で残りは0、でもどれがどれかは判らない、結果を見れば「ああ、これが1だったんだ」と後からわかる、と言うことになるんだと思います。 なんだかギリシャ時代の詭弁論みたいになっちゃったけど、答えになっているかな。

noname#15641
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。振り手の私に作為はなかったとして、それぞれの目の出る条件は同じであった(例えば私の手を離れる瞬間のそれぞれの面の位置関係は<条件>にはならない)と考えてよろしいということでしょうか。

  • BABA4912
  • ベストアンサー率35% (395/1127)
回答No.13

・偏りのないサイコロ 六分の一の確立で出目 ・作為なし これだけ条件であれば六分の一です。 拾い上げる以前の状態は考慮しません なぜならばさいころを転がしたときにランダムに出目するよう充分な回数を転がすからです。 もし充分な回数を転がさないとすればそれは作為があることになります

noname#15641
質問者

お礼

どうもご回答いただきありがとうございます。

  • newG
  • ベストアンサー率35% (107/302)
回答No.12

じゃあ1/6ではない。 サイコロ自体が新しく製造された偏りのない物で幾ら不正の無いものであっても、他の条件がいろいろあるんならば、1/6ではない。 特に、意識してサイコロを振る、というか転がせば、横二面が出る確率はほぼなくなる。 その計算式は求められない。 それに、本当にランダムな条件で、何万回もサイコロを振っても確率的に、それぞれの目が出るのは1/6に限りなく近づくものの、キッチリ1/6になる訳ではない。 これで満足?

noname#15641
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。振り手の私に作為は無かったとして、ただ一回の試行のその結果においてはサイコロのそれぞれの目の出る条件は同じではなかった、ということでよろしいでしょうか?

  • pyon1956
  • ベストアンサー率35% (484/1350)
回答No.11

いかさま(確率通りの結果を出さないための操作)の一種にさいころの特定の面を上にして転がり方を制御するというのがあります。回転のさせかたで特定の2面を出さないようにすることは可能だそうです。 確率計算をするときはだからそういういかさまはしない、ということが前提です。 さらに、「理想的なさいころ」であるとして考察を進めるのが普通なわけで。つまりどういうふうにさいころをあなたが握っても、振ったとき十分にまわって「どの面も同じ確率ででるようなさいころ」である、と仮定して計算します。 物理的にはこういう運動は初期条件によって完全に結果が決まるタイプの問題なので振り方で結果を制御可能ですが、そういうことをしない、またそういう偏りもないと仮定して計算しているだけです。 この場合どういう拾い方をしても出目に影響がない、というのが重要です。少なくとも予測不能。 1を上にして、というのは意図してやっているならいかさまです。ゲームなどで毎回それをやると非難されて排除されますよ。

noname#15641
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。振り手の私に作為は無かったとして、ただ一回の試行のその結果においてはサイコロのそれぞれの目の出る条件は同じではなかった、ということでよろしいでしょうか?

  • bluelake
  • ベストアンサー率32% (64/197)
回答No.10

>私が拾い上げる以前の状態も要因にはならないでしょうか? 要因にはなると思いますが、普通のサイコロの場合、現実には無視できると思います。 ある程度回転すれば、人が同じようにサイコロを投げる事がほぼ不可能なため、投げる前の要因はほとんど無視できると考えられます。 ただ、サイコロを装置で投げたり、大きなサイコロを回転少なく投げるとすると、投げる前の状態は無視できないと思います。巨大なサイコロを投げるテレビ番組を見ることがありますが、かなり偏っている気がします。

noname#15641
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。振り手の私に作為は無かったとして、ただ一回の試行のその結果においてはサイコロのそれぞれの目の出る条件は現実的には同じである、と考えてよろしいということでしょうか?

  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.9

#8です。 > (このような操作)には(例えば1を上にして持ち)も含まれますか? 投球フォーム(サイコロを振るフォーム)が一定なら、勿論含まれます。どの面を上にするかが完全にランダムであれば、フォームが一定でもどの目が出るかはランダム(1/6)になります。

noname#15641
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。振り手の私に作為は無かったとして、ただ一回の試行のその結果においてはサイコロのそれぞれの目の出る条件は同じではなかった?

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